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社会学的にみた新型コロナウィルス

新型コロナウィルスの感染拡大の実態を把握し今後の予測をする上でデータ解析の重要性が指摘されているが、そのことは私の師匠である北神圭朗先生(政治家)をはじめ、何人かの方からアドバイスをもらった。

※北神圭朗先生のチャンネルです。3月21日の配信動画です。


一方で、「社会学的に今回の新型コロナウィルスの感染拡大をどうみるのか?」ということは、とても大切だと考えている。私は今回の新型コロナウィルスの感染拡大について意見を求められた時に、実際どういうことが日本や地域社会で起こっているのかということを自分なりに整理し、発言している。

そこで、私が把握している現状の中でこの新型コロナウィルスが社会と経済にどういう影響を及ぼすかということを表現してみたい。

三つの視点
1、無秩序の中から秩序が生まれる
2、小さいものより大きいものに被害が訪れる
3、新しい価値を創造する

1、無秩序化の中から秩序が生まれる。
パンデミックという言葉で表されるように、この新型コロナウィルスの世界的な流行を否定する人は今では誰もいないと思われる。しかし、例えば今年の2月の時点でこれほどまで大きな影響を社会、経済に与えるとは多くの人が気づいていなかったと思う。

私もその一人で、2月の12日から15日まで、宮崎、鹿児島の旅に出ていて、新型コロナウィルスの影響で空港にも観光地にも中国人がいないので、「これは経済が大変なことになるぞ。」などとのんきなことを言っていた。こんなに大変になると認識せず、大変だと言って土産話をしていたのである。

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オリンピックの延期の決定を経て、その後明らかになったのは、日本での感染者数の増加とそれに伴う社会的、経済的な被害の凄まじさだ。私は、過去の感染症などの歴史的な事例も加味して考えると、この状況は長期化すると思っている。

ところで、歴史的な事例で思い浮かぶ一つが約100年前のスペインインフルエンザ。前菰野町長の石原正敬氏がこのスペインインフルエンザとの類似性について興味深い指摘をしている。



いずれにしても、この長期化は社会的・経済的な被害をさらに拡大させるだけではなく、人間の心を疲弊させる。多くの人が希望的観測に基づいて新型コロナウィルスに向き合えば、その希望的観測が外れた時の心理的なストレスは大きなものとなる。

人の心は荒れて、社会は無秩序化する。感染者を非難する声、人権を無視する発言などは、その一つの例だ。先日、三重県知事が記者会見で三重県の感染者の自宅に石が投げ込まれたり、壁に落書きがされたことを嘆いた。人の心も無秩序化していると言える。


これまで、社会や経済の土台になっていたものが壊れ始めれば、ものごとは無秩序化する。例えば多くの飲食店が店舗営業の売り上げを減少する事態に悲鳴を上げ、テイクアウトやデリバリーに移行する姿をみても、店舗内で質の高い料理とサービスを提供してきた日本の飲食店の仕組みが壊れたことを明らかにしている。観光地などのインバウンドはさらに深刻で、厳しい状況が続けば、廃業若しくは倒産は増えていくだろう。

長期化すれば、人の心の無秩序化、経済の無秩序化、そして社会の無秩序化が進行していくことになると思われる。今多くの人たちは無秩序化の中で、必死に歯を食いしばり、自らの生活や事業を存続するために努力しているのである。

この無秩序化は社会や経済、そして人の心に決定的な変化をもたらす。その変化が次の秩序をつくっていくことになるはずだと思われる。

2、小さいものより大きいものに被害が訪れる
それでは、どういったところに、この新型コロナウィルスは影響を与えているのか?ということだが、一言でいえば、小さいところより大きいところに被害が訪れると言うことだと私は感じている。

例えば、お金を持っていない人よりも、お金を持っている人。飲食店舗であれば、一つの店舗を持っているところより二つの店舗を持っているところ、三店舗持っているところ、もっと言えば、三〇店舗持っている企業の方が被害は大きいはずだ。

事業が元々厳しかったところは、もちろんこの状況において、さらに厳しくなるのは当たり前だが、従来、順風満帆に事業を手広く展開していたところが、ある日突然、例えば、三〇店舗分の売上が減少し、赤字を生み出す。事業を撤退するにも店舗数が多いため、簡単には判断できない。

政治が行う国民に対する給付について所得制限の話が出ていたが、今回の新型コロナウィルスで一番被害にあっているのは誤解を恐れずに言えば、低所得者ではなく、比較的手広く事業を展開している中小企業やそこで勤める人たちのはずだ。豊かだった人たちがいきなり安定的に得ていたお金を失うことの不安は計り知れない。そういう意味では、所得制限の議論は不毛であり、実態を把握していない政治の問題だと考えている。

早くから一律10万円の給付を主張していた玉木雄一郎氏は公正に評価されるべきだろう。


また大企業であっても、利益が大幅に縮小したり、赤字を垂れ流しだしている。内部留保があるとはいえ、どこまで維持できるかはわからない。いずれにしても、今回の新型コロナウィルスは今までお金を持ち、安定的に暮らしていた人たちに大打撃を与えている。それは、低所得者に与えるインパクトよりもはるかに大きい。


それでは、社会的にはどうだろうか?従来、健康で自由に意欲的に世の中を移動し、活動してきた人たちが制約を求められている。不健康で不自由に暮らしていた人とまではいかないだろうが、そういう人たちに近づく形で移動と活動が制約されてしまっている。これは人間の移動や活動を制約するという、今回の新型コロナウィルスの特徴の一つであると思われる。

例えば、多くの子どもたちは引きこもりや不登校でなくても自宅での生活を余儀なくされるように、新型コロナウィルスは、健康な人の自由を奪っているのである。

3、新しい価値を創造する
健康被害だけではなく、社会的、経済的に大きな被害を与えるのが今回の新型コロナウィルスだと私は考えている。事業を展開してきた人たちは放漫経営をしてきたわけではなく、むしろ努力し、成功してきた人たちだ。その人たちが、ある日、突然、大きな損害に直面し、経営判断を迫られる。

しかも、そこには、過去の成功体験が通用しない。粘れば粘るほど状況が悪化してしまう。また、なぜ健康な人が健康を害していないのに、移動や行動の自粛が求められ、制限されるのであろうか。

全てが小さいものや弱いものに人間を寄せていくウィルス。私は陰謀論やオカルト主義を採用していないが、神の仕業なのかと思ってしまうほど摩訶不思議なウィルスだと感じている。もちろん、この事態にあって、素早く対応できた人もいるかもしれないが、それは一部だと考えられる。少なくとも、私が直接対話する人たちの多くは翻弄されている。

無秩序化の中で秩序が生まれると述べたが、まさにこの事態を受けとめて、我々は新しい価値を創造していくべきだと考える。それは、過去の成功体験に基づかない、新しい価値だと考える。お金だけで成り立つ拝金主義的な考え方は特に通用しないだろう。

まさに、人が当たり前に感じ、普段意識していない、環境や地域のコミュニティ、人とのつながり、助け合い。そういうものが特に求められるのだと私は思う。政治も緊急事態としての財政負担は避けられないが、コロナ後に待つ社会は、補助金や財政負担が前提のステイクホルダーに対する政治ではなくなるだろう。

やや抽象的な表現になって申し訳ないが、本質を大切にする社会が待っていると私は感じている。人は現象に振り回される。しかし本当に大切なのは本質のはずだ。この現象の中で、人々はそれぞれに本質を知ることになるのだろう。その本質が新たな現象をつくっていく。今度はウィルスではなく、人がその本質に基づいて新たな現象をつくりあげていくのだと考える。

少なくとも、過去には戻らない。振り子が左に触れて、右に戻るという単純なものではない。私は、新しい価値の創造を目指して、コロナ後の先を見据えた対応が求められていると考えている。

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