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日本は鎖国的か否かについての一考察 前編

スーパーナースマンが面白い問題提起をしていたのでちょっと考えてみたいと思う。日本は本質的に鎖国の国なのではないかということなので歴史的経緯を踏まえちょっと考えてみよう。例によって思いつきの垂れ流しで走行や下書きはしていないので読み辛くても気にしないでね!

さて、簡単に日本の鎖国についての私の認識を述べると、ある意味で本質をつき、ある意味ではそうでないのではないかと。そもそも日本の有史以来、大陸文化の影響を多岐にわたって受けているので閉鎖的という意味では違うのではないか。江戸時代の鎖国以前に海外との交流が事実上シャットダウンしていたのは遣唐使が廃止された平安時代の頃がメインではないだろうか。それ以前は渡来人が技術や文化を進めてきた。そして遣隋使からの流れで技術や文化を大陸に学びに行った。そして江戸時代の鎖国は限定的なもので完全に閉じていた訳ではない。

遣唐使の廃止は大陸の政治情勢による理由もあるがとりあえず技術や文化水準を一定のキャッチアップできたから廃止。その結果、国風文化が生まれ、文化を輸入していた唐に至っては滅亡しある意味唐文化の正統な後継者に日本がなった。少なくとも『売り家と唐様で書く三代目』という言葉が生まれる程度には日本に定着したわけだ。

江戸時代の鎖国は戦国時代から安土桃山時代の間に南蛮貿易にいそしんでいたが、キリスト教の影響力の拡大に危惧して行った。そして鎖国政策は字面のイメージに反して長崎を窓口とした限定貿易を引き続き行い、幕府は最低限海外の動向を掴んでいた。(それが幕末の政治にどう反映されたかはスタンスによりいろいろであろう)また、薩摩は薩摩で琉球経由で密貿易をしていた訳で完全なものでは無かった。

さて、グローバル人材の日本における活用というのは歴史的には遣唐使廃止前と幕末の開国以降が全盛だったのではないだろうか。双方に共通するのは先進国へのキャッチアップのために行われていたということではないか。

ここから話の風呂敷を無限に広げることになるが、果たして現在の日本は海外からのグローバル人材を活用できているか。そして日本国としてそれを活用する意思があるのかどうか。これがえとっちに対する回答になるのではないかということでまたツラツラと続きを次回書くことにする。(何時かは未定)


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