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蕗ノート 夢も未来も語らない

勤めている山熊田地区の一大イベント、ブナの森トレッキングに参加してきた。
 
20軒も家がない集落に、なんと70人ぐらいが集まり、険しく滑落の危険もある道を主に高齢者がえっちらおっちら、雪景色や山の風景を楽しんだ。

その打ち上げでだいぶいい案配になった頃、この地区に15年通っているという10ぐらい歳上の男性から、「なぜこの地区に来たのか」と問われた。
 
せっかくの機会なのだからプレゼンしなきゃ!
と言われて、自己紹介は皆の前でしたのでそこで話したと説明すると
「分かったようで分からなかった」
という。
 
それでは…と秋田に住んでいたことを話そうとすると
「そういうのはいい」
という。
 
「朝日連峰の麓の文化を継承して次の世代にパスしたい」
という話をしても

「文化ってじゃあ何をさして文化なのか」
とか言ってくる。
 
 
そして、
「文化はその時々で変わるものだよ」
というから
「引き継ぎたいという思いがあって、まだ引き継げてすらいないから、引き継いでから変わるとかその先とか考える」

と言うと
「っていうか君が変えるんだけどその自覚がないようじゃな」
とか言われて
 
思わず涙がボロボロこぼれてしまった。
 
 
「あなたは何が聞きたいんですか?」
と聞くと

同じく今月から山熊田地区に住んだ若い男の子のことを引き合いに出して
「彼は分かりやすい。狩猟がやりたいからここに来たっていう。君は?」
とかいう。
 
「そういう話なら秋田のことを抜きにしたら話せない」と言うと

「じゃあ、とりあえず話してみて」
とか言うので
「そんな上から言われるの嫌なのでいいです」
ということで会話が終了した。
 
 
本人気づいていないかも知れないけど、同じ人間なのに凄く上から目線で、話したくなくなった。 

ここに来た深い理由を年に数回しかここに来ない人が知ってどうするんだろうと思った。
 
「なかなか移住には思いきれない」と言ったその人は都会にずっと住んでいる人だ。
 
 
もののけ姫のモロみたいな気持ちになった。
「黙れ、小僧」…いや、小僧ではないけれど。
 
 
どんな理想や夢を語ったって、良く見せようとしたって、それがハリボテだったのであれば、それは数年の間に剥がれてくるだろう。
 
私は朝日町にお世話になった日々の中でそれを学んだ。
 
熱くなりがちな最初ほど、良く見せようとしないこと。無理すると後が大変だし、ずっと無理しなきゃいけなくなる。大きなことを言ったせいで自分で自分の首を絞めることは意外に多いからこそ、淡々と日々を過ごしたいと移住5年目にして思う。
 
 
ほぼ半日、一緒に山にいて、山熊田の人達は動きや様子で私を知ってくれたし、根掘り葉掘り聞かない。根掘り葉掘りはたいていよその人だ。
 
 
同じ時間を過ごして、この人には私が見えなかったんだろうなと思った。そういう言葉じゃない読み取りの鈍りは自分もそうだったように思う。
 
 
わざわざ言わないけれど、27歳で東京を離れる決心をしてから、涙を流した夜がなんどあっただろう。
友達とも彼氏とも離れてもう4年が経つ。
 
 
寂しくないかと聞かれて、寂しいけどこれは望んだ寂しさだなと思う。
 
 
小学生の時に秋田の人に
「俺たちの世代は何でもやって来たから何でもできる。でも俺たちの世代までだ」と言われていた。
 
ずっとなりたい姿があって、追いかけて、なれなくて、迷って、悩んで、覚悟して、たどり着いて、今はなりたい姿を一つ一つ捕まえている。
 

それを、ここに住んでいるわけでも無い人に、とやかく言われたくないなと思ったし、そんなこと言ってくる時点で感覚が違いすぎると感じた。
 
 
翌朝、生業の里で、掃除して、糸を紡いで、レジを打って、電話応対する私を見て、彼は「そんなことまでしてるんだ」と言った。
 
見てくれて、もしも少しでも分かってくれたなら、話して伝わらなかったことでも。
 
 
大切なことは少しずつ交換していけばいい。
大切な想いや辛かったこと苦しかったこと、そんなに簡単に初めて会った人になんて話せないし、そんなこと無理に聞き出そうとする人なんて無粋だと思う。
 
 
急がず、焦らず、ちょうどいい距離をつかんでいけたらそれでいい。
私の大切なことはちゃんと私が捕まえている。
それを知らない人に簡単に明け渡したりしなくていい。そんなに親切にして、隠された悪だったら目も当てられない。
 
 
夢も未来も語らない。
ただ、淡々と糸を紡ぎ、機織りが出来る日を夢見る。
私のことをどうやら勝手に色々話してはいるけど(言葉が分からないから何を言ってるかは不明)、突っ込んで聞いてこないお陰で多少楽である山熊田の人との関係。
 
 
都会の方法とかそういうのとは全然違う所で今、生きているんだという実感と、そういうものとは「付き合いづらい」と言われようが手を切りたい。黙っていて寡黙でも、日々背中が、全身が伝えるようなそういう人でありたい。そして、そういう人ばかりに囲まれているのだとしたら、私は「イマココ」で充分なのだ。

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