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蕗ノート 自分を守る方法

とても心地よい関係もあれば
雑に扱われることもあり
お腹がキリキリしたり、頭が腫れあがったりすることもある( >д<)ズキンズキン

東京を出たのには色々な理由があるけれど、自分を守るためだったと振り返って思う。

参照:蕗ノート 都会の論理


今さえ、自分さえ良ければ
の世界の中に身をおいて、自身もどっぷり使いながら人としての優しさみたいなものも捨てられなかった。

自殺未遂を止めたり、カミングアウトされることもあった。仲人的なことも何度かしたことがある。

人は直感でこの人危険!と分かることもあるけど、分からないこともある。
私は当時、共通の音楽が好きで集まっているグループにいくつか所属していたけど、そういう中には、【自分が善人だと思いながら酷く人を傷つける人】が一定数いた。

心配して近づいてきた人に
「上から目線で可哀想とか思ってるんじゃないわよ」と噛みつく。
しかし、話を聞いてみるとその人はまるで自分が正義かのように、他の人を上から目線で「あの人うざい」とバッサリ切り取るのだ。
まるで自分には悪い所がないかのように。

あるいは、【自分の好きな人が蕗と仲がいい】という嫉妬のみを理由に排除されたこともあった。
どこへ行くのもしょっちゅう一緒な男の子がいた。何人かの集まりにも連れていって、その人たちと彼が仲良くなった時、それは起こった。

元々の友達は私で、私と彼はとても気の合う友人だっただけなのに私はネットで呪われていたことを知った。

数年後、その嫉妬に狂った人は平気な顔して全然違う人と付き合っていた。私と友人が引き裂かれたのはなんだったのか。何事も無かったかのような顔をしている人達と付き合っていくのは無理だなと感じた。

毎年、山形に来ている友人が、【集まりに行きたいけど、あの人が来ているからやめようと思う】と言った。

私は、【あの人は、私を避けて集まりに来なかったんだとか思われるとかそういうの何もかもドロドロしていて気持ち悪いと思ったから山形に行ったんだ】と言った。

【蕗は山形に行ったから集まりに来ない】
そう思って貰えれば良かった。

振り返って思う。
【自分をぞんざいに扱う人、裏表あって表では丁寧だけど裏では酷いことをいう人】

もう、そんな人と付き合わなくていい。
一人でいた方がずっといい。

自分が自分であるために
しっかりと一人でいられること。

例え、周りがニコイチだったり、つるんでいたとしても。一緒にいたくない人といるより全然いい。

そう考えて振り返った時、ひとことかけて、ちょうどいい距離でいてくれる山形の、私の周りにいる人がこの人たちで良かったと思い至る。

自分を大事に出来ないから、自分をぞんざいに扱っているから、ぞんざいに扱う人につかまるし、大事にされないんだと気がついた。

自分が変われば世界が変わる。
私は一周して、頭を回して、ひと呼吸して、声をかけて部屋に戻った。

飲んで騒ぐ時間よりも、いっぱいの紅茶を一人でゆっくり飲む時間が好きです。

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