あなたがあなたのままでいられますように
今朝、吾郎さんに支えてもらいながら久々にしっかりと泣いた。
他者の「ありのまま」「わたしはわたし」が満たされない現状が痛くて辛くて、
そこに何もできない自分の無力さが情けなくて、
環境に関係を分断される社会のありように憤って、泣いた。
俺は恵まれたセクマイだと、常日頃から感じている。
ほぼフルオープンで暮らして、
自分に合った服装や髪型、一人称、トイレを始め施設を使えて、
理解ある仲間や家族や頼れる師がいて、
そのままでそばにいてくれるパートナーがいて。
辛い時は嘆く場所や休めるところをもっていて、
何かあれば相談できる先などのリソースを知っており、
それを使おうと思えば使える経済状況や気構えもある。
豊かさを手にしてくると、そうでなかった頃のリアリティが薄れてくる。
どこにも所属できない心許なさとか、
クローゼット(自分のセクシュアリティを隠すこと)で過ごす緊張感とか、
「こんなものだよね」と諦め自分を宥めるときの切なさとか。
そのことが、時に恐ろしい。
自分は性的マイノリティの一員だが、他のセクマイさんのことは本当にわからないと痛感することがある。
当然なのだが、一人の人の集まりなんだから、セクマイ内も物凄く多様だ。セクマイでない人々がそうであるように。
見渡せばいろんな人がいる。
家族や友人に否定されたり
日常的にクローゼットで暮らしていたり
恋を(そうしたいと思いつつ)諦めていたり
そんな視界から自分を振り返り、自分を恵まれていると感じる時、その豊かさを満喫することがとても難しい。
別に俺が苦しもうが喜ぼうが、他者の状況が変わるわけではないのだけど、どうにも自分が能天気に自分の豊かさを享受することを許せない。
自分の持つ豊かさに耐えられない。
罪悪感なのか無力感なのか、持っている、ということの不平等性が耐え難い。
俺は、みんなで幸せになりたい。
みんなといったとき、それは本当に「みんな」だ。
ただのひとりだって、ひとりぼっちだったり、じぶんのままでいられないことがないように。
そんなことは夢だと思うけど、叶わないと思う時、俺の心は凄まじく痛む。
なにひとつおいていかないなんて、できないって、知ってる。
でも言わずにいられない。
そうじゃないと、痛いから。
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