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【藤安将平考察:新藤五国光と粟田口吉光】

※2022/1/29 Twitterのスペースでお話した内容の原稿になります。
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【新藤五国光と粟田口吉光】
鑑定上、古来、粟田口国綱を鎌倉に召出して、相州鍛冶指導(?)。鎌倉在来の鍛冶、永仁元年銘の国光。

国光の作を見るに、地肌は板目に程度の差はあれ、綾杉状の肌を見る。これに地景より連なる金筋の働きがからみ、焼出しより立ち上る沸映り現る。
刃は直刃。よく沸付ほつれ、前述の働き現れる。
帽子、基本は直に小丸に返る。ふくらあたりに地沸となる、沸のくい下り翁のヒゲを見る。研溜りに、何点かに見られる。上身の地肌と異なる。いわゆる茎鉄との合せ目が確認出来る作がある。板目肌及び綾杉肌を細見すると、刃寄り綾杉から地中板目、杢目となり、棟寄は柾に流れる。刃文は匂口締る作とさほど締らず、刃中に沸こごる作とがある。又、一本の短刀で元刃中沸こごり、匂口が拡がり先にいって匂口が締るもの(会津新藤五)。元、中、先と上記の如くなるもの(冠落し造り佐野美)。他にもかつて協会(髙山先生)より見せていただいた作で、元から先まで刃縁が締らず刃中へ染み込んだような刃文となっていた作であった。当時私は、このような刃文に焼きが入った場合失敗作とすると言って、御意見を伺った処、「自分の立場上明言出来かねる。そして研が大分助けているとだけ言っておきましょう」とのことであった。
このような刃文は、当時の私達の眼には失敗作としか映らなかったが、今の意識で考えれば、国光作の範中であったと思われる。その後も国光作を拝見するにかなり完成度の高い作と思われる国宝等の作を見るに(ガラス越し)、元から先まで同じ匂口のものは見当たらなかった。押型、写真で見てかなり完成度が高いと思っていた作でも自身の手に持ち目でとらえなければとなるとかなり難しくなる。
八寸くらいの長さでありながら作によっては、元、中、先と匂口が異なるのは、火取りのムラに他ならないのだが、太刀の作(少ない)に細直刃のものがあり、押型(部分)で見るに、元の方は匂口が太く見え、多分に会津新藤五の真ん中くらいの刃ではないかと思われ、先の方は締り心の刃となっている。

脱線気味なので戻す。

ついで吉光の作を見るに(実際手に取って見られない)、写真、押型に限って云えば、厚藤四郎の地肌ははっきりとした綾杉肌となっており、これも棟寄りは流れ肌となる。
刃棟区近くを見るに、少々流れてはいるが、あきらかに地肌が異なっていて茎鉄を接いだと思われる。国光のように、他の吉光も検証したいのだが、鑑定鑑賞刀には出ないし、博物館美術館では佐野美・福山美以外では見せてもらえないので検証のしようがない。加えて、今まで粟田口物、特に吉光に綾杉肌があるとは本でも未見だし聞いたこともないが、東博がデータで出してくれていて拡大画面にすると前述のような結果を見ることが出来た。岩切長束藤四郎も東博のデータで取り出して見ると、綾杉肌を見る。裏側の研溜りに茎を接いだように見える処があるが、このデータでは不明。実見出来る資料の少ないことが大変残念である。
何点か吉光を細見することによって、吉光と国光の関わりの深さが考えられるのだが…。以上のことがはっきりすれば、国光はまさしく粟田口国綱への繋がり、技術的には吉光と同等の作刀をしてきたと思われる。従って、備前国宗、助真との関わりは作刀の上からは考えられない。
又、国光では今まで三点の短刀で研溜りに上身と異なった肌目を見ることが出来、厚藤四郎の区際の荒い肌も同様の結果と思われ、画像上で見る限り行光にもそれらしい肌目を区際に見ることが出来、画像上でいえばかなりの国光に関わる刀工の作にこの区際の肌を確認(?)出来るので、実物で検証したい。

Copyright:将平鍛刀場

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