茨の天蓋

 ぼくらが森に入ってから十日は過ぎたと思う。森はただ深く、暗く、ぼくと彼女は、アセチレンランプの弱々しい光をたよりに、黒いイバラをかき分けながらさまよった。彼女の小さな手は、傷だらけになっていた。「まだ、もりはつづくの?」そう繰り返された問いも、もはや聞こえなくなった。手を離さない、弱音をはかない、振り返らない。はじめに交わした約束が、心を支えていた。

 どこまでも暗い。足もとがおぼつかない。視界の端にちらつく影、うごめく茂み、はるか頭上で、セコイアと杉と松の間を飛び回る風。

 わずかに流れる沢を見つけて苦い水を飲み、コケモモに似た、赤く渋い木の実を食べた。もうふたりとも、長くないのかもしれない。

 ぼくは時折、ランプにカーバイドを足した。森では、歩き続けなければならない。立ち止まってはならない。ぼくは半ば眠りながらあるくことができたが、まだ小さな彼女は背負って眠らせてやらねばならない。眠りの間隔が、少しずつ短くなっている。

 昼もない。夜もない。湿った空気は、何百年もかけてつもった腐葉土の匂いがする。恐ろしく高く、太く、古い木々。終わりのない闇。静かだ。自分の息遣いがやけに大きく聞こえる。それでいて、何かの気配は、ずっとぼくらにつきまとう。

 闇が最も濃くなるころ、たぶん真夜中近くに、ぼくらは道なき道を走る。追われているわけはないけれど、ただ森の暗さが怖くなって、息も絶え絶えに走る。イバラやアザミが体のあちこちをひっかくが、それでも走らないと、飲み込まれてしまう気がしてならない。ランプのレンズと反射板が、ススで黒くなる。ぼくは幾度となくシャツの袖で拭くのだが、明かりはだんだんと弱くなっている。

 ぼくらはどうして森に入ったのか、どうして太陽を捨てたのか、それさえ思い出すのが難しくなる。誰か、そう、誰か大事な人が、ぼくらに忠告した。森では、思い出すらも闇に溶けて、ぼくらは、ぼくらですらなくなってしまうかもしれない。それでも、ぼくは彼女を連れて、森を抜けなくちゃならない。

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お昼休みにプラクティス( ˘ω˘ )

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