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夫への最後通牒の手紙

具体的な話し合いは来週だけど、夫に以下の手紙を送った。

彼は一人でいられない人(温もりを感じられる女性がいないと不安)なので縋ってきているのだけど、過去に付き合っていたお子さんのいらっしゃる人妻(お子さんはすでに成人かな?お子さんとも顔見知りのはず)と改めて連絡でも取ってもらって、また体の関係を持てることがわかれば、あっさり引いてくれると思っている。人妻の方も奔放な方のようなので、まあ100%大丈夫でしょう。

この人妻(S、と夫はあだ名で呼んでいる)は夫がおそらく「女」(あえて女性とは言わない)としては一番好きな相手で、胸が大きく、体の相性がいいと関係を持ち始めた頃の日記に絶賛されていた。私は直接会った事がないけれど、夫のFacebookの友達の一番上にいつも上がってきていたので印象に残っていてよく覚えている(当時は関係を知らなかったが)。

彼女のプロフィールは夫のアメリカ留学時代(トップMBAスクールの一つ)の後輩(歳は夫よりも上)。当時すでにいたお子さん(留学に連れてきていた、どうやら家族で来ていたらしい?)とも会っていたようだ。夫は当時Sとの結婚も想像したようで、子供のことも愛せると思うけれど、相手が別れないだろうと書いてあった。はじまりは、彼女が勉強を教えて欲しいと言ってきたことだったそうな。

関係を日記で知った時に現状を聞くと、留学の終わりとともにきっぱりと別れたと言っていたけれど、その後日記のデータを見たら、彼が日本に戻ってきて、彼女が日本でBコンサルのインターンをしていた時にも彼女のアパートに入り浸り、その後金沢にも一緒に旅行したと書いてあった。そして、その後も定期的に会い続けていて、恋人の一人だったのは間違いない。

彼女はキャリアのスタート時は銀行員で、ずいぶん年上の人と社内結婚をして早くに子供をもうけたそうな。夫には、「私はこの程度の結婚しかできない(美人じゃないから?だったかな?)」と言っていたようで、上昇志向が随分強い方なんだな〜という印象がある。その後、トップMBAに入るために韓国系のとあるベンチャー(今は超有名)に転職して、キャリアに箔をつけて戦略的に入学したようだ。ギリギリで入学した、と本人は言っていたようだけど、どうなんだろうね。

彼とSは10年を超えて関係を持ち続けていたようだ。2012年1月に書かれていた日記には、「Sとはたまに会っているけど、そこは何とか一線を越えないでいる」と記されている。結婚後に日記を読んで事態を知った私が現在の状況を聞くと、もう連絡は取っていない状態とのこと。「ちゃんと別れてほしい」と何度も伝えて、ようやく「また間違いを起こすわけにはいかないから会えない」と夫がメールを送った。しかし、初めは「今後も会いたい」と言っていたことを、どうして私は当時見過ごしてしまったのかと今でも後悔している。

偶然にも免れたが、結婚後の1月か12月だったかな。この留学時代の先輩後輩たちが結婚のお祝いをしてくれるということで、彼女も集まりに来ることになっていた。私も誘われていたけれど、体調を崩して欠席したため会うことはなかったが、その時は日記を読んでなかったから、バカみたいに行かなくて本当にラッキーだった。彼女が来ていたのかどうかは聞いてないけれど、メンバーのメールに幸さんは「その日は会議が遅くからあるから行けたらいきます〜!」と返事をしていて、夫に聞くと「やっぱり遠慮したんじゃない?」とのこと。

夫曰く、私と付き合ってからは関係も持っていないし、2人で会っていないから別れたようなものだ、と言っていたけれど、彼女が遠慮するような関係だったら終わってないじゃんね、と私は思う。

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子供たちのお世話で大変な中で、沢山伝えてくれてありがとう。

私もきちんと話す時間を持てたらとても嬉しいです。外で話すのがいいのかなと思います。

ただ、話す前に、私の理解していることを伝えさせてください。この内容への返事は、話し合う時までなくていいです。大変だから。

これだけ長い間わだかまりが残るのですから、日記で知ってしまった女性観や女性関係、そのほか実際に起きた様々な出来事は、私の器では受け入れることは無理と考えるのが妥当です。

私にとっては問題が大きすぎるので、今回話す機会を設けたらあとは時間が自然と解決するということも、これまでの結果から、まずないでしょう。

知り合って何年も経つのでお互いわかるように、たとえば胸についても、**さんは、話し合ったあとには、一度話したのに何でわからないの?僕は好きだから結婚してるのに、ちょっと言われたことを何で引きずるの?とまた感じるでしょう。

男性が女性の容姿を評価して揶揄うことは日本社会では許されているし、そんな男性を「もう、デリカシーないのね」と、軽く流して変わらずいられる女性が「できた女性」だと考えられていることは、私も知っています。**さんも、女性の容姿を揶揄うことに疑問を持っていなくて、それを冗談で流してくれて、ほんとにデリカシーないのね、と、変わらず愛してくれるパートナーとなら自然でいられると思います。

でも、私は男女共に容姿を揶揄うことはしたくないし、絶対にしてはいけないことだと個人的に考えます。人の顔体を評価できるほどご立派な人なんていないと思っています。そして、傷つけられた方が受け流せないことを責める構図はやはり違うと思います。デリカシーがないと済ませるのは、単なる甘えだと思います。

相手の容姿を言葉で傷付けるけれど、愛があれば、相手は受け入れられるはず、わかるべき。それが愛だと思うのなら、私はそんな愛は求めていなくて、距離感と節度を保った他人の関係で充分です。

欠点だと思わずに言った、というのも聞きますが、言った側が欠点だと思っていなければ、言われた相手が傷つけられたと感じる言葉なんて滅多に出てくるわけがないと思うんです。言い方なんていく通りもあるのに、一般的に悪く取られる表現をわざわざ選んで使うことがどうして容姿に触れる時だけうっかり起こるのでしょう?会社の会議では適切な言葉で話せるし、普段の会話も普通なのに。それが私の理解です。

Aさん?だったかな?デンバーでのご夫婦の姿が理想なのかもしれませんが、私は奥様は当然傷ついていると思います。何らかの理由があって見せないのだと思います。

女性の容姿を揶揄って怒らないことを愛情のリトマス試験紙のように考えている人が多すぎると私は感じます。もっと言えば、女性の容姿を評価して揶揄う権利が息をするように当たり前に自分にはある、と考えていて、そのことすら気づいてない。そして、相手が傷つけられて怒っていると「気難しい女」だと男性は手厳しく批判して、逆に怒ることすらある。

戯れあいがしたければ、もっと他のやり方があると私は思うけれど…

このような価値観の違いは、これまで2人がかけてきた時間やエネルギーから考えて、話しても埋められないと思います。お互い求めるものが根本的に違うのだと思います。

容姿について何か言われた時の対応だけでなく、そのほか、**さんが自然に心地よくお付き合いができて、相手の女性も幸せでいられる。その関係に必要な器は私には無く、持つ能力も残念ながらありません。これも、もう時間とかけてきたエネルギーが充分に証明しています。

お互いこれ以上疲弊する前に、別々の道を行くのがいいと、個人的に思います。

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ほんともう無理だよ。

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