格差と連鎖
私の生まれ育った場所
僕の生まれた場所は仙台郊外の小さな町にある新興住宅地。そこには年収200万円未満の世帯から1000万円以上の世代まで幅広く居住していた。僕はその住宅地に立地する団地に住んでおり低所得〜中所得世帯はほぼそこに住んでいた。
ニュータウンの分断
僕が小学生になる前、団地は両親がいて一定以上の収入がある人しか住めなかったのでとても治安がよく厳しい子ども社会の上下関係はあったが逆に言えば歳上のお兄ちゃんお姉ちゃんが守ってくれるような環境だった。
しかしあるとき無収入でも入居できるようになり状況が一変した。片親は当たり前、両親がパチンカス、一軒家を手放した高齢夫婦、リストラにあった夫婦などが一気に入居、どんどん雰囲気が変わっていった。その頃、団地の中は治安が悪く、外で物が盗まれるようなことは日常茶飯事だった。朝は登校時間を過ぎてもふらふら歩いて通学しない小学生、夜は両親の帰りを待って公園で遊んでいる小学生が屯っていたし、爆竹をやったりエアガンで撃ち合っていたりとてもじゃないが小さい子がお外で遊べるような環境ではなかった。
団地の外側はお母さんが専業主婦や祖父母が一緒に暮らしている人達ばかりで、一軒家には両親や祖父母が政治家や銀行員、役場や県庁職員、大手企業の社員、経営者、大学の教授、学校の先生、デザイナー、百貨店の店員など色々な職業の人が暮らしていた。また周辺のマンションや大きいアパートには転勤族が沢山住んでいた。そのような家庭の子は朝早く家を出て学校で勉強、下校するとピアノやバイオリン、サッカー、野球にスイミング、英語に塾、書道にそろばん、茶道に剣道などなど習い事に行く人ばかり。それでも彼らは遊ぶ時は遊び、勉強する時はしっかり勉強していた。
我が家は団地に住んではいたが、母親が専業主婦で父親は大企業勤務だったので逆に少数派の中流層。一方で両親、祖父母は家庭の事情で高校や大学に進学できなかったり、大学を中退したりと学歴が高いどころかむしろ低い家庭だった。母親の家系は学びたくても学べなかったという過去があり非常に教育熱心であり、やりたいことに関しては放任だった。しかし幾ら父が大企業勤務とはいえ団地の外の人たちのように高所得者と比べてしまいいつもお金に関しては僕自身も萎縮しがちだった。そんなこともあり体育クラブの会員になりキャンプやスキー、スケートなどシーズン限定の習い事や水泳や和太鼓など比較的安い習い事をしていた。小学校低学年のうちは団地で遊んでいることが多く、悪い友達ばかりできていくも両親は特にそこへ介入してこなかった。悪い友だちの中で生活することで自分自身の人間性であったり社会適応力を身につけることができた。
上記のことを踏まえると学校の中では物凄い格差があったことが分かると思う。僕は成績悪い教科といい教科の差が大きいので参考にならないが、収入が成績と比例していることは火を見るより明らかだった。県立中学や私立中学を受験する人達は当然高収入の家庭の人達。うちでは中学受験の話など1ミリも出たことがない。しかし相対的に収入の低い家庭ではあったが母親は自分で調べるだけでなく高学歴高所得の人達から必死に情報を仕入れ教育してくれたこともあり今こうして大学に通いこんな記事を書いている。僕の交友関係は両方に股がっておりお金持ちの話も貧乏話も両方聞いていたが、学校では明らかに収入による分断が起きていた。
僕は地元ではそこそこの高校に行ったが結局その住宅地からは高所得者層や我が家のような中所得者層しか来ていなかった。その後の話では団地にいたヤバいやつらはヤクザになったりチンピラになって刑務所入ったりとまぁいい話は聞かない。一方で工場で働きながら子供がいるやつもいるとか。
ここまで収入格差を小学生のうちから意識せざるを得なかった田舎の学校も珍しいのではないかなと思う。
結局そうやって連鎖していくんだなぁと感じている。
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