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ポケモンとくじ引きと、素敵な勘違い

基本的に「本気で願えば、いつかは絶対手に入る」と信じている節がある。
これは人間全般っていうより俺個人の人生において、ですが。

一見ネクラな俺が、自分を「すごく根暗に見えるけど底の底の方では根明」だと思っている理由がここである。底の底では楽天的なのだ。

先日、友人と行った対話会の中で、自分がなぜここまで”願いは叶う”の確信を持っているのかの原体験を思い出した。

小学校1年生の時、ゲームボーイソフトの『ポケットモンスター赤・緑』が発売された。
瞬く間にポケモンは子どもたちを虜にし、全国にポケモン大ブームが巻き起こった。猫も杓子もポケモンポケモン。その熱狂の渦の中に、俺もいた。

ネットもSNSもない時代にどうやってあんなにもポケモン情報を収集していたのか今では全く思い出せないが、とにかく俺も例に漏れず、ポケモンが大好きだった。

しかし、大いなる悲報。
我が家ではゲームが禁止だったのです。どーーーーん!!!

ゲーム禁止なので当然ゲームボーイはない。
ファミコンもスーファミも、家庭用ゲーム機は我が家に一切ない。こんなにも愛しているのに。

しかし俺のポケモン愛は止まらない。

毎朝ポケモンパンを食ってはシールを集めて冷蔵庫や箪笥にシールを張りまくり、『小学○年生』みたいな雑誌をポケモンのシートの付録欲しさに親にねだり、古本屋で攻略本を買ってもらいボロボロになるまで読み込み、自由帳にポケモンのイラストを描き散らし、ポケモンカードを買ってもらってデッキ作りに夢中になり、「ポケモン言えるかな?」を完璧に歌いこなし、近所の駄菓子屋のガチャガチャに通い詰めてメタルの小さなポケモン人形を集め…

結果、「ゲームを一切持っていないのに、ポケモンの名前もその進化もレベルも技も攻略法も異様に詳しい」という、ポケモンオタ小学生が爆誕した。

当然、ゲームへの憧れも増すばかり。
誕生日もクリスマスもポケモンをリクエストし続けるも、毎回たまごっち(しかもメスっち)とか、レゴとか、別のものが届く。

違う、そうじゃない。と鈴木雅之になる小学生。

家にないのに、手持ちの6匹のポケモンをどの組み合わせにするか来る日も来る日も考え「おれのかんがえたさいきょうの6匹」を練り続けるような狂気を日々高めていた。

そして遂には、家でできないので友人の家に行って友人のゲーム機でポケモンを遊ばせてもらっていた。
一度なんて、習い事に出かけた友人を友人の家で見送って、自分だけ友人のゲームをしていたこともある。今思えば普通にひく。

時々SNSで話題に上がる、家でお菓子を禁止されている子が、友達の家で狂ったようにお菓子を食べるあれである。
あの手のニュースを見るたびに、ポケモン餓鬼だった我が身を振り返って今でも背中が寒くなる。ほんと、強すぎる情熱は抑えてもどうせ他所で爆発して、ことによっては人様に迷惑をかけるから、ほどほどにしたほうがいいと自分の経験から思う。

とまぁ、それほどまでに溢れる情熱が、ある日突然報われることになるのです。



忘れもしない、小4の夏のこと。

従兄弟の家の近くでは、毎年少し大きめの夏祭りが催されていた。

割と広い野球グラウンドで、花火もあがっちゃうような、豪華めな市民の夏祭り。地元の企業や名士の名前を記した赤提灯が真ん中の櫓に連なって、出店が立ち並び、中高生のお兄さんお姉さんはみんな浴衣でやってくる、高揚した空気の夏の夜。
俺が子どもの頃は景気がまだよかったのか、来場者に番号が配られて、景品が当たるくじ引き大会が催されていた。

ステージ上には旅行券やお米、自転車など豪華景品が並んでいる。
何気なく眺めていた俺の目は、一角の箱に吸い寄せられた。

あれは…我が友、ゲームボーイではないか!?!?!!

それもみんなが持ってるゲームボーイポケットじゃなくて、ゲームボーイカラーだよね!!!?

もうそこから、俄然やる気。

しかし、親の機嫌を損ねることを恐れて、誕生日やクリスマスなどでねだることをとうにやめていた俺は、ここで「ゲームボーイが欲しい」と訴えることには慎重になっていた。
下手したら祭りから早めに引き上げてしまい、くじ引きにも参加できない可能性もある。

まずは絶対に最後まで残り、くじ引きに参加することだ。
なんなら、そんなに関心がある感じにも見せないほうがいいかも。そうだそうだ、「もうゲームになんて興味もちませーん」みたいな顔をしておこう。
(と必死に考えていたが、大人の目から見るときっとバレバレですごーーーーーーく物欲しそうな目や表情をしていたと思う。恥ずかしい。)

とまぁ、与えられる綿菓子やかき氷などはしっかり平らげつつも、俺はくじ引き大会の訪れを待った。

ポケットの中の、番号が書かれた紙は、握りすぎて汗で湿っている。
どうあっても買ってもらえない以上、今日のように「偶然手元にやってくる」なんてことでもないと、きっと俺がゲームを手に入れてポケモンを自力で楽しむ未来はやってこない。これがラストチャンス。

遅々として進まなかった時間はどうにか過ぎて、いよいよ運命のくじ引き大会がはじまった。
それでも、心配事は尽きずに俺の心臓はうるさく鳴り続ける。

会場には大量の人がいる。当たった人から景品を選んでいくので、俺より先に当たった人がゲームボーイを選んだら即アウトだ。
さらには、他の家族が当たってもNG。頼み込んでもきっと選んでくれないだろう。

つまり、「他者がゲームボーイを選ぶより先に、他でもない俺が持つこの番号が当選すること」が条件だ。

かなり緊張した。
児童会の選挙で、全校生徒の前でスピーチした時より断然緊張した。

ドクン。 ドクン。

くじ引きが引かれ、歓声を上げたおっちゃんおばちゃんたちがどんどん壇上に上がる。子どもが当たった時は、ひゅっと息を呑んだ。
彼らが別のものを選ぶと、ほーっと息を吐いた。

まだか。まだか。
自分の紙を何度も眺める。もう汗でよれよれになっている。

こい…こい!!!!

「●番!!!!!」

司会が張り上げた声が耳に届く。
それは、俺の紙に書かれた番号と、同じだった。

「……???」

聞き間違いかと戸惑っていると、そばにいた叔母が「当たってるやん!!!早よ行っといで!!!」と俺を急き立てた。

当たった、当たった!?!?!

ステージに向かって矢のように駆け出す。ステージ上で満面の笑顔で迎えてくれたおっちゃんを尻目に、景品に駆け寄る。
けれど一瞬「本当にゲームボーイを手に取ってしまっていいのか?親に叱られないだろうか」と恐れが浮かんで、手が止まった。

あの時間は妙に長く感じた。
本当にいいのか。隣の自転車とかじゃなくて。持って帰っても叱られたり、取り上げられて返されてしまったりしないか。

けれどそれでも、こんなにも願い続けた欲しいものに嘘はつけなかった。

「もう、持って帰って叱られてもいい!」
そう思った俺は、震える手で、ゲームボーイを手に取ったのだ。

おずおずと家族の元に帰ると、「仕方がないな」という表情で両親が迎えてくれた。
諦めたような苦笑で母が言った。
「ずっと欲しがってたもんなぁ。当たってもたらしゃあないな。」

勝 っ た !!!!!!


あの瞬間、俺は「本気で願った願いはいつか叶う」と確信したのだ。

その後、本体だけあっても仕方がない、と、親はソフトを買いに行ってくれた。
今度は迷わず ”ポケットモンスター・ピカチュウ” を選んだ俺は、1日1時間、という親との約束にゆるやか〜に抵抗しつつ、ピカチュウを連れて旅を大いに楽しんだ。
そして小6に上がる頃には、1.5を記録していた視力をしっかり衰えさせたのだった。

あの原体験は、俺のセルフイメージに
「本気で願えば、いつかは絶対手に入る。俺にはその気合いがある」
「俺は凄まじく運がいいし、なにかに助けてもらっている」
という素敵な勘違いを植え付けてくれた。

でもそれでいいのだ。自分さえ信じられることなら、それはほんとうのこと。

今ではあんなに焦がれたゲームボーイは実家の箪笥に静かに眠っているし、ゲームもめっきりやらなくなった。
でもそこからもらったものは計り知れない。

いつもいつでも上手くいくなんて、保証はどこにもないけど(そりゃそうじゃ)

でも俺はやっぱり、欲しいものを欲しがりたいと、思っています。

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