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蕗ノート 赤ちゃんの逆襲

18歳の時、「都会の1LDKで洋風な生活をしている家族に育てられた赤ちゃんはハイハイする場所がないから、ハイハイでつくはずの筋肉がつかないうちからイスなどで捕まり立ちしてしまう」と教職課程の授業で教わった。

その時に、私は自分が小学生時代を過ごした秋田県旧合川町の山村留学施設を思い出していた。
今では利用者が減って休園に追い込まれた山村留学施設「まとび学園」は秋田杉で作られた広い建物で赤ちゃんがハイハイ出来る長い廊下と20畳くらいの畳の部屋がある。

狭い部屋で赤ちゃんが育っている都会
広い部屋が余ってしまっている地方

ここをマッチング出来ないものなのだろうかと思いながらも何も出来ないまま日々は過ぎ

それから10年、都会では100mを走りきれない子どもや25m泳ぎきれない子どもが、山形でもターザンロープから落っこちてしまう子どもが増えているそうだ。

先日、お世話になっている鶴岡ナリワイプロジェクトで思い掘り下げワークショップを行った。自分のこれがやりたい、あれがやりたいという想いを掘り下げて考えるワークショップ。

私は
「赤ちゃんを育てられる場づくりをしたい」
と考えていた。

なぜ、そうなのだろうと考えた時に
「赤ちゃんを産んだ友人たちが大変だから二人目いらない」って言っていることや
「自分も赤ちゃんを育てられるのか不安」だと思っていることが浮かんだ。

なぜ赤ちゃんを育てるのが大変で、不安なのか
を考えたら、一人でやらなくてはいけないから(家族や親の手伝いがある場合もあるけど)

テレビで紹介されたアフリカの部族では、沢山の人が赤ちゃんを育てていて、お母さんは赤ちゃんを近くの人に渡して水を汲みに行ったりする。
どうして私たちはそうでは無いのだろう、



都会に出た。地域を離れた。煩わしいことが多いから。都会ではお金が稼げるから。

その結果、煩わしい関係からは離れられたけれど、一人でなんでもやらなければならなくなって、手伝いが必要な時はお金で解決しなければいけなくなってしまった。

企業はお金を稼ぐために「赤ちゃん親」の道具を沢山産み出した。
けど、それは「大人が楽になるだけ」で赤ちゃんは気持ちよく無いんじゃないかな。

紙オムツ、哺乳瓶、ベビーカー、ガッシリとしただっこ用具

そうして考えていった結果、子どもたちは赤ちゃんの頃から「気持ちよくないこと」を沢山されてきたのじゃないか。

今、若年層の自殺や、無差別な殺人が増えているのは、
他の人のことなんかどうでもいいという態度の人が増えて来たのは
「この世の中に産まれてきた時から気持ちいいことなんかなかった。ならこんな世の中どうでもいい」
ということの表現なのではないかと思ったのだ。

最近、友人が飼っているヤギに子どもが産まれた。

稲わらの上、ギュウギュウでない空間
動物たちだって、狭いコンクリートの気持ちよくない空間の中では病気を起こす。だから抗生物質が使われる。
そうやって気持ちよくない環境で育てた生き物に仕返しされるかのように、気持ちよくないまま死んだ生き物を食べている。

朝日町に暮らした2年半
私はここは平和だなと思った。

豚はのびのび放牧されていて、ストレスとは無煙。
人も山や川に遊び、のびのびしている。


赤ちゃんは気持ち良さそうに昼寝しているし、大人からおばあちゃんから寄ってきて笑顔を見せる。

「人」は1歳までに体も心も脳も大部分が出来上がると恩師の武田先生はいう。

私たち大人は、今は無力かもしれない彼らを、そうとはしらずにぞんざいに扱った結果、15年後、彼らが力をつけた時、仕返しを喰らうかもしれない。

そうならないために
「赤ちゃん」という命をどうしたら
「この世で楽しく生きていこう」と思って貰えるか

私は赤ちゃんが特別好き、というよりも
危機感の方が強くて、長いこと強くて、そうしてここにいるのだと思う。
輪廻転生しなくたって、因果応報は起こるのだ。

どうやったら、楽しくこれを解いていけるか。
全てが繋がりの中にある実感を今、ようやく感じている。

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