しかたなくバイセクシュアル

私は16歳ぐらいの頃からバイセクシュアルである。

34歳のおじさんになった今でも性嗜好はそのまま維持されており、男女ともに魅力的な人は魅力的に感じるし、性別に関係なく好意をもつことができる。

場合によっては欲求を持ち、この人と親密な時間を過ごせたらいいな、と思うこともある。私の好意の男女比はだいたい綺麗に半々、5:5くらいだと思う。

ただし、ここで私がいわゆる生来のセクシャルマイノリティのような人だとか、LGBTQのような人だといわれると、ちょっと違うと思う。私は、自分の保身や生存、より良く生きたいがためにわざとバイセクシュアルであることを選んだからだ。

ここのあたりの感覚についてはなかなか理解されずらい部分があると思うので、そのことについて書いてみようと思う。


私の幼少期は家庭環境が劣悪で、両親は私のことを、いわゆる「感情のごみ箱」として扱った。上には姉、兄がいたが、ふたりはとても甘やかされて育った。私は、上のきょうだいふたりの育児によってたまったストレスをぶつけられるかたちで育った。その構造は幼少期の私にとってはなかなかの苦痛だった。

暴力のようなものもあったし、それなりにひどい家庭環境だったといっていいと思う。

今まで書いてきた文章でもある通り、私は中学生になると近所の造園屋でアルバイトをはじめた。そこでの生活があるからなんとか生き延びれたものの、そこで居場所を確保できなかったら10代の早い段階で自殺をしていたのではないかと思う。

私は高校生になると家から離れた居酒屋でアルバイトをはじめ、そこである女性と知り合い、関係を持った。その女性が部屋を借りてくれ、ほとんど家に帰らなくなった。居酒屋でのアルバイトは厳しく、怒鳴られたり叩かれたりが日常だったが、家にいるよりははるかにましであった。

はじめて男性と関係を持ったのはちょうどそのころで、私は高校1年生だった。その男性は居酒屋のお客様で、当時20代中ごろくらいの、綺麗な顔をした青年だった。おとなしいひとで、いつもお店の端のほうで文庫本を読みながらビールを大ジョッキ1杯、大事そうに飲んで、軽食を頼んで帰っていった。

店長にその青年について聞くと「長く通ってるけど、暗くてほかの客とも仲良くしたりしないし、金につながる要素がない。早くいなくなってほしい」とのことだった。

私はその次の週、なんとなく青年に話しかけてみた。青年は思ったよりふつうに話ができる人で、なんとなくいつもより上機嫌そうに帰っていった。

名前はカリヤマさん。24歳。インフラ系ITエンジニアの仕事。横浜に住んでいる。たまに話すことが増えた。

高校でいっさい友人をつくらなかった(つくれなかった)私は、カリヤマさんに懐いた。好きになったというよりは、懐いた。金曜日の夜は、彼の家に遊びに行くことができるようになった。

彼は文学部を出ていて、1LDKくらいの部屋にはびっしりと本棚があり、床には置ききれない本が山積みにされていた。私は本を読むのは好きだったから、彼の家で朝まで本を読んで、自分の部屋に帰って寝たり、そのまま仕事に行ったりしていた。

カリヤマさんの家に週末通うことができるようになって、私はいろんなことを学んだ。パソコンのタッチタイピング、エクセルのかんたんな表計算、インターネットエクスプローラーではなくドーナツPというブラウザがあること。

知り合って2か月か3か月くらいだったと思うのだが、私はキスをされた。彼の部屋で料理をつくっていて、ごめん、と、うしろから言われて、振り向いたらすでにされていた。そのあとは好きにされてしまった。

なるほどな、と思った。私はホモとかバイとかいう概念をその時点ではインプットできていなかったので、多少混乱はしたものの、つまりカリヤマさんは「私を求めてくれているんだな」というところに落ち着いた。(この『この人は私を求めてくれている』という部分に肯定感を持つ感覚は、この後の人生において呪いとしてずうっと私につきまとうことになる)

お尻が痛くなったが、普通に情事を終えた。彼はしきりにごめんと謝っていたが、私としてはこんなこともあるんだな、くらいの感覚であった。

カリヤマさんはこの後からなぜかやたらと私にやさしくなって(それまでも十分やさしかったのだが)洋服や参考書や本を買ってくれたり、ご飯をおごってくれるようになったりした。不思議な経験であった。

この人との関係は私が高校2年の時まで続いたから、だいたい1年弱くらいだろうか。カリヤマさんは週に1回か2回お店に来て、私が閉店作業を終えるのをお店の外の目立たないところで待ってくれている。私は部屋まで行って、シャワーを浴びて、(だいたいの場合彼のほうに求められた)セックスをして、本を読んで寝た。

ここで私は「異性じゃなくても甘えたり、寄りかかることってできるんだ」ということを覚えてしまった。これが本題につながってくる。

カリヤマさんとは自然消滅のようなかたちで関係が終わったが、私はここで、女性じゃなくても私を「助けてくれる」存在がいるんだ、ということを学んだのだ。高校生の頃の私にとって性関係は自分やパートナーへの情愛のためのものではなく、自分の保身のためだけにあるものだった。

私の身体の価値は本一冊、ごはん一回分程度のものでしかなかった。当時の私には、自分の身体にそこまでの価値を見出すことはできなかったのだ。そしてその自己の無価値観は、今でも私をさいなみ続けている。

私はその後からゲイやバイの人が集まるコミュニティ(当時はSNSなどなかったから、ネット掲示板など)で、人と知り合い、そういった関係になっては、一宿一飯の恩義のように律儀に身体を差し出していた。

そうして私はバイセクシュアルであることを生きていくためのツールとして使ったわけである。そのほうがより生きやすいからそうした、というだけのことである。これは生来からそういった性嗜好の人たちからするととっても嫌なやつに映るらしく、こういう話をするとよく嫌がられたものである。

でも実際そうなのだから仕方ない。生きるために、自分の生活をよりよくするためにそういう道を選んだのだ。一時的にでも「つがい」を形成できるのであれば、異性とだけより、同性ともつがいを形成したほうが、より安定した生活が送れる。10代のガキだった私の考えは、つまるところそういうことだった。

しかし、それは間違いだった。私はどこかで自分を救わなければならなかった。自分の心身をまひさせて、どうでもいい他人に抱かれたりすることなど、けっしてするべきではなかったのだ。私は自分の価値を低く見出すことによって、つまり、自分を性的に消費されるものとして認知することにより、自分の存在を肯定していた。

「必要とされること」に、あまりに執着しすぎてしまった。以前「女装をしたときの話」という文章にも書いたように、必要とされることに執着しすぎた結果、誰かのことを致命的なまでに傷つけることも多くあった。


そしてそうした生き方はいつのまにか自分のパーソナリティと切り離せなくなっていて、ずっとそうして生きてきて、うつ病になってしまった。

バイセクシュアルになったこととうつ病になったことへの関係性は薄いとは思うが「より(性的に)必要とされるから」バイセクシュアルになった、という点において、私は自己肯定感が低く、そのパーソナリティのありかたがうつ病になりやすい心の持ちようにつながっていったのは事実だろう。

私は自分の人生を振り返ったときに、生来の気質からLGBTQである人たちに、とても申し訳ない気持ちになることがある。そういった人たちの中には自分の性指向について真剣に悩んだり、苦しんできている人が多くいるのに、私はただ生活を楽にするための手段としてバイセクシュアルであることを「使って」しまったのだ。

こういう話を書こうと思ったのは、noteをはじめて、バイセクシュアルであることを隠さないようになってから、自分の性嗜好について、どうしたらいいのかといったような相談を若者から寄せられることがあるからだ。

そういった人たちはみんな本当に真剣に、自分の性に対して悩んで、苦しんでいる人たちだ。場合によっては、自分の人生の生死すらかけて、そのような苦しみと闘っている人もいる。

私は書いたように「手段」として性的指向を使ってきた人間であるから、そういった悩みに真正面からこたえることは難しいかもしれない、けれども、悩みが多い若い人たちに、これ以上苦しみが増えないよう、自分の経験からなにかひとこと言葉をかけることくらいはできるかもしれない。

本当に苦しいとき、私の言葉は胸の一番深いところまで届くかはわからないが、せめて、今日が最後の一日、と思う前に、こんなだらしのない人間でも生きてるんだな、と、私に一報いだたけたら嬉しい。





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