フランクおじさんの平たい石

私は八歳の頃、ほんの数ヶ月だけアメリカに住んでいました。父との離婚が成立して、母と兄と私はカリフォルニア州のサンディエゴにいる祖母を頼って渡米しました。当初は数年間アメリカに住む予定でしたが、大人の都合でわずか数ヶ月で帰国しましたが。

祖母は当時六十代。妻子ある男性と同居していました。相手は日系一世の、七十代半ばの穏やかな老紳士でした。

私たちはその人をいつも、フランクおじさんと呼んでいました。日本語と英語とをごちゃ混ぜに話す人で、自分のことは僕でも私でも俺でもなく、「ミーは……」などと言っていました。小さい私はもちろん「ユー」でした。日本語を半分忘れていたので、英語が出来ない私とはたまに意思の疎通が出来なかったりしましたが、一緒に暮らしていて、これといって不都合はありませんでした、

毎日、大きな皿に山盛りになったキャットフードを庭に置くと、フランクおじさんの元に、沢山の野良猫がやってきました。

野良猫たちは、私が来ると逃げていましたが、おじさんの足元には何匹かの猫がすり寄って来ていました。静かにしていないと猫は寄って来ないと、フランクおじさんはよく言っていました。

そんな穏やかなフランクおじさんの宝物は、テレビの上に置いてある、平たい石でした。何という事はないただの石でしたが、片面だけが機械で切ったように、つるつるに磨かれていました。

その石は、フランクおじさんが若い頃に、自分でコンクリートの地面で磨いたものだと言っていました。

フランクおじさんは、第二次世界大戦で日系一世のアメリカ兵として参戦していたとの話です。

「ソルジャーってのは暇でね。待ち時間が長いから、仕方なくその辺にあった石をポリッシュして暇つぶししてたんだよ」と、おじさんは言ってました。

私も暇だったので、試しに庭で石を磨いてみましたが、何十分しても石はすり減らないし、綺麗に磨くことは出来ませんでした。

フランクおじさんの石は、半分が完全にすり減っていましたから、ずいぶん長い間、磨いていたと言う事です。

私は子供だったのもありますが、あんなに石を磨かなくてもいい時代に、また立場にいたと言う事に気付きました。

フランクおじさんが亡くなってずいぶん経ちますが、未だにあの平たい石と、冬の陽だまりの庭にまっすぐ立っていた姿と、それに寄り添う猫たちの事を私は覚えています。

私が小さかったからかもしれませんが、フランクおじさんの口からは、戦争や人種差別による苦労話は聞いたことがありませんでした。

でも、もしかしたら、あの猫たちは聞いていたかもしれません。フランクおじさんの昔話を。

いつか、あのサンディエゴの庭に行く事があったら、野良猫たちに聞いてみたいものです。

「この庭にいた、あんたたちのおじいさんかおばあさんから、フランクおじさんの話を聞いてない?」……と。

猫たちはきっと、知らんぷりをするでしょう。

もしかしたら「あの石を見ればわかるでしょ」と少し意地悪く言われるかもしれません。










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