【ネタバレあり】「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を観ました。

※しばらくは、間違えて開いてしまった人がネタバレ踏まないように関係ない話してます。

「序」はアニメ本編と一緒に父と観たと思います。
「破」はその後父と劇場に観に行きました。
残酷なシーンで急に流れる童謡に「なんだこの演出......」って思った記憶があります。
「Q」は当時中学生だった僕が同級生と観に行きました。
あまりの展開に全員で頭の上に?を浮かべていました。
そして、エヴァとは一歩踏み込んで自分で考えることでより楽しめるコンテンツなんだと理解したのもこの映画がきっかけでした。
Q公開前に観た「Air/まごころを君に」を含むアニメ版と新劇場版の共通点、相違点を書き出したりしてるうちに朝が来たり、それをFacebookで友達に共有して引かれながら感心されたりしてました。
当時はやること成すこと何でも輝いていたように思います。
9年という時間はとても長く、自分は中学生を経て、高校生、専門学生、そして社会人と既に学生の身分ですらなくなってしまいました。
友達元気かなー?

エヴァ楽曲で好きな曲
・予感
 「鋼鉄のガールフレンド」って言うギャルゲっぽいエヴァのゲームのエンディング曲なんですが、とても素敵なので是非一度聞いてほしい。
 このゲームでシンジは大人として、男として成長します。
 その成長物語と、しっとりとしたこの曲が何だかすごくマッチしていて好きです。
 ゲーム内スチルも相まって、陽がてっぺん付近にある時間帯のゆったりと眩しい時間帯がちょっと好きになりました。
・Komm susser tod
 唐突に来る終わりってもしかしたらこんな感じかもしれんと思う曲です。
 詩はとてもネガティブというか、シンジを書いたような詩なんですが、人類補完計画の裏でこの明るい曲調がかかっているのがなんとも最初は不気味でした。
 でも、終わりって「今から終わります!」ってアポ取ってこないだろうし、一部専門家がそれを察知したってきっと告知しない、だってそしたら大荒れして秩序も何もなくなっちゃうから。
 「2019 OK」っていう隕石があって、これは地球すれすれを通った隕石なんですが、これは通過の1日前に発見されたんだそうです。
 もしこれが、「最後の最後まで当たるか分からんから、当たらないってわかってから発表しようぜ」って裏で示し合わせてたら?って考えると、終わりって案外アポなしみたいなもんだと思いませんか?
 きっと普段通りみんな笑ってくだらない談笑して、終わるなんて考えもせずに終わるんじゃないかなって。
 そんなのもアリかも......って思う曲です。
・Beautiful World(-planitb acoustica mix-)
 BeautifulWorldがそもそも好きなんですが、アコースティックアレンジも好きなので好きなものが合体したらそりゃより好きでしょって言う。
 破でヒロイックなシンジが綾波を救って暗転ギターのジャカ音で鳥肌立ったのを覚えてます。
・One Last Kiss
 ネタバレあるので最後の方に理由書いた。










流石にここまで延ばせば見えないでしょ。
※ここからは「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」のネタバレを多分に含みます。

考察とかはきっと他の誰かがやってくれると信じて、ただ感想を書きます。

この映画を観ていて途中で思ったのは、
「正に、新世紀エヴァンゲリオンのやり直しだ......」でした。

序破Qと続いてきた新劇場版シリーズ
破の一本を使い既存の物語から新たな物語に舵を切ったように思っていました。
でも、シンエヴァを観て根底にはずっと「新世紀エヴァンゲリオン」があったことに気づきました。
アマプラの「Q」のレビュー欄に「言われてみれば確かにそうだ……」と気づかされる書き込みがありました。
要約すると、「”綾波レイ”が世代交代し、渚カヲルは騙され殲滅され、NERV(ゲンドウサイド)の思惑に気づいたヴィレ(ミサトサイド)が対立した」
という内容。
確かにその通りで、アニメ通りの展開を「14年後」という急な展開とわけわからん新出単語の中に混ぜて出されたのが「Q」でした。
じゃあシンエヴァはどうなるんだろう......そう思って劇場に行ってきました。
結果は上に書いた通りです。
正に「新世紀エヴァンゲリオン」のやり直しの物語でした。
やり直しって言うとニュアンスが違うのかな……?
一回クリアしたゲームでより良いエンディングを迎えるための「やり直し」
という印象。
アナザー・インパクト(アディショナル・インパクト)のシーンは正に「まごころを君に」のそれでした。
この映画のタイトルになぜ、「ヱヴァンゲリヲン」ではなく「エヴァンゲリオン」を使ったのかはファンの間でもよく考察の議題に上がっていたと思いますが、つまるところ「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」としての最後ではなく、「エヴァンゲリオン」という物語の終わりなのだと感じました。
まさしく「さらば、すべてのエヴァンゲリオン。」です。

「エヴァが無くてもいい世界にする」
どんな結末を迎えるんだろう。
最後に何を描くのだろう。
成長し大人になったシンジ、向かいのホームには見知った顔、迎えに来るマリ、背景はまるで現代。
裏で「One Last Kiss」のイントロがかかりながらシーンが切り替わると映し出されたのは現実世界のどこかの駅。
エヴァがなくても良くて、傷つくことがたくさんあって、その分きっと愛にあふれている。そんな世界が君たちの生きる”現実”なんだ。
という、一度漫画版では描かれた結末のように見えますが、決定的に違うのは僕らの世界には”エヴァ”と言われた遺跡が残っていないことです。
地面に突き刺さった十字架に磔にされた様な首のない巨人はありません。
そう思った時、「エヴァンゲリオン」という物語はもう二度とやり直せないんだな......と実感しました。

終わっちゃったなあ......

でも、これでよかったなとも思いました。
なんか急に突飛なことされてトンデモ結末になるより全然幸福というか......
長い間見てきたキャラクター達の心の補完が描かれていて僕は嬉しかったです。
ゲンドウが”父”としてシンジを抱きしめた時、何度目か分からない涙を流しました。
アスカの横にアスカをパイロットとしてではなく、一人の人間として扱ってくれる人が現れた(それもエヴァ以外の繋がりで)ことに何故だかとても幸福感を覚えました。
普段微笑みながら先導してくれるカヲル君がシンジの成長を感じ、自分の間違いを認識して涙したのを見て我慢できずにまた泣きました。

正直この映画で何度泣いたか分からんです......

ケンスケの声を聴き、トウジの顔を見た時に最初の涙が流れました。
シンジが湖畔の廃墟で優しさに打ちのめされて辛さを叫ぶシーンで、何物にもなれず誰の期待にも応えられないちっぽけな自分(ネガティブスイッチ入るとよく言うヤツ)と重ねてしまい辛くて涙が溢れました。
続く綾波のセリフにさらに追い打ちをかけられて泣きました。
リョウジの両親を聞いたときにも泣きました。
ミサトさんが加地さんを回想した時も泣きました。
錯乱したサクラが板挟みの感情を叫んだ部分でも泣きました。
槍を届ける最後、親として、組織の長として、今までのミサトさんが戻ってきたときも涙が出ました。
そして、上にも書いた通りそれぞれの心が補完されていく場面でもたくさん泣きました。
最後に、成長したシンジを見送るのが母だったとこも泣いてます。
細かく挙げていくとキリないですけど、めっちゃ泣きました。

書き出しただけでもかなり泣いてて自分でも引いてます。

Qで14年空けたのこのためか~~~~!!!
って冒頭見て思いました。
Qで新しく出てきたキャラの中でもサクラとミドリは個人的にめちゃくちゃいいキャラだなと思いました。

北上ミドリは一般人(我々)の代弁者なのかなーって思いました。
「エゴじゃん」なんて多分ファンがさんざん言ってきたことだと思います。
喋り方こそ特徴的ですが、彼女の主張も行動も当然だなと......
劇中、悪態ついてばかり、叫んでばかりであまり好かれるよう描かれ方していないように思いましたが、あのヴィレクルーの中で唯一NERV時代のメンバーでも、当時の知り合いでもない、サードインパクトやそれを起こした人間の背景を知らない一般人として役名を与えられたキャラクター。
※もしかしたら関係者なのかもしれないけど……。
ニアサードに家族を奪われた怒りを持ち、それでも続く世界に文句を言うことしかできない人。
目の前にいる家族の仇を指一本動かすだけで殺すことができるのに終ぞそれが出来なかった人。
サクラと違い、明確な殺意はあったのに「人の命を奪う」その覚悟を持たない一般人。
自分にはそんな風に映りました。

鈴原サクラはあの世界の複雑さを表しているような気がしました。
サクラは自分でも言っている通り、シンジに対し「怒り」と「感謝」を持っています。
アスカから受け取ったトウジ達の写真を見て泣くサクラ。
トウジ達が笑顔でいられる今日は紛れもなくあの日シンジがエヴァに乗ったから続いているわけで。
でも大切な親を奪ったのも紛れもなくシンジがエヴァに乗ったから。
その両極にある感情を整理できずにいるのがなんとも切なくて......
親を殺した張本人が目の前にいて、今まさにエヴァに乗ると宣言している。
衝動的に発砲したらシンジを庇ったミサトさんに命中してしまう。
多分「命を奪う」という覚悟なんてなかったと思うし、仮にシンジに命中した後のことなんて考えてなくて。
また”あの日”が繰り返されるのがイヤで、大切な家族を失いたくないから衝動的に撃った、撃って人を傷つけてしまった。
あの日シンジがエヴァに乗って綾波を失いたくないと願って、結果沢山の誰かの大切な人を奪ってしまった。
規模の差はあれど実はやってることが同じだったり......

「失いたくないものを守るために衝動的に行動して、結果誰かを傷つけてしまうだけで守りたいものも守れない」
これが、”大人になれていない”状態として描かれてるのかなと思ったりします。
シンジが成長すると途端に周りが過去にシンジが取った行動を取っているように見えてくるので不思議です。

13号機を停止させようとする改2号機のシーンもそうでした。
裏コード999の描写は、まんま初号機の疑似シン化だったし、
「大切な集落」を守るために力を開放したら、インパクトの鍵になってしまう。
正に、あの時綾波を救おうとしたシンジと同じ顛末を辿っていました。
そして、取り込まれたアスカを助けたのは、対3号機の時何も決断しなかった、世界を滅ぼしかけても綾波を取り戻せなかった、今まで成長しないガキだったシンジだったという。

もしかしたら、人として愛されることを諦めて、ずっと殻にこもり一人でゲームをするアスカは、シンジに「成長しないガキ!」と言いながら、成長することができない自分を重ねていたのかなあとか思ってしまいます。
そう考えると、尚更アスカの横にケンスケがいてくれて良かったなあと思いました。
最後に、
「私、シンジのこと好きだったんだと思う」
「僕も、アスカのこと好きだった」
このやり取りがなんとも甘酸っぱくて好きです。

成長といえば、今作で成長の擬人化のようなキャラがアヤナミでした。
正に、赤子のように全てを吸収し成長していく。
あの平和な時間がいつまでも続けばいいのに......と思いました。
感情のままに笑い、照れ、思いを伝える様は破までの綾波の感情表現を上回っていたと思います。
だからこそ、アヤナミの素直な返事はシンジに強く突き刺さったと思います。
「好きだから」
正直このセリフは僕自身にも突き刺さった節があります。
この一連のやり取りには涙が止まりませんでした。
僕は今までこんな単純なことに気付かず、どれだけの縁を反故にしてしまったんだろう。と、後悔すらしました。
エヴァからといわず、アニメ、漫画、小説、音楽、それが何であれ学びはあるんだなあと思いました。
これからは、もう少し周りの人に手を伸ばしてみてもいいのかもしれないなって思いました。

最後にシンジに手を伸ばしたのはまさかのマリでしたね。
正直、え!?マリとなの......!?って思いました。
でも思い返してみれば、破の中の変化の大きな部分はこのマリの参入で、
マリが手を差し伸べてくれたから、破でシンジはエヴァに乗る決意をして、Qでは第13号機から生きて出てこれたんだなと、今更になってこのマリというキャラクターがシンジの道を切り開いてきたということに気づきました。
出自は「夏色のエデン」に書かれていた通りっぽいです。
あの短編漫画はコミック用に書き下ろされたそうで、そのコミックは2014年に発売されたそうです。
Qの公開は2012年なので、その時点で決まっていた設定を漫画で先出ししたのか、漫画の設定をシンエヴァにも使ったのか、実際のところは分かりません。ただ、漫画版ではゲンドウの回想で描かれてたほど人懐っこくなかったのでちょっとずつ変わってるっぽい。
あ、でも漫画ではユイに髪弄ってもらってるシーンがあるので、アスカの散髪シーンはそのオマージュかもしれない。



これ書いてる途中で「One Last Kiss」のMVが公開されました。
この曲ってもしかしてゲンドウを歌った曲なのかなあって聴きながら思いました。
僕は「モナ・リザ」という作品がとても好きなんですが、
「私だけのモナ・リザ もうとっくに出逢ってたから」
ってすごく素敵なフレーズだなと思いました。
モナ・リザは「世界で一番見られた絵画」とか「世界で一番歌われた絵画」とか言われているわけですが、そんなモナ・リザよりも見て、思う誰かに出逢ったって、なんだかとても純粋で可愛いなあとか思ったりして、すごく素敵な詩だなあと思います。
ゲンドウも、研究室で研究に没頭したり友達と話しているユイの横顔を眺めて恋焦がれてた時間があったんでしょうか。
「One Last Kiss」の最後の歌詞は、
「吹いていった風の後を 追いかけた 眩しい午後」
になっています。
お昼過ぎの空いた窓からカーテンをはためかせながら吹き込んできた風を追うように視線を向けるとそこにはユイが居たのかなあなんて、勝手に情景を想像したりして……
そんな純粋な思いが、失った反動でこじれてしまってエヴァになって......
なんか、勝手に切なくなって込み上げてきました......
泣きそう。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」をもう一度観るかと言われるとすごく複雑です。
細かな映像描写の確認や、ストーリーを焼き付けたり、音楽にフォーカスしてみたり、もっと楽しみたいという気持ちがある反面、もう僕の「エヴァンゲリオン」は終わってしまったから......
と、二度と戻ってはいけないんじゃないかと感じる部分もあります。
どうしようかな......
観たいけど、どの面下げて戻ればいいのかわからんな。

なんかつらつら書いてたら日をまたいだしめっちゃ長ったらしくなってしまった。
終わります。
ここまで読んでくれてありがとう。

P.S.
これを読んだ人のシンエヴァ、或いは「エヴァンゲリオン」の感想はどんな感じなんだろうと思ったりします。
マシュマロ開いてるのでよかったら雑に投げてネ

さ、やっとパンフレット読めるぞー!
色んな人の感想動画観るぞー!



(追記)
パンフレットとか色んな人の感想に触れて、書くこと先行で頭から飛んでたあれこれたくさんあるな……となったので戻ってきました。
書き終えて、めちゃキモ気取りオタ文章になったなと......本当に公開するんかこれは。

パンフレット読んでまた泣いちゃった……。

シンジについて
先日は個別に枠設けて書かなかったんですが、書き終わってからそれに気づきました。
灯台下暗しという感じで、この映画全体の感想書いてたらシンジについて書いたつもりになってました。

「これがあなたが守った街よ」「誇りに思っていいわ」
夕陽に照らされた第3新東京市を見せながら、ミサトさんがシンジに言った言葉です。
きっとこの時シンジは自分が何をしたのか、何を守ったのか実感なかったんじゃないかなと思います。
だって来たときにはみんな既にシェルターに避難してて、抜け殻の街で使徒と自衛隊がドンパチやってるし、殲滅した後はNERVの病院で目覚めて、ミサトに引き取られてこのシーンです。
この街で暮らす人達の営みなんて感じる暇もない。
その後だって、営みに混ざってまともな交流することすら少なかったんじゃないかなとさえ思う。
だって特務機関の超極秘パイロット(同級生にはバレてる)ですよ。

Qの直後のシンジもそうです。
大切な人を守れず、誰かの大切な人をたくさん奪ってしまった。それどころか2度も起こしかけた訳で。
カヲルくんからは「この世界を壊したのは君なんだよ」って現実を突きつけられちゃったりして。
1側面としては事実なんだけど、もう片側が欠けてる。凄い大事なことなのに。
サクラの部分でも書きましたが、あの日シンジがエヴァに乗って第10使徒を倒したおかげで守られた営みが確かにありました。
しかも今度はその営みの中に混ざって触れて、守ったものを確かめることができる。
これってシンジにとって凄く重要なことだったんじゃないかなと思います。
第3村最後の日、綾波と別れたあの時、シンジめっちゃ泣いたんだなって、綾波に「好きだから」って言われたあの時と同じかそれ以上泣いたんだろうなって。
覚悟決めてアスカの前に戻った時シンジの目赤く腫れてましたもん。
「泣いて救えるのは自分だけだ」
このセリフを言うシンジがすごくカッコよかった。
もしかしたら劇中でここが1番カッコ良かったかもしれない。
それくらいこのシーンのシンジが好きです。

第3村でのシンジの気づきって凄い大切なことがたくさんあるような気がする。
あそこで描かれたものを当たり前のように理解して生きてる人たちだっているし、それが分からず苦しい思いをしてる人もいて……。
自分はこのシーンで少し前を向けたような気がします。
もう少し素直になって、素直に受け取って、時には誰かを頼って。
それでいいのかもしれないと思えるようになりました。

途中、松任谷由実さんの「VOYAGER〜日付のない墓標〜」と言う曲がかかります。
世代じゃないものでこの曲知らなかったんですが、エンドクレジットでVoyagerって単語を見て気になっていて、脳裏にずっと残っていたんですが、ふと「あれ、もしかして?」って思ったことがあって、
ボイジャーって人類初の太陽系外に出た宇宙探査機なんです。
人類が眺めることしかできなかった太陽系外に踏み出した歴史的一歩を象徴するものなんですが、もしかしたら、成長を通して今まで眺めるだけだった"大人"に一歩踏み込んだシンジや、作品内で心の補完が成されてエヴァの呪縛から解き放たれた各々の新しい一歩を象徴してるのかななんて思いました。

「私があなたと知り合えたことを」
「私があなたを愛してたことを」
「死ぬまで 死ぬまで 誇りにしたいから」
めちゃくちゃ素敵な詩だなと思います。
繰り返し繰り返し聴いてます。

そういえば、2号機は相変わらずボロボロになって、目玉と歯茎剥き出しにしてその辺に放られるんすね……お疲れ様2号機……って思いました。
最後までアスカの居場所でいてくれてありがとうと言う気持ちです。

シンジが対話したメンバー、なんであのメンバーなんだろうと思ってたんですけど、あそこにいたのは初号機と第13号機の中に残ってた人達なんだなって気付いたとき、よくできてるなあ......ってめちゃ感心してました。

カヲルくんで書き忘れたことがあった。
カヲルくんの涙に泣いたと書きましたが、泣き出したのは夕陽に照らされた湖畔で崩れた天使像に座るカヲルくんを観た時だった。
「ここで君と何度も話した」
ってアニメの記憶を持ち出したところでダメだった。ああいうのに弱いんです。弱いんです、ああいうの。

加持さんとカヲルくんの関係めっちゃいいよね。
「渚司令」って……
「リョウちゃん」て……
畑仕事して、縁側で涼みながらスイカ食べてんのかな。
タイプの違う良い顔の男2人が汗かいて美味しいもの食べて笑顔になってるの想像したら凄いな……
凄くあの2人の距離感好きです。

勝手に妄想垂れ流しといてアレですが、正直こうやってキャラクターのIFを妄想することもなんだか後ろめたい。
上の方にも書いたけど、2度目観に行くのですら躊躇しています。
僕の部屋にはエヴァグッズがちょこちょこ並んでいるけれど、それすらまとめて押し入れの隅っこにしまうべきなんじゃ無いかと思うほど。
シンエヴァを観終えてからずっと頭の片隅にエヴァンゲリオンがあります。
本当はそれすらいけないことのように感じる。
嫌いになった訳じゃない。
今も昔もエヴァは大好きなんだけど、あそこまで優しく送り出されたのに、今自分がしていることは立ち止まって振り返ってるだけのような……。
本当は前を向いて歩き出さないといけないのに……。

「“さよなら”は、また会うためのおまじない」
「さよなら、全てのエヴァンゲリオン」

この言葉が、「もう2度度出会えません!最後です!」みたいな突き放すような最後じゃなくて、「きっとまたどこかで出会えるから、だから、今日の日はさようなら」って言う、前を向くための少しの希望を握らせてくれる言葉なんじゃないかって思うんです。
また出会えるその日まで、もう振り返らなくていいんだよ、もうエヴァのことは考えなくていいんだよ。っていう、メッセージなのかなって。
だから本当はこうして、半泣きで文章書いてる今だって送り出してくれたエヴァに示しつかないなぁなんて思いながらこの一時の別れを噛みしめています。
学校卒業したのに新年度初日朝イチで登校する人いないじゃんっていう。
数年経って、そういえば……ってふと立ち寄って懐かしむような、そんなものになったのかなあって。

でも、「僕の母校こんなに素敵な場所でしたよ。こんな素敵な思い出がたくさんありますよ」って色んな人に言いたくなる時も……あるよね?

なんだか、送り出されたと同時に、長年引きずった恋に整理がついたようなそんな気分でもあります。(ろくに恋愛してこなかったけど......)
一時だって忘れたことない!なんて言わないですが、それでも中学、高校、専門学校、そして今、あの頃も今も、描きたいと思う絵や、脳内のデザインの引き出しの中、聴いている音楽や、目を輝かせながら熱中した娯楽など、生活の中に確かにエヴァンゲリオンはあったなと思います。
エヴァのおかげで今の自分があると言っても過言ではない。いや、本当に。
沢山の思い出や、縁がエヴァンゲリオンのおかげでできました。

エヴァを知れたこと、エヴァを愛せたこと、死ぬまで誇りにしたいと思います。
ありがとう、エヴァンゲリオン。
さようなら、エヴァンゲリオン。

終劇

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