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3月11日 「日常」 と 「非日常」

東日本大震災から10年、2021年3月11日、
福島へ行きました。

その時にもらった言葉について書いてます。

1. 福島に向かう前。


福島へ行くにあたって、被災地に生きる人々に対して想いを抱くこと(抱いてしまうこと) を私自身、覚悟していました。

何を私は感じられるのだろうか。

福島を自分の目で見て、
私はどう変わるのだろうか。

せっかく福島へ行くから、何か得て帰らなきゃ、少しでも成長して帰らなきゃ。

これから先は福島で学ぶことを精一杯背負って生きていかなきゃ。

そんな風に考えていました。



けれど福島で実際に聞いた言葉は、正反対だった。


「何も背負わなくていいから」


この言葉。正直すごく驚いた。えっ?ってなった。


覚悟を決めて、ここへ来ているし、来たからには背負わなくてはいけない。

私が伝えられることがある、そう思い込んでいたから。


2. 背負い続けなきゃ。伝えなきゃ。 は必要ない?


伝えたい。 と外側の人間はきっと感じる。

けれども内側の人間(当事者)の中には、


「3月11日をわざわざ非日常にしないでほしい」


と考える人もいる。 
(多くの人が東日本大震災や原発のことを "非日常" として捉えていることが前提だけど、実際問題そうだと思う。私もそうだった。)


たしかに、福島で日常を過ごしている方にとっては、2021年の3月11日だっていつもの日常の一コマ。


確かに間違っていないし、理解できる。


誰かにとって、もしかして今日 7月15日 はとっっっても特別な日かもしれない。


でも私にとっては何気ない日常の1日。

これと、似てるのかもしれない。


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ただやっぱり3月11日は特別な日だから、精一杯伝えてほしい。

そんな風に考えてる被災された方ももちろんたくさんいると思う。それは人それぞれ。

福島に非日常な場面がまだあることも確かだし。



だから他人の気持ちをよく考えて、人をできるだけ傷つけないように、丁寧に。

伝えるべきことの選択を。

自戒を込めて。




「何も背負わなくていいから」


この言葉を聞いて、改めて私がどう行動をとるべきか考えたけど答えは出てない。

背負い込まずに、伝えられる時に。

自分に余裕がある時に。

伝えたいと心から思ったときに、動けばいいのかなって思えました。




今度福島に来る時は、遊びにきて!って言ってもらえたし、
つぎ行く時は魚釣りがしたーーーーい!


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