蕗ノート 「無難じゃない道」
この道をいけばどうなるものか
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一歩が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ 行けばわかるさ
大学生の頃、最初の授業で、ヒゲがモサモサなおじさんが鹿の角を抱えて「ジャンボ!」と入ってきた。
おじさんは
「真冬に一週間、風呂に入らないでサルを追いかけないか!」と提案した。
ちなみに私は生物学部などではない。
社会学部。特に興味は無かった。次の一言が無ければ。
「君らみんな文系だろ?絶対しないよ人生でサルの調査なんて」
だから
「一生やらなそうなことほどやった方がいいよ」
それはなんだか魅力的な響きで、私はそのオジサンについていって学校林整備や森林調査を重ね、18歳の冬を宮城県沖の島、金華山でサルをひたすら追いかけて過ごした。
今でも思うことがある
「自分がやらなそうなことはやらない人も多い」
その18歳の時以降、私は「自分がやらなそうなこと」をやってきたような気がする。
自分がやらなそうなことというのは「周りと違うこと」「そんなのするなんて変な奴と思われそうなこと」
友達とは別の道行くことばかりだった。
平日は渋谷で遊んで、週末は山梨で農作業するような。地元の友達には今でもスナフキンと呼ばれている。
今でも分からない。
上昇思考で企業でバリバリ働くぞと思っていた私がなぜかことあるごとに連れ出されるようにして田舎と繋がり、そしていつの間にか山形に暮らし3年が過ぎた。
さっき、人と話していて気づいた。
「同じことをしていたら何も変わらないということ」
無難だったりすることによってではなくて
一歩踏み出すことによって道が切り開けること
それには
「自分がやらなそうなこと、やりたくないと思っていること」に飛び込むことなのかもしれない。
高校生の頃、クラスで勝手に作られた冊子のランキングで私は
「田舎暮らししてそうな人」一位だった。
本を読むことと、ソフトボールやること以外に何もなかった私は「私が田舎臭いっていうのか、馬鹿にしてるのか」と思った。絶対、田舎になんか住まないぞと思ってその冊子はすぐゴミ箱に入れた。
人生は不思議。
自分がしなさそうだと思ってきたこと、それをやってきたこと
それが私を創って連れてきている。
目の前の人に急に言いたくなったのだ。
やっとことのある、イメージの沸くもの、やりやすいものより
このチャンスは
見たこともない世界へチャレンジしてみようよと
それでどんな酷い目にあったって私のあなたへの評価は変わらないし、あなたの価値だって変わるわけじゃない。
私はたぶんどんどん変な奴になるだろう。
まだまだ自分にかかっているガードみたいなものがあるのも分かっている
一人じゃなくて、信頼できる関係の中でそのガードをとんどん外していけたら、そういう人が増えたらきっとどんな風にだって楽しく生きていけると思ったのです。
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