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自粛と自粛圧力の責任

初めに言うと私はコロナを封じたい、大切な人にうつしたくないという気持ちと、自分の時間を無駄にしたくないという気持ちの均衡値で以て行動している。

「自粛をお願いします。」
この言葉、もう飽きるほど聞いた。言語的には問題ない。しかし自粛の意味と本質を考えると違和感を覚える。自粛とは自らが「飲み会行くのやめとこうか」「おでかけやめとこうか」ということを行動に移すことであって、感染したくない、損をしたくないというお気持ちをお願いという意味で用いる言葉ではない。だから他人に責任を押し付ける、そういうニュアンスに僕はとった。本当にやめて欲しかった場合「〜することをお控えください。」と言う方がシンプルである。そこであえて「自粛をお願いします。」という言葉を選んだことを考えるとあくまで自己責任で慎んでくださいというニュアンスを帯びているように取れる。これは短なる言葉狩りではなくその言葉を選んだ意味を考えればそうではないだろうか、ということである。

自粛なんて言葉が流行って、何でもかんでも人が集まることや移動することを制限しようとする社会的ムーブメントが2020年から起こった。そして不景気に拍車がかかり倒産件数が伸びる一方、やたらと業績を伸ばす企業もある。若者は自粛生活を強いられ人生で最も時間があるはずの学生時代を何者かによって作られた自粛圧力により捨てるという判断をする。しかもお願いどころか社会ではそれに命令的なニュアンスを帯びた。自粛自粛と命令的に繰り返す人々の言葉はいつもifで責任を問うどこか同調圧力的なものだった。それを表面的なニュアンスにはどうしても取ることができない。なぜなら自粛とは自ら行うことであるから他人に言われてすることではなく、その言葉をあえて選ぶことに違和感があるからだ。

「自粛自粛ってあんだけ騒いでおいて、今日この頃お出かけする人々を見ると呆れてしまうよ。お得意の自粛はどうしたんだ。」というおでかけのオタクのツイートを見た。

このツイートがそれを物語っているのではないだろうか。あんだけ自粛自粛と言っていた大人たちが酒を飲み、おでかけをし、感染者という数値が膨れ上がる。

今日の状況を見て第一波の頃言われた「感染を広げないようにしよう」ということは建前で、実際は自分の利害に基づくものだったのではないかなと思う。あまり本質的とは言えない。

本来自粛は自らがウイルスを恐れ行動を慎むことであり、同調圧力に屈して慎むものではない。

自粛しろ、というニュアンスの行動制限を促す言葉を発した人はそこに意味も責任を感じていないのかもしれないが、その発言に従う真面目な人々や従わざるを得なかった人々の時間を奪った責任があると思う。自己責任という言葉を言うのは簡単だが、他人がいえばそれは自分の責任逃れである。そんなことにも気づけない愚かな人々に脅される人生なんてうんざりだな。

私の自粛期間の生活
バイト先から旅行を自粛しろと言われ、もしコロナになったら責任を取れと言われたので、「責任は取れません。法的にも。強制的にやると言うなら予め籍を外せば書面上の責任を負えないので辞めます。」といって8ヶ月の無職生活を送っていた。学生時代で最も充実していたその8ヶ月は感染対策を徹底し、毎週のようにでかけ、毎週図書館に通い好きなだけ本を読み、気が向いたらドライブorサイクリング。好きなお店や行ってみたいお店で1人食事をし、少額の投資信託とデザインの仕事の受注をウェブ上で受注し請負不足分を稼ぐ。就職活動はウェブなので多くの企業を受ける機会もできた。自分のためにも人のためにも時間を使える最高の生活だったと自負している。私のこの生活は自粛だったとはお世辞にも言えないが、厚生労働省のマニュアルに一部添い、感染対策と他人との接触を極力控えてはいた。これが僕の中でコロナを封じたい気持ちと自分の時間の有効活用の均衡値だった。その中でもほぼストレスフリーで満足している。ストレスといえばおじいちゃんおばあちゃんに会う事をがまんしたくらい。結局同調圧力に屈することなく、時間を賢く上手く使った人がこのコロナ禍ではストレスフリーだったのかもしれない。社会人になると会社というものに所属する責任があるのでそうもいかないが、学生に向けた責任の押しつけは畑違いにも程がある。学生から奪った時間をどうたてかえるつもりで発言しているのか、若者責任転嫁と自粛命令は非常に傲慢だ。

やたら責任をほかの世代に押し付けたがる大人たちはいつもこの不景気について討論している。しかしネガティブなことしか言わない。はっきりいってみっともない。自国に自惚れながらあなた方が作った社会だからな?有権者としてその時代を生きたということを忘れていると思う。

この30年にもわたるデフレを放置してきた大人たちと、既得権益にしがみついて人と金の回りを悪くし放置した大人たち、おまけに自粛自粛、若者が悪い、感染者は自業自得と騒いでおいて自らは自粛しない大人たち。こんな大人たちに従って苦しい思いをした真面目な人達が本当に不憫で、どうして真面目が救われないのかとふと考えてしまう。

同調圧力に従う前にその内容の意味をしっかり考える必要があるということを学んだコロナ禍だったな。結局世の中的には同調圧力に屈するも躱すも自己責任なのだと悟った。

ネガティブなことばかり書いたが、僕が言いたいことはこんな大人たちに従うよりも僕たちの力で社会を作っていこうという当事者意識を持って自分で考えて欲しかった。僕たち若者ができることは、こんなだらしない大人たちが敷いた赤字路線を廃止し、これから時代を生きる人々がお金と時間に困らず暮らすことができる新しい動脈を敷くことだと思う。それが結果的に自分たちを幸せにするし、この社会を良くしていくことになるんじゃないかな。そのために行動する人々を支えていきたいし、これからも自ら行動していきたい。

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