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夢も技術もない荒野で踊る

僕らは位置について
横一列でスタートを切った
つまずいてる あいつのこと見て
本当はシメシメと思っていた

スガシカオの曲「progress」の頭のフレーズが好きだ。「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組の主題歌で、スガシカオの曲といえばこれと夜空ノムコウしか知らない。

今の世の中、会社で働く人のほとんどは
「僕らは位置について、横一列でスタートを切った」
のだと思う。新卒一括採用で入社して、大なり小なり波を乗り越えてここまでやってきた。

そして仲間でありライバルでもある同僚や先輩、後輩を見て
「つまずいてるあいつのこと見て、本当はシメシメと思っていた」
のだろう。

だけど気がつけば、世の中はぐちゃぐちゃになっていた。

スタートラインから先、どこへ進めばいいのかわからない。先輩は逆走するし、後輩は全然違う方向に走り出す。上司との間には谷があるし、社長との間には山がある。

かといって止まるわけにもいかない。
なぜなら、なぜなら、なぜなら、
いろんな理由があるから。

だけど、また逆説だ。だけども、目を輝かせて夢を語るには歳をとりすぎたし、世界をあっと驚かすことができる技術はない。

「このままじゃダメだけど、
これからどうすりゃいいんだよ。」

そんな諦めにも似たため息が内から漏れ出てくる。

残酷なことに僕らはこの先何十年も生きるのだ。

今や40代に入って初めて人生の折り返し地点なのだ。
ハリーポッターで言うなら、後半から上下巻に分かれる濃厚な日々が始まるのに、アズカバンの囚人で挫折するようなものだ。
(僕もその辺で心折れかけたけど)

じゃあこの世は、夢も技術もない人が生きにくいものでいいのだろうか?

コミュニティを作る世界は夢にあふれている。
「もっとこうしたら…」
「こんな世界になったら…」
そんなのは一握りの人間にしか許されない、特別な体験だと思う。少なくとも、ここには同じ目で夢を語る人はいない。
多くの制約や現実の中でただよっている。

ふと、不思議にすら思う。
「彼らは幸せになりたいのだろうか?」
僕たちは勝手に、一方的に、そして時に暴力的に
「人は幸せになりたいと思っている」
と信じている。

だけど世の中には
「俺は不幸だ。」
「私は理不尽な目にあっている。」
「なんで僕だけこんな目に。」
そう言いながら、その状況を脱する切符を手に取らない。

この、チケットに手を伸ばさない事実から始めなければ、ソーシャルグッドも社会変革もなにも起こらないのではないか。

イノベーターは光とともに未来を照らす。
しかし、レイトアダプター以下の人々にとって、光は強烈すぎる。目が潰れてしまうのだ。

あるイノベーターは言った。
そんなのは捨て置け、と。

だけど僕にはできない。
なぜなら、彼らもまたこの世に生きているから。彼らの影響なしに僕らは生活できない。
僕たちがどれだけサスティナブルでオーガニックな生活をしても、彼らがミサイルを飛ばせば全て吹き飛ぶ。

彼らも変わらねばならない。
もしくは滅ばねばならない。

進化が環境への適応であるならば、環境に適応できない種は滅びるだけだ。では、人類という視点に立つと、果たして僕らは環境に適応できているのだろうか?
人類という視点に立つと、イノベーションを起こすことだけが正解なのだろうか?

僕は、イノベーションを広げることの方が大切だと思っている。そのためには、夢も技術もない荒野に行く必要があると思う。

なぜなら、最前線はそこにあるから。
前線はいつだって荒野だ。イノベーションの最前線もまたきっと楽しい荒野なんだろう。だけど一方で、変われない人々の中にも荒野がある。

この荒野に野花が咲き、私たちの子のまた子供のそのまた孫の世代まで届く森を作りたい。

そのために、彼らとどうあるべきなのか?
それを知るにはここらうってつの場所だ。あらためて、この場所は踊る価値がある場所だと思った。

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