おれは、弱い活動家
自分は全然、全っ然、活動家には向いてないと思った。
最近、身近なところでトランスヘイトの案件に関わることになり、1日で心身が悲鳴を上げた。
他のアクティビストの人たちが、すごいスピードと熱量で声を上げ、情報を集め、戦略を練り、論理を組み立てる横で、俺は動かない頭と痛む体で呆然とその様を眺めていた。どうにかついて行こうとしたけれど、知識量もノウハウもスピードもタフネスも、全然及ばなかった。
この間、俺がしたことといえば、ただ痛んでいることくらいだった。
分断に痛み、抑圧に痛み、分離させられ心をひらけないことに痛み、それが全くケアされないことに痛んだ。
自分の身近な場だと、こんなにも痛むものかとちょっと驚いたし、日頃活動家を自認しているのに、近いところではこうも鈍感になり、動けないものかと愕然とした。
なんもできひんやん、俺。口だけやん。
仲間を盾にして、安全圏で自分は見て見ぬふりをしていたと、自分で自分を責めた。
社会をどうにかしたいという願いと情熱は、かなり強い方だと思う。
けれど、メンタル弱弱ですぐ傷ついてしまうし、傷ついたら即座に体に出て動けなくなる。
状況や関係者・関係機関の関係性や力関係を俯瞰して政治的に動くことも下手くそだ。(そもそも広く長く俯瞰して現状把握するのが不得意)
その割に下手に発信力があるから、自分で自分を取扱注意だと感じる。
ほんと世が世なら簡単に独裁者とかに取り込まれていいように扱われてたと思う。
自分のそういう性質を知っているから、どんなところに身を置いて誰と過ごし、誰の話をどう聴くかを本当に気をつけないといけないと思う。
影響されやすく、視野も狭く、感情に振り回され、体力もなくて。こんな自分は、活動家なんて恥ずかしくて言えないと、思った。
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でも、大事な友人が言ってくれた言葉があった。
「Heeくんは、みんなが感じていない(感じられない)感情を、みんなの分まで感じてるんだね。Heeくんにばかり負担をかけて、ごめんね。」
それまでは、感じすぎることを、責められているような気持ちになることがあった。
繊細だと言われることが大嫌いだったし、社会運動に関わり始めてからも、凄まじくタフでハイスピードな先輩たちをたくさん目にして、そんなふうに動けなければ社会を変えることはできないのだと思ってきた。
けれど、どうしたって自分の性質は変わらない。
感情を感じやすいし、感じたものが自分自身に大きく響いてしまう。逐一感じるからスピードも遅いし、体調にだって現れるから頻繁に活動は止まる。
抗わなければと言われる相手の痛みも想像してしまい、どうしても強く出られない。相手も人間だと思ってしまう。
これはバウンダリーの弱さゆえで、克服しなければならないことなんじゃないかと、いろんな学びをしてきた。
けれど自分の繊細さ、感じやすさはずっと付き纏ってきた。
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もうこうなると、繊細さとは乗り越えるべき弱みではなく、これが自分の武器なのではないかと思い始めてきた。
弱いアクティビズム。
痛み嘆くアクティビズム。
そう言えば、先輩にも、相棒と共に「君たちは新しい社会活動家」と言われたっけ。
その理由は、痛みを置いていかないから、だった。
俺の痛みは、感じる感情は、多分俺だけのものじゃない。
俺だけのものじゃない膨大なエネルギーを感じてしまうから、心身がパンクするのも当然かもしれない。
感じるロールをどうにか降りたいと思ったけど、自力ではできなかった。ならば、ケアをしながら意識的にそのロールを積極的に取っていこう。
どこまでも純粋に、痛み、嘆くことで、感情の存在を社会や関係性に返していく。
ないことにしているその感情を、みんながきちんと感じられるように、俺が表現してリリースしていく。痛みからつながっていく。
感情を肯定する。
それってアクティビズムなのかもしれない。
今までにはあんまりなかったモデルだけど。
綺麗事だとか、理想とか、甘いとか、そんなこと言ってたらすぐ死ぬとか、自分の中でワーワー声がする。
でも、綺麗事も理想も語れないなら、そんな社会意味あるか?
それを目指さなくて、希望なんてあるか?
人は弱さで繋がるのだと、学びの中で知った。
弱さを晒すのは皆怖い。弱みを見せると負けだと思ってる。
感情的であることは恥ずかしいとされ、抑圧できるのが大人だとさえ言われる。
でもそうかな。弱さを出せる人って俺は最高にクールだと思う。
その出し方だって、トレーニングできる。
なかなか自分自身には適用しにくい考えだけど。
俺は一番に弱みを見せるアクティビストでいよう。
感情と、その奥の願いの、表現者でいよう。
暗い社会でも、理想や夢を指し示す教育者でいよう。
こんなあり方に、近々名前をつけよう。
名前があると、そこに夢を見る人がきっと現れる。
自分のアクティビズムを追求したい。それを実践した先に、どんな世界が現れるだろうか。
1人じゃ無理だから、支えてほしいし仲間がほしい。
そしてすぐに忘れて見失うから、何度も思い出させてほしい。
感じることは強さだと、どうかそばで言い続けてほしい。
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