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【あと96日】この経験は、孤独ではないことを知るため①

少し鬱から距離を取れるようになり、また直接的な原因になったと思われる事柄についても少し時間が経ったので、ある程度俯瞰的に振り返れるようになってきた。

かなりきつい時期に師との個人セッション(月1の、カウンセリングやらコンサルやら諸々ミックスになったケアの時間)が入っていたので、そこでも改めて伝えてもらったことを思い返している。

経験そのものというよりも、このタイミングで、他でもない自分という人間に起こったインパクト。

それにはどんな意味があるのか?
この経験は、俺に何を伝えようとしてるのか?

そんなことを思いつつ、過去2-3度あった長期のデカい闇期のことにも思いを馳せていると、ピンと来た。

いつもそれはいきなりやってくるのではなく、日々の痛みや我慢が積み重なった末にトドメの出来事が起こって、
数ヶ月〜半年くらい寝込んだり、身体が固まって動けなくなったり、メンタルが危険レベルまで落ち込んでいた。

そしてそのきっかけになることは、断絶を感じ孤独を強烈に感じる事柄であり、
闇を長引かせるのは、一人で抱え込むとき。

抱えてもよくならないんだ。
寝ても眠りは浅く、体の固まりは解けない。
頭は自責と無価値感・無力感でいっぱい。

そんな中、心許せる人や安心できる場で、ただゆっくりと過ごしたり、自然の中で過ごす中で少しずつ癒されていった。

今回は条件が違う。

まず吾郎さんがいる。
これが究極のでかい要因。

『ダメな自分でも、何一つできない自分でも、なんなら足を引っ張ったり迷惑さえかけても受け入れられる、愛される』

これを本当に体験として知った。

今までも相棒や仲間や友人の中で少しずつ体験させてもらったが、吾郎さんと過ごす体験は時間も濃度も一層濃いので、腹落ちした感がある。

「俺、ほんとにいるだけでいいのかもしれない」
「何者でなくとも、そばにいることが喜ばれる、必要とされるなんてあるんだ」

これ結構なパラダイムシフトよ。
世界観がシフトしてきてる。

「いなくていい、いやいない方がいい」から、
「いてもいい、いた方がいい」へ。

前にガンと落ちたのが2021年〜2022年くらいだったので、それまでトレーニングをして自分のケアに取り組んだり俯瞰の視点を身につけてきた下地もあったのかもしれない。

長期スパンで見ると、株価のグラフみたい。
アップダウンありながらも、よくなってる。

この感覚は場にいる時のあり方としても出ていたようで、一緒に場をやっている相棒からも

・いつもよりナチュラルな感じ
・安定感がいつもより増していたようで心強かった
・自分への慈悲が育ってる、そのままの神聖さが出ていた

とフィードバックをもらって驚いた。
おお、あり方に出てきましたか!うれし!

これ書いてみたものの長くなるな。
②に続きます。

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