生活

 最近、うつ病が少しづつ快方に向かっている感触がある。

 昨年の冬頃からはじめた飲食店でのアルバイトは、週に3回か4回、いちにち5~6時間ほどではあるが、いまのところ問題なく続けられている。店長と従業員のみなさんは私の病気に理解を示してくれ、良い意味で「ふつう」に接してくれる。これはとてつもない幸運であると思う。よい人たちとめぐりあえたと心から思う。

 それにくわえ、中学生の頃アルバイトをしていた造園業の会社から仕事をもらい、肉体労働をすることもある。草刈りや樹木のせん定作業などだ。こちらは日雇いのようなかたちで、体調の良いときだけ私から声をかけて、タイミングよく仕事があれば入れさせてもらう。身体はたいへん酷使するが、日当が良いし、社長も社員の人たちも見知った仲だから、気楽でよい。

 焦りはある。現在のアルバイトだけでは、収入はたかが知れている。貯金は、現在は実家ぐらしであるからそこまで大きくは減ってはいないものの、じりじりと削れてきている。

 はやく正社員として働きたいという気持ちはもちろんあるが、いたずらに社会への復帰を急いでも、うまくいかないことはわかりきっている。

 造園業の社長には、いつでも正社員として私を迎え入れることはできると言われている。しかし、肉体的にかなりハードな仕事なうえ、うつ病となってしまった今、判断力の不足によってまわりを巻きぞえにするような事故を起こすとも限らないので、あまり前向きには考えていない。健康な人たちがふつうに働いていても事故の多い業界である。お世話になった人たちの顔に泥を塗るようなことはなんとしても避けなくてはならない。

 運を天に任せるとまではいかないが、まあ、なるようにしかならないのだろうという風に、最近は思えるようになっている。これは今通っている心療内科の先生が言うには、たいへんに良いことなのだそうだ(先生は『ポジティブなあきらめ』ということばを使った)

 実家にいるのはとても窮屈だし、いまだに両親とは不仲ではあるが、私だけでなく、きょうだい全員人生がうまくいっていないことで、両親も多少考えるところがあるのだろう。また、年をとったこともあるのだろう、多少、やわらかく話せるようになったような感じはする。

 だが、実家に長くいるつもりはない。もうすこし状況が整ったら、静かに家を去るつもりでいる。ここにいてはいつまで経っても、親の束縛からのがれることはできないだろうから。

 半年ほど前から筋力トレーニングを続けている。そんなにむずかしいものではない。朝起きて朝食を食べたら、ラジオ体操第一を2度繰り返す。跳躍の部分を30回繰り返して行う。そのあと、バーピージャンプ(しゃがんで、腕立て伏せの姿勢になって、腕立てをして、足を戻して、ジャンプ、の繰り返し)を、10回1セットとして、3回おこなう。終わったら、シャワーを浴びて、プロテインを飲む。

 このバーピージャンプは、かなりきつい。全身運動で、からだ中が悲鳴をあげるが、シンプルかつ短時間でできるので続けられている。これを週に4回くらいおこなっている。このおかげか、昨年の今頃と比べて7キロほど体重が落ちた。久々に会う人全員に「痩せたね」と、驚かれる。それでも、まだ満足いくからだの状態には、ほど遠い。

 運動が精神状態にも良い影響をおよぼしているのは間違いないようで、昨年の今頃と比べたら、精神の調子は良い。頓服薬を飲む頻度は格段に減った。もちろん、時間の経過で、つらかったことを少しづつ忘れられているということもあるのだろうけれど。

 アルバイトがある日は、6時30分ごろに起きる。基本的に、家族と一緒に食事はとらない。私だけひとりで朝食をつくり、食事をとり、ラジオ体操をして、バーピージャンプをし、プロテインを飲み、シャワーを浴び、ひげを剃り、8時に家を出る。家族とすこしは話す。

 アルバイト先まで、自転車と電車で1時間30分ほどかかる。10時に仕事をはじめ、15時か、いそがしい日は16時ごろまで働き、職場の近くの安い定食屋で夜ご飯を食べて、家に帰る。

 アルバイトがない日は、家の仕事を多少手伝う。実家は兼業農家なので、小規模な畑と庭がある。庭の草むしりをしたり、時期がくると畑の作付けを手伝ったりする。ことしの秋は、春菊と、白菜の作付けを手伝った。

 父も母も歳をとり、広い家の敷地ぜんたいの管理は難しくなってきている。兄は家のことにまったく興味はないので、なんとなく私が手伝いをしている。とくに「してやっている」という感覚はない。父も何も言わない。無感動に、有酸素運動をしているくらいの感覚でおこなっている。

 家の2階には、兄と、兄の奥さん、3歳になる甥っ子がいる。私は同じ家に住んではいるものの、離れのようなすこし離れた部屋にいるので、接触はあまりない。兄と奥さんが喧嘩をしていたり、兄が甥っ子を厳しく叱責しているのを見ると、まあ、当然のことだろうと思う。おそらく近いうちに離婚するのではないかとも思う。兄も私とおなじく情緒が未成熟であるから、しかたのないことだろう。

 甥っ子は私のことをこわがったり、嫌ったりはしていないようで、たまにひとりで私の部屋に遊びにくる。私は魚の図鑑を読んであげたり、むかし、趣味で集めていた琥珀や水晶を光に透かして、一緒に眺めたりする。私が釣りで使うリールや釣竿のメンテナンスをしていると「なにをしてるの?」と聞かれることもある。

 情緒が未成熟な兄のもとで育つのだから、この子も将来、情緒不安定になり、私や兄のようになるのだろうなと思う。そう想像するとすこし悲しい気持ちになるが、私にはどうすることもできない。私の子供ではないのだから。

 性関係については、特定のパートナーはいないが、すこしのあいだだけ素敵な時間を持てるようなことは、相手の男女を問わずたまにある。そういったことは、不思議なことに20代のがつがつとしていたころよりわりあい多く、ものごとの進行のスピードのはやさに驚かされるようなこともある。

 趣味に関しては、釣り、読書、ウォーキングをしている。うつ病になる前は、バンドをやっていたこともありベースを弾いていたが、いまだにどうしても触る気になれず、今でも物置にしまったままだ。また、病前は、将棋や囲碁、ボードゲームの「カタン」など、すこし先を読む必要があるようなものが好きだったが、これらはうつ病になってから一切できなくなってしまった。読書に集中できる時間も病前とくらべると病後はあきらかに短くなり、40分は集中して読めたものが、今は10分か15分くらいが限度である。

 釣りは、小学生の頃から続けている趣味だ。子供の頃から家にいたくなかったから、いつも近所の川に釣りに出かけていた。今は車を保有しているので、なにもない日は早朝か深夜に釣りにでかけ、夜まで釣りをする。現在は海でのルアー釣りをメインにしている。

 釣りはとにかく考えることが多い。気温、天候、潮回り、風向き、波の高さ、うねり、想定しうる掛かる魚のサイズ、糸の太さ、竿の強さ、ルアーの色、重さ……。自然を相手にすることなので、考えることは限りなくある。

 釣りをしている間はそこに意識を集中することができる。釣れた、釣れないにかかわらず、終わったあとには心地よい疲労感が残る。課題も残る。ちょっときもちわるい例えになるが、私にとって釣りは水とする性行為のようなもので、それをしている間だけは自分に意識を向けないですむのが好きだ。

 釣りに関しては病気になる前と同様か、それ以上のパフォーマンスを発揮できているように思う。

 読書は、昔読んだ本を読み返すことが多い。サン・テグジュペリ、ディケンズ、恩田陸、村上春樹、太宰治、カフカ……とりとめはない。新しい本は、読むのにひどく時間がかかるので、あまり読まない。ただ、今はそれでもいいかな、と思っている。興味が湧けば、また読めるようになるはずだ。興味が湧かなければ、読まなければいい。それだけの話だ。

 暇なときは、ツイッターを眺めていることが多い。自分でツイートをすることは少ない(と、思う)。リツイートや、いいねをするばかりだ。自分の話したいことを、自分より上手なことばで発信している人たちが山のようにいる。わざわざ自分が積極的な発信者になる必要はないように感じる。

 ツイッターをみていると、苦しんでいるひとたちが大勢いる。皆苦しみに耐えながら、なんとか生きている。そういったひとたちとくらべると、私は恵まれた環境にいるのだろうと思うことがあるが、それぞれの地獄の質をくらべるようなことはなるべくしないようにしている。みな、同様に個別の地獄を抱えているのだ。

 ぜんたいとして、体調は良い方向に上向いてきていると思うが、たまに、なつかしい夢をみて、涙を流しながら起きることがある。もう戻ってこない、色あせてざらついた思い出の夢である。そういう日は、一日中ひどくつらい気持ちで過ごすことになる。

 思い出は美化される。夢からさめて、よくよく考えてみたら、そのころだってつらいことはたくさんあった。それでも、やはりなつかしいものは、うつくしいものになってしまうのだなと、思う。

 朝、起きると、顔に涙のあとが残っている。しずくが頬に残っていることもある。ぼんやりと、なつかしい夢の余韻を感じる。過ぎ去ってしまって、もう二度と戻ってこない時間を。

 

 

 

 

 
 

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