すずめの戸締まり感想
もういつ観たか忘れちゃったんだけど年末くらいにすずめの戸締まり観て考えた事を書いていこうと思います。
もう観たくはないけど良い作品だと思います。
以下ネタバレ
まとめ
・草太の代わりに「私が要石になる」と言ったすずめが一番印象に残ってます。
あの時のすずめの心情を私は次のように読み取りました。
・世のため人のため必死になって貢献している人が、自分の命を犠牲にして人を救おうとしてる。同じ命をかけるのであれば、特に夢も無い、人を救う力もない、私の命を使った方が、世のため人のため。何もしなくても、生贄になるだけで世の中の役に立つのなら、私の方が良い。
思った事
1.地震起こさないことができるのすごい
・地震が起こりそうなのが見えるだけならまあ科学が発達していけばあるんかなと思うんだけど、扉閉めたら地震起きないって本当に夢物語だと素直に思った。
予言とか予兆とかはわかるんだけどそれを防ぐ役割があるって。え?止めれちゃうの?そんな贅沢していいの?って気持ちになったよね。
ありそうで無かったのでは?私が知らないだけだろうけど。
これはめちゃくちゃ切実な夢だと感じました
人身御供は無駄じゃなかった、あの人達は無駄死にじゃなかったんだっていう供養も感じました。
2.地震起こさないことができちゃうとその人の責任ってどうなるの
・普通あきらめるしかない地震を止めることできる存在。それが自分だったら止められなかった時のメンタルってどうなっちゃうんだろうね。でも正直止められなかったって経験ないと自分でも信じられなくないかい?魔法みたいなの使えるからそうでもないのかな。
責任感ある人がやると短期的にはたくさんの人が助かるんだろうけど心身への負担がやばそう。成功してる間はいいんだろうけど、失敗しちゃったときもうボロボロになっちゃうのかな。
人間のことどうにも思って無い人がやると失敗することもあるだろうけど長期的にたくさんの人が救われる気もする。多分に失敗することもあるけど任務は長く続けてくれるとか。
代々受け継がれてきているものだからそういう教育はしっかりしているだろうし、ノブリス・オブリージュの精神的なものをしっかり持たせて、自分の心を守る方法も教えるでしょう。
できちゃう人はボロボロになりながら皆救おうとしてくれるだろうし、できない人は、長期的に見れば長く救えるよと自分に言い聞かせながら無感情に義務をこなしていくのかな。
辛すぎるように思うんだけど。
あんな存在が世に知られたらどうなっちゃうの?失敗したらめちゃくちゃ責められちゃうの?まあ私が未然に防ぎました~って言っても誰も信じないんだろうけど。
あんなクソ重い使命の人がそれ兼業でやってるのも正直無理では?
仕事休む時とかどうすんだろ。だって、休む理由とか言えないわけでしょう?
明日いかなきゃいけない会議あるけど、地震おさめにいかないと…
誰にも知られないように子ども育てながら働くぐらい無理では?
とか思ってるんだけどこれ何でこんな事思っちゃうんだろうな。
なんか頑張ってる人が負担を全部負っちゃってたり、頑張ってるのに周りの協力が得られない故に違う方面の人に迷惑かけてしまう事になっちゃうという構図が嫌なのかもな
人々を救うことに誇りを感じてそれに幸せを感じていなきゃまあそういう事はできないんだろうけど、その見えない幸せの為に、見える部分では誰かに理解を得られない迷惑をかけちゃうって構図が嫌なのかも。せめてその事に理解がある職場じゃないと絶対辛いよ…自営業でもないんだもの。でも言えないわけでしょう?
教師志すのほんと頭が上がらんのだけど、本人が「俺日本救ってるしまあ別にいいでしょ」ってマインドでサボりまくるキャラならすごく良かった~ってなるけど草太さんそんな感じじゃなさそうだし。そこらへんどうやって折り合いつけるの・・・
って思うと閉じ師代々続かんやろとしか思えなかった。
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