人生の意味の無さについて

 中学1年生くらいの時分、人生には何か意味があるものだと思っていた。自分が、"生きること"そのものに違和感を抱くのは、その"意味"なるものに、まだ手を触れていないからだと思っていた。人生の意味、ないし意義、あるいは正しい生き方は、とっくの昔に、偉大な哲学者や思想家が、体系化と明文化を終えていて、13才の自分たちは、まだ教えられていないだけだと思っていた。
 
 今は知っている。本質的に、人生に意味はない。生きることには何の意味もない。それをやっと理解したのは大学生になって間もなくのことだった。わたしは、頭の悪い学生だった。

 ずっと昔、たぶん80年くらい前までには、人生には意味があった。それは、宗教や、民族、国家、地域、家を含め、様々なスケールの社会が「かく生きるべし」と定めた、抑圧的な模範だった。その強力で支配的な幻想は、今でもあらゆる場所で、多少の差はあれど、個人の生を否定し、押し潰し、合金製のやすりにかけて、かなくずに変えている。しかし幸なことに、わたしはそのようなを懲罰を免れたらしい。

 代わりに、わたしは無尽蔵の虚無を彷徨っている。自然、誕生、偶発的事故、呼び方は何でも良いが、人生というやつは、私を虚空に突き飛ばして、こう言った。「あとは自分で好きなようにやってくれ。死ぬまで。」
 
 無論、わたしは好きなようにするしかない。地面と衝突する一瞬までは。

 生きがいがある人は幸いだ。好きなものがあるひとは幸いだ。愛する人がいる人は幸いだ。このために生きていると、胸を張って言えるものがある人は幸いだ。

 だがなければどうだろう。生を十分に肯定する理由がない者は、何をすべきか。

 たぶん、何の意味もなく、虚しく惨めに老いていく。それが嫌なら、思い切って、牽引ロープなり剃刀なりで最終的な解決を試みるしかない。

 カート・ヴォネガットならこう言うだろう。

そういうものだ。

『スローターハウス5
』その他いろいろ

 何にもない。生きることを肯定する理由が何もない。

 そんなことを考えているときに限って、Twitter では、通りがかりの狂人が親切なアドバイスをくれる。

「好きなものは『見つかる』んじゃない、『見つける』んだ!
 何かを好きになる努力をするんだ!」

 わたしは反射的にこう考える。

「その究極的な自己欺瞞で便座カバーを好きになってみろ。おまえの一生を便座カバーに捧げてみろ。お花畑野郎め」

 しかしツイートしそうになる指をぐっと堪える。職業的に、便座カバーに一生を捧げるプロがいる。少ないながらコレクターも存在するだろう。通りがかりの、buzz修辞学原理主義者を罵るために、便座カバーを持ち出すのは、潜在的差別意識の発露にほかならない。便座カバーに失礼だ。そこで私は上品に絵文字を使うことにする。親指を下に向けるか、中指を立てているやつを。

 好きなものの話をしよう。猫が好きだ。わたしは自宅に2匹、監禁している。わたしの精神衛生上の問題、エゴの問題をいっとき忘れるために、猫を抱き上げ、撫で、捏ね、"ちゅーる"やまたたびをやったり、おもちゃで遊んでやったり、写真を撮ってSNSに上げたりする。刹那的快楽としては一級品だ。彼らはもともと捨て猫であったから、わたしは「保護」という名目を使い、エシカルな雰囲気を醸し出すこともできる。

 時計草が好きだ。初夏に咲く、Passiflora incarnata の、黄色い十字架と紫色の光輪。キリスト受難劇の華。冬には枯れるが、植物に痛覚はない。中枢神経を持たない生物を切り刻むことには何ら問題がない。見栄えの悪い部分はドイツ製の剪定バサミで切り落とす。葉は乾かすと不味い茶になる。

 本が好きだ。あらゆる絶版書、稀覯本、アンカット装、フィクションの、小説の、SFの、ファンタジーの、怪奇の、純文学の中で、ソラリスの海を俯瞰し、六角形の図書館に迷い、氷の壁の上に立ち、誰かを殺し、殺され、人生に絶望する。読んでもいい。読まなくてもいい。心が沈んだときに何冊か買って積み上げておくと、ちょっとしたインテリ気分にもなれる。わたしに、それらの本を理解する能力が、大いに欠けていても。

「キルケゴール先生、いまどきキリスト教なんて流行りませんよ」

  死に至る病を読んでそう独り言ちる。全く、ナンセンスだ。

 人生を肯定できる人は幸いだ。わたしには、人生を総合的に、徹底的に否定することしかできない。不燃ごみの日に出してしまいたい。だが、残念ながら、わが市では、「不燃ごみ」というカテゴリがなくなってしまった。「可燃ごみ」と各種の「資源ごみ」と「粗大ごみ」だけ。それ以外はクリーンセンターにお問い合わせください。クリーンセンターへの持ち込みは、月曜日から金曜日の、午前九時から午後四時半までです。下記のに相当するゴミはお引取りできません。①産業廃棄物に相当するもの。②危険物、爆発物に相当するもの。③死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてあるもの。

 ノートPCの裏で黒猫がまどろんでいる。机の上の、ストームグラスのエタノール水溶液の底に、樟脳の結晶が沈殿している。明日は晴れるだろう。明後日も晴れるだろう。しばらく、あと一週間くらいは、日差しが強烈な、陰鬱な、晴れの日が続くだろう。

 ときどき、カミュの『異邦人』の主人公、ムルソーになりたくなる。だが残念ながら、ママンは唐突に死んだりしない。ここには、銃もない。浜辺も、海もない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?