見出し画像

この経験は、孤独ではないことを知るため②

孤独は人生の大きなテーマである。
幼少期から、孤独に痛み、孤独を克服するべく奮闘してきた。

振り返ると、大きく2つの戦略をとってきたと思う。

1つめは「繋がりがあるからそもそも寂しくなるので、繋がりから離れる/切る」

環境整備型の戦略。
繋がっているとか、居場所があるから離れたり切れたりするのが痛いのであって、ハナから親しくなるとか思い入れを持たない方が辛くないのでは?という発想からのこれ。

子どもの頃だと、グループに属さないとか親しくなる動きを避けるとか(交換日記とかプロフィール帳とか鬼断ってた)してた。
中高生くらいになるともう少し波風立てないかたちで、「一匹狼ボーイッシュキャラ」的に振る舞ってた。
いつメンとかハイパー憧れてたけどな!!!
ほしかったわいつメン!!!

それでも寂しさに負けて親しくなる人は出てくるが、そういう時は段々自分から距離置いたり離れたりして、でも寂しさとの間ですんごく葛藤してた。
何してるんでしょうね。そして相手のことなんも考えてないね。当時は信じられなかったけど、相手も俺のことを友人と思ってくれていたろうに。でもその時はそれしかできなかった。

大人になるにつれ、自分でも気づかない程にナチュラルかつ巧妙にこの動きはしてる気がする。

もはやよく訓練された、自動で動くシステムだ。

2つめは「孤独でも平気でいられるようにトレーニングを積む」

自己鍛錬型の戦略。
孤独でも(1人でも)生きていけるようにトレーニングを積んだ。
セクマイが早い時期から勉強したり手に職をつけようと専門学校行ったりするのはあるあるなんだけど、俺の場合は何故かそっちに全く頭がいかず。
一貫校に入ってて、なんとなく進路が決まってた感じだったから、キャリア教育とか全然なくて、いろんな働き方とか生き方とか知らなかったのかな。ドラマとかもそんな好まなかったしな。
進路指導とかキャリア学習の機会が何度かあったなら、もう少し考えていたのかも。
そう思うと早いうちから若者にはいろんな生き方を知ってほしい。ほんとに。

閑話休題。

トレーニングについてだけど、資格や専門学校などの発想を持たなかった自分は、もっぱら精神修行や思考のトレーニングに向かった。
「心が強くなれば、孤独の痛みを感じない強い心になるんじゃ」と期待を抱いていたのだね。

教育や心理学や哲学、ビジネス系の思考のトレーニングやモチベーション管理、ポジティブシンキングみたいなの、スピリチュアル、様々なセラピーやカウンセリングなど、大学生頃から関心を持っていろんな学びに出て行った。

金も時間も大量に費やしたし、詐欺みたいなのもめちゃくちゃあったけど、自分としては命と引き換えくらいの感じだったのでセミナージプシーしてたなぁ、、
そしてそういうスタイルで学ぶと、ほんとに繋がりは得られなかったように思う。

段々変わっていって、中には繋がりを感じたり、暮らしに関係性が広がって学び仲間かつ友人と思える人たちもぽつぽつできるようになった。

ただ、今もそういう気はある。
学びで自分の欠乏感を埋めようとするところ。
でもだいぶ目が肥えて、本質的で、本当に自分に必要なものに絞られてきた気がするし、学びのコミュニティでの自分の振る舞い方も頑なさは少し和らいできたかな。

まぁこんな戦略をとっていても、心も、なんなら体も強くならんわけで。
体にいたっては弱る一方なわけで。

今回何度目かの闇期になり、いまその回復の道を歩んでいて、なんか今までの世界観が根本から違う感じがしてきた。

そもそも何で自分が孤独であることを受け入れているのだ。

孤独を動かしがたい圧倒的なものとして、受け入れた上で考えても幸せになれなくね???
だってもがいたって「俺は孤独だ」から出発してるんだから、それを確認する一方では???
お釈迦さまの手の上ってね。

まずは、孤独を拒絶すること。
拒絶…強いかな、いやでもそれくらいの勢いが必要。
一旦、べったりくっついていたものを、ドンっと押して距離を置く。

『俺は孤独はもう金輪際いやだ。
繋がりの中で生きたい。
そして豊かな繋がりの中で
生きられると知っている。』

そう宣言したら、なんか根本的に変容する気がする。

いつくるのか分からぬ別れを見るのではなく、今と未来の繋がりを育むこと。

耐えるのではなく、寂しさも孤独も曝け出し、弱さと生きること。

今までもそちらに目を向けることはあったが、【実際に「繋がりを生きる」としたら?】という問いを握り直す。

もっと本気で、恥も恐れも捨てて、繋がりが必要、欲しいものを欲しいって動き出してみたら。どうなる?

もう俺、それだけでいいのかもしれないな。

愛する人たちと語り合って触れ合って、安心する場所で寛いでいられたら、それだけで満たされて生きていけるのかもしれない。

一番欲しいものが一番怖かった。

でもこのまま孤独を受け入れて生きてたら、多分体は弱る一方だし、大きく調子を崩すことはこれからも起こるだろう。
年も重ねるし、なんならもっとやばいことにさえなるのでは?

孤独を拒絶する。No!!!!!

もうそっちはみない。死ぬので。
そうして一度きちんと孤独から離れたら、いつか一体化せずに、孤独とさえも共に生きていけるんじゃないか。

人や自然と繋がりを実感しながらたえず生きられたら、どんなにいいか。

本当の本当にほしいものが、やっと見つかったのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?