茶藝館の想い出

 私は紅茶が苦手だった。むしろ珈琲や緑茶を好んだ。大人になっても、紅茶の渋みというものに慣れなかった。一方で、今は台所の棚に様々な紅茶が揃っている。日東紅茶に始まり、PGティップス、トワイニング、アーマッド、マリアージュ・フレール、フォートナム・アンド・メイソン。私の紅茶への認識を変えたものは、長期の台湾旅行だった。

 台湾で最も高い阿里山域を訪ねたときのことだった。麓からバスに乗ると、延々と山道が続く。少しずつ標高が上がり、肌寒くなってくると、一面が茶畑になる。霧に覆われた深山幽谷。唯一の車道は細く、頼りない。それでも茶畑はどこまでも続いた。時折、天秤棒を担いで斜面を上り下りする人々が見えた。

 阿里山の八合目にバスが到着する。ここまで来れば、太古の昔から変わらない原生林が広がるばかりだった。梅と桜が同時に咲いていた。私はホテルに荷物を置くと、早々に表に出た。山頂行きの山岳列車が出るのは翌日の未明である。夜までは、八合目の土産物屋の通りを散策し、あるいは原生林のトレッキングコースを楽しむのが通例である。

 迷路のような土産物通りには、屋台や素朴な菓子屋、特産品や工芸品を売る店が並んでいた。魚の干物まで並ぶ始末である。商魂逞しい。その中でも目立つものが茶葉だ。阿里山は茶の名産地でもある。特に青心烏龍種の茶ノ木から製造される凍頂烏龍茶は日本でも名が知れているだろう。阿里山の最高峰の茶葉ともなると一斤で数十万円をくだらないものさえあると言う。ただ、私はそこで茶葉を買うことは無かった。観光客向けの店にはあまり期待できないと思った。

 私は人並みを抜け、裏路地を彷徨った。小学校があった。こんな高地で日常を営む人々がいるのだ。石畳が霧に濡れる寂れた通りに、一軒の茶藝館を見つけた。軋むドアを開けると、がらんとした薄暗い店の奥に、主人と思われる年配の女性が座っていた。手招きされて、私はカウンターに腰掛けた。黙ったまま、女性は小さな素焼きの急須でお茶を淹れてくれた。

 おちょこのような小さな茶杯に琥珀色の水色。花とも蜜とも形容できる香り。恐る恐る口にすると、馥郁たる香りが鼻腔を満たした。東方美人茶だった。透き通った味はまさに水の如し。ああ、どうして茶の葉からこのような香りが生まれるのか、甘く、それでいて奥ゆかしい華々しさがある。一煎目は香りに満ちる。二煎目から香りとともに味のボディが強くなる。三煎目ともなると、香りよりも味が重厚に感じられる。

 私はその出来事以降、すっかり台湾茶の虜になってしまった。中国茶や台湾茶では、発酵の度合いが軽い順から、緑茶、白茶、黃茶、青茶、紅茶、黒茶に分けられる。東方美人茶は紅茶にあたる。製法も特殊である。ウンカが吸汁した茶葉だけを集めて製造される。この吸汁害が独特の香気を生み出すのだ。かつて大英帝国では、東方美人茶一斤で家が一軒買えたと言う。

 私はその茶藝館で東方美人茶を買った。続く旅行中も茶藝館を見かけると必ず入って茶を飲んだ。日月潭の蜜香紅茶や台北猫空の鉄観音茶も飲んだ。問屋街の茶商から何種類もの十数種の茶葉を買った。帰りの荷物は茶藝の道具と茶葉ばかりになった。

 帰国してから、台湾に限らず世界の茶文化について調べ始めた。茶葉を取り寄せ、淹れ方を調べ、練習した。今では安い茶葉でもそこそこの味を淹れられる(発酵茶は淹れ方が肝心なのだ)。しかしそれでも、あの東方美人に優るものには出会っていない。また台湾を訪れたとしても、あの茶藝館に至る道を覚えていないだろう。

 私はすっかり紅茶党になり、毎日のように紅茶を淹れている。しかし本物の東方美人茶を飲むのは、人生で一回だけで良いのかも知れない。それはあまりにも非日常的な紅茶であるから。

#紅茶のある風景

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