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蕗ノート タッチの差で


12年前(干支ひとまわり!?)、東京のプレーパークで一緒に過ごしたわかちゃんが山形の東根市に子育て支援の講演に来ていた。
 
  
どうしても外せない用事で講演には間に合わない私。
でもすぐ隣の天童にいる
でも車ないから公共交通でしかいけない
 

バス、電車乗り継いで、タントクルセンターについたらちょうど新幹線で帰るってそんなぁ!?
今日ほど、車カムバックと思った日はない。
徒歩は辛いよ(男は辛いよがちょっと分かった)
 

急いで駅に戻って、奇跡的に間に合って入場券買って入ったもののわかを見つけられないうちに新幹線は発車(つまり間に合ってなどいない)
 
どこにいるかも分からないけど、新幹線に手を降って見送りました。(入場券ムダすぎる)
 
 
駅員さんに入場券を帰したら
もう、いいんですか?
って心配そうに聞いてくれて
 

こんな近距離ですぐそこにいたのに会えなかったのが悲しかったけれど

誰が悪いわけでもなくて
間に合うかも分からなかったから約束も出来なかったし
まさかとんぼ返りとは…とか連絡しとけ私って話だし
 

でも、なんか、すぐそこにいたのに、会えなかったこと

どうせ、もう間に合わないとか思ったのに、全力で東根駅まで走って、折れた肋骨達がポキポキポキポキ言ってたり
 

ああ、全部誰も悪くなくて
悪いと言えば私が悪いんだけど

なんか

また置いてかれた

みたいな気持ちになってひとしきり駅の裏で泣いた。
 

ところがどっこい、大人になるって凄くて

10年前だったら、ここで、悲劇のヒロインみたいになっちゃう私だったけれど、まぁこんなものかーと思ったらもう、すぐ涙出なくなる

現実は映画みたいにはうまくいかないってことだ。

私のタントクルセンターを往復したりとか、そもそもさくらんぼ東根駅で降りたこととかが無駄って言えば無駄ってだけで。

うーん。グレイトフル無駄…( ;∀;)
 
 
悲しくなったのは記憶が。
わかちゃんといた時の記憶が、とても素敵な日々だったけど、同時にとても残酷だったから、だから泣いちゃったのかもなと思う。
 
 
多忙なんだなぁと思う。
山形に来て、温泉も入らずに帰るほど多忙なんだなぁ。
 
 
12年たって、私はあの頃より更にフラフラしてるし、ベンチで昼寝とかしてるし、サルとかシカとか食べさせて貰ったりしてて
生きてる世界違いすぎるなーと思った。

しばらく東根こなーい( ´_ゝ`)思い出になみだちょちょぎれちゃうわっ

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