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million marketsについて

今作っている新規事業について、濃縮非還元の言語で語ってみる。そんなの公開していいの?と言われても構わない。なぜなら、この状態で「なるほど、つまりこういうことか!」と思った人はぜひ「一緒にやりましょう」な人だからだ。それに僕がやりたいのはこの3ステージくらい先にある。

million marketsはECサイトの企画だ。

有り体に言えば「次世代EC Social Network Market」になる。これはmillion marketsが属するジャンルの話なので企画そのものではない。

SNM(Social Network Market)の特徴は3つある。

第1に、非検索性
第2に、中心の不在
第3に、虚構化

検索性の限界と、非検索の情報接触

SEOの思想は「ユーザーの求める情報を最適化して提供する」ことにある。Googleは人々が「知りたい」ことを提供するサービスだ。

その延長上に、知りたくなる前に提供する予想技術がある。その対価として「知って欲しい人」から広告費をもらうのが彼らのビジネスモデルだ。

これには常に矛盾がつきまとう。つまり
「知りたいこと」

「知って欲しいこと」
が一致していれば、それは広告にする必要がない、という点だ。つまり、知って欲しい人々の不完全性がビジネスモデルの根幹にあるので、Googleは「知りたいこと」を見つけやすくするほどにビジネスモデルの必要性が失われる。

では、今後どうなるか?

答えは「情報源とのネットワークを作る」事にあると予想している。

自分にとって有益な情報発信者とのパイプをつなぎ、手元に欲しくなる情報が集まるようにする。
この仕組みを作ることが重視されるようになっていく。

すでにツイッターやインスタグラムではその流れが起こっている。ユーザーを検索してフォローする、という行為はキーワード検索の代替手段となる。
ハッシュタグでの検索も、ハッシュタグを通じて情報源をソートしているに過ぎない。

million marketsでは「売り手」をフォローするところから始まる。売り手と買い手が情報パイプで繋がることを取引の起点に置くことで、情報流通のデザインを考えるレイヤーが変わる。

「欲しい商品の発見」という思想から、
「あこがれの人の発見」という思想へ。

買い物が「所有欲の満足」から「表現欲の充足」へと変化するのがmillion marketsが目指す世界であり、SNMが体現する世界だ。

中心は限りなく曖昧化し、小さな惑星に散らばる

太陽系が太陽の引力を中心にまわる惑星の集まりである、と解釈する一方で、宇宙全体で見れば「何を中心とするか?」は多様な解釈が可能になる。

GoogleもAmazonも太陽系における太陽のようなものだ。どんなWebサービスも、ECサイトも、今や両社無くしては考えられない。

しかし、レイヤーを変えてみよう。
私たちが「何を欲しいと思うか?」に、これらはどれだけ主体的な役割を担っているだろうか?

人間は所詮「自分さえ良ければいい」生き物にすぎない。GoogleやAmazonが扱えるのはあくまで「発信された情報」に過ぎない。
人間は「本当に自分のためになる情報」は発信しない。いや、それらは当人にとってあまりに当たり前なので「発信できない」のだ。

何気ない日常は、何気なさすぎて意識できない。

million marketsは中心を置かない。
なぜならGoogleやAmazonのような中心らしいものを置いても、その本質は常に空虚でしかないからだ。
そこに、まるで実が伴うかのように見せることは効率が悪すぎる。

だから、million marketsはSNMのひとつの例でしかない。作りたいのはあくまでSNMという概念であり、この企画はその事例としてmillion marketsを作るだけだ。

一人ひとりの手にマーケットをもたらす

これがmillion marketsのコンセプトだ。
つまり、太陽を作るのではなく引力をデザインする。小惑星はあくまで「集まってくるだけ」の存在たちだ。

実軸の世界を虚軸の世界で包む

ベスタックスを作った椎野さんのトークに出てきた印象的な言葉がある。
「世界から本当のことがなくなってしまった」

million marketsがは食の次世代ECサービスだ。
食経済とは、常に実軸の世界である。なぜなら、食べるための世界であり僕たちは霞を食っては生きてはいけない。

どれだけ虚軸の世界のふりをしても、最後はいつも実軸の世界に落ち着く。

虚軸の世界には限度がない。
どこまでも「売れる」のが虚軸の世界だ。音楽も、情報も、感情も。どれもがエスカレートを続けていくことができる。

食経済を虚軸の世界にしようという取り組みは何度もされてきた。砂糖を使った肥満児生成は虚軸の世界の論理を実軸の世界に押し当てた結果だった。
オーガニック信仰は、実軸の世界を虚軸の世界で包み込んだパッケージ商品だ。別にその食べ物が「オーガニックであるか」は関係ない。オーガニックと信仰している自分に酔うのがオーガニック信仰の大半の姿だ。

million marketsもまた、虚軸の世界で実軸の世界をハックする。SNMの特徴は「誰が、なぜ、何をしたか?」にある。
つまり、食事をするという行為に「Who」と「Why」と「What」を持ち込む。

物理的な「食べ物」に虚構の「意味」を添加する。これは食品につける新しい添加物とも言える。
この添加物を操れば、干からびたりんごですら価値を発揮し始める。奇跡のリンゴなんかまさにそうだ。

僕がやらなくても誰かが実現する

この企画について僕が感じているのは「僕がやらなくても誰かが実現する」という思いだ。
正直、気が乗らない。
これによって幸せになる人も生まれるだろうが、逆に不幸になる人も生まれる。ただ、それは僕が何もしなくても同じ結果になる。

であれば、やってしまおうじゃないか、というのが今のモチベーションだ。
同時に、この何歩も先を見たいというのが僕のモチベーションでもある。

僕が見たいのはSNMではない。
その先の、高度に分断され、一人ひとりの生きている時間単位まで分割された世界。物理学的な世界から、量子力学的な世界まで分解された先に何が生まれるのかに興味がある。

そこにたどり着くには、一度世界を分断しなくてはならない。それも、今まで以上にきめ細かく、これ以上ないほどに。

その時に起こる各種事象をもって初めて「再構築の道筋」が見え始めるのだと思う。正しい形で「Pass the Bridge」をするために、一度ちゃんと世界を孤独にする必要があると感じている。

Social Network Marketのひとつ「million markets」はここまで言語化できました。あとは少しずつ、企画としての体裁を整えていき形にします。

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