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気づいてしまった、藤井風は清潔な沼


反論を承知で思ったことを書いてみる


終活を意識しだす年齢というのはいくつからだろう
こだわりが強くなる反面、
いろいろなものが段々とトーンダウンしていくのを
ぼんやり感じながら日々を暮らすモノトーンの世界
わたしの人生後半、こんなものかなと思っていた

その中で、
まさかというタイミングで彩りが戻った 
ワクワク、キラキラ、
ドキドキしたりキュンキュンしたり
勇気をもらえたり
笑顔が増え
少しだけ優しくもなれた


毎日の楽しみが増え、
今では朝から晩まで、夢の中まで出てくる始末

藤井風の沼にはまる幸せを感じている

そんな中、他のミュージシャンじゃダメなのか?
試しに聴いてみる 観てみる
でも心が動くことはない
曲が気に入って何度も動画を観ることだってある
声がいいなぁ、
カッコイイ、渋い、素敵
と思うことはあっても
引きずることはない


何でだろう?
 

引っかかっていた理由が何となく分かった

 藤井風の沼はワタシにとって安心して嵌まれる沼だからだ


清潔に消毒されたディズニーランドのジャングルのような沼

kazeワールドという多様な表情をみせてくれる美しい心躍るアトラクション


危険な香りがしたって、表現者としての危険であって本当に危ないことはない
振り回されて、人生狂いそうと思っても
曲が終わった次の瞬間には幸せな時間をもらうだけ

だって、決して傷付けないと言っている
それを貫いていこうとしている

安全で平和でこれからもっと拡がっていくであろう
どこまでも優しいその世界にできれば参加していたい

ぶっ壊したり、ガラスの上を針が滑るようなヒリヒリする引っ掻き傷はワタシにはもう必要ない
刺激は欲しいけど、荒々しくザワザワ揺さぶられるのは要らない

寄り道する時間はそんなに残ってないし
それほど器用でもない
穏やかで優しく、落ち着いて楽しく笑顔で暮らしていきたい人生後半

そう思っていても毎日やっぱり色々なことは起き
傷ついたり、泣きそうになったり、怒ったりする日々の中で
受け入れたり、手放したり、忘れたりすることで
どれだけ幸せな自分に気づくことができているか


年を重ねたからかもしれないけれど
できることなら
もう私は人生が終わるまで
彼の何処までも大きな愛の力と
あの宝石のような笑顔だけを愛して暮らしていきたい
もし将来、ガラリと方向性を変えて行くことを望んだときは、その時考えることにして


ヒリヒリを愛する人を否定するつもりは毛頭ない
とても魅力的な才能ある人が沢山いるから
まだこれから長い旅路があるなら
わたしもそうだったかもしれない


なんか、もやっとしていた自分の勝手な私感なので、
そんな考えるもあるんやねと思っていただければと思う



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