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山づくりに境界線は必要か?

 山づくりにはどのような山をつくっていくかという構想が必要になってきます。とは言え、素人でスタートした山づくりは試行錯誤の連続です。そんな私たちをスタート時からサポートしてくれた山の先生には様々なことを学ばせていただきました。

 山の先生との出会いは、私たちが山での事業をスタートするときにヘルメット等の道具をある会社に買いに行った時、その会社の会長から「山に詳しい人がいるから相談してみては?」と紹介してもらいました。もともと名前も顔も知っていて、面識もあった方だったのですが、山に詳しいとは知りませんでした。さっそく、お会いして、相談したところ、山の指導を快く引き受けてくれました。

 

山の先生から学んだこと
1、先生の山での作業
2、お金の介入がない
3、境界線について


1、先生の山での作業
 まず、私たちがしたことは、先生が行う山での作業に参加することでした。木の枝を片づけたり、谷の掃除、また、桜と紅葉の木を植える作業の手伝いなど、山での作業をしながら、少しずつ山での仕事と生態系について学びました。先生は「この山も最初はかなり荒れていた。基本的には自分一人で山を整備してきた。それでも時間をかけてコツコツやると綺麗になるもんだよ。」と山づくりにかけた時間の長さを語ってくれました。

 ちなみにこの山は隠れた蛍の名所となっています。たくさんの蛍がその山で観れるのも、生態系を大切にする先生の山づくりが大きな要因になっているのではないかと私は考えています。

 また、先生は私たちの会社の事業で雑木を伐採したりする作業も手伝ってくれました。当時すでに70歳を超えていましたが、身のこなしは軽快で、仕事に対する意欲に満ち満ちていて、年下の私たちが圧倒されるほどでした。

 

2、お金の介入がない
 興味深いことは、先生とのお金のやり取りがほとんどなかったということです。僕たちは先生の作業を手伝い、先生は僕たちの作業を手伝ってくれる。そこにお金の介入はありませんでした。

 先生は、「現役を引退した僕はそれでいいんだ。お金で動く必要は全くない。僕には山という財産がある。それで生きていけるんだ。でも、君たちは若いんだから、そういうわけにはいかない。稼ぐんだぞ。」といって励ましてくれました。

 先生から何かの請求をされたことはありませんし、私たちも先生に何かを請求することもありませんでした。あったとすれば、作業という価値の交換です。

2、境界線について
 ある夏の暑い日に私は先生と二人で山で草抜きをしていました。先生は草抜きに慣れているので、軽快に作業をしながら僕にいろいろと話しかけてきました。私は汗だくになって草を抜きながら、先生の話に耳を傾けます。

 「ここからがうちの山、ここからはあなたの山といって境界をつくる必要はない。自分が目に付いたり、気づいたら、自分の山ではなくても草を抜かなければいけないよ。」、「ここまでが私の山なので、草は抜きますが、ここからはあなたの山なので草は抜きませんというのはダメな考え方だと。」と先生は言うのです。当時、うちの会社は借り入れをして、先生の隣の山を購入していました。私の会社の山、先生の山という線引きをしていては良い山づくりはできないということです。

 先生が言われているのは、単なるボランティア精神という意味ではなく、山づくりをしていくうえでは、自分と他者との境界線を設けずに作業しなければいけませんよということだったのではないかと感じています。もちろん、所有権や登記、そして、それに関連する境界はとても大切で経済活動の基本でもあります。すべてに先生の考え方を当てはめることはできませんが、私たちが山づくりをしていく上では大きなヒントとなるものです。

 仲間や信頼関係が生まれている関係の中では、境界線はむしろ必要ないのではないと思います。様々な社会活動にも参考できる考え方だと私は思っています。

自分と他人に境界線を無くす!
 所有権や登記など、それぞれを他者と分けて、境界線を設けるというのは、経済活動の基本だと思います。しかし、それが行き過ぎてしまうと、自らの事業や社会に限界が生まれてしまいます。いい山づくり、いい社会づくりは過度の境界線を設けず物事を進めていくことが必要だと考えています。

 

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