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2019.09.09 Chassol @Bilboard Live Tokyo

Christophe Chassolの公演があまりに良かったので、自分の備忘録を兼ねてここにまとめておこうと思う。

Christophe Chassol(以下Chassol)の公演を観るのは2016年のBilboard Tokyo の公演ぶり、Chassolを初めて知ったのは「四谷いーぐる」のJTNC vol.3の発売記念イベント。紹介されていた「Big Sun」のアルバムに衝撃を受けた。

参考: [いーぐる連続講演 第571回 (2015年10月3日)

『Jazz The New Chapter 3出版記念〜新世代ラテン・ジャズ特集』]


前回のBilboard公演では、すでにリリースされていた
Big SunとIndiamoreの2枚のアルバムを1st setと2nd set に分けての公演。当然のように2setぶっ通しで見た。

Chassolの音楽は、旅行記の様な映像、インタビューや現地ミュージシャンの演奏をコラージュのように繋ぎ合わせて、絶対音感的に拾われた楽音をメロディーとして進行していくというもの。
これだけ聞くと、現代音楽的には比較的聞き慣れた手法ではある。

参考:Steve Reich/Different Trains


実際にBig Sunのアルバムには"Reich & Darwin"というトラックもあり、なるほど進化論とミニマルを結びつけるか……などと、ミニマル好きの間ではひと盛り上がりできそうな話題ではあったりはするのだけど、それはまた別の話。

それでいてミニマルや絶対音感による言語の音符化といういかめしい手法を用いてChassolが紡ぎ出す音楽は、どこまでもポップでキャッチーだ。
そして、ライブでの映像と音楽が流れながらそこに生演奏のキーボードとドラムを被せていくというパフォーマンスも興味深い。

2013年作のIndiamoreではインド音楽のフレーズやリズムを持ち込んで、2015年作のBig Sun ではマルティニークの自然や人々の生活、奇祭(?)までを彼の語法の中に閉じ込めることに成功している

今回の公演では新作が聴けると聞いて、これまでの完成度の高さ故に期待と同時に、それと同じかそれ以上の不安を抱えながら席に着いた。

冒頭はIndiamoreを彷彿とさせる、五線紙への筆記の映像と朗読、朗読に合わせたメロデイー。正直、この映像と音楽が流れ始めた時が不安のクライマックスだった。主題を変えた同じ手法の焼き直しなのではないかと思い、Chassolらしい音楽に心躍らせながらも心の何処かで拭いきれない不安を感じていた。

ちなみにこの冒頭部分が流れている時、スピーカーからキーボードの音が聞こえては来るのだが、当のChassol本人は鼻歌を歌いながらその手は空中で無音の鍵盤をなぞっている。
前回のBilboard公演でも、一番不思議だったのがここ。スピーカーからChassolが鍵盤に指を置いていなくても自然と音楽が流れてくる。生演奏と録音音声の使い分けはどこにあるんだろう。極論、Chassolが一音も出さなくてもこのパフォーマンスは成立するのだろうか、などと考えているうちに画面は切り替わり、フランスの小学校(?)の校庭の映像に切り替わる。
子供達が遊んでいる映像が時に早送りになったり、短く繰り返されたりしながらドラムとキーボードの演奏が乗っかって行く…

次の瞬間、今日の公演の成功を確信した。

学校の映像の上に映し出されるドラマーの雑コラ、目の前で演奏してるドラマーが、画面の中でも気持ちよさそうにドラムを叩いている。
同じドラマーの完全なユニゾンを、時に違うパターンを、過去と現在の同一人物の映像と音を耳と目で行き来しながら体験したことのない感覚に唖然としていた。

新作の名前は「Ludi」、Chassol本人の口からは"Game"だと、紹介していたが「遊び」とかそれくらいの意味ではないかと思う。
子供の手遊びから、日本のアーケードゲーム、バスケットボール、東京ドームのジェットコースターの映像、1人ずつ順番に単語をつないで英文を作っていく簡単な言語ゲームなど、あらゆる遊びをChassolの音楽に再構築していく。

今回の公演で特徴的だと感じたのは、音楽への再生産の部分だと思う。
これまでのChassolの作品は、主に編集という作業とコード進行の付与によって言語や環境音を音楽に「見立てる」ものであったのに対し、今回はさらに音楽に見立てられた会話を、映像に映し出された(雑コラで空中に浮いている)コーラスやボーカルによって音楽として再演奏されるという場面が多数挿入されていた(そしてその映像ですらChassolの手によって再編集され、Chassolの音楽性の海の中に放り込まれていく)。

中間部、バスケットボールとフルートのための協奏曲(とフランス語で書いてあった様な気がする)もバスケットボールの(切り貼りされた)映像に合わせたリズムの上でドラムが演奏され、映像の中で雑コラのフルートの演奏が繰り広げられる様は新鮮だったし、見慣れた東京ドームのジェットコースターの映像と音楽はスリリングで、ビルボードの大きなスクリーンに映し出される一人称視点の映像には思わず体が傾いて平衡を取ろうとすらした。

後半の言葉遊びに乗せた音楽には、言葉遊びのせいで産み落とされた狼の群れたちがアニメーションで疾走し、ジャミロクワイか何かを歌いながら踊る子供の映像とともに映像と演奏を終えた。

前回を超えることなどないかもしれないと思っていた音楽体験を悠々と、まるで遊びの様に超えていくChassolのパフォーマンスにはただただ呆然とするしかなかった。

そこではたと気付く、これはChassolの音声から音楽への再生産であり、それと同時に「遊び」をChassolなりの音楽へと変容させていく彼なりの「遊び」への再構築だったのではあるまいかと。

そんな特異な体験をさせてくれた、Chassol Bilboard Live Tokyo公演だった。
Chassolにまだ触れたことのない方はまずはYoutubeや各種サブスクリプションからアクセスできる旧作を是非見てみてほしい。そして叶うことなら次回の日本公演には是非足を運んでみてほしいと思う。

https://youtu.be/nv2JeWyrf4o

・その他所感
→ドラマーMathieu Edwardの貢献度の高さ、マーチングのドラムラインの様なドラムさばき、すごい。
→Christal Kay歌上手い
→Christal Kay エレベーター乗りすぎ
→日本で撮影した映像が使われています、から全く想像できないチョイスで、東京ドームのジェットコースターが映った瞬間は笑いが堪えられなかった。

Fukuda-Gumi Jazz Orchestra
Web:http://fukudagumi.mystrikingly.com/
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twitter:https://twitter.com/fukuda_gumi

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