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山河あり。

 今日もチッパーで枝葉を細かくし、堆肥づくりです。枝葉を整頓しそれを堆肥にするわけですが、これは観る山づくりにつながります。観る山という視点を教えてくれたのは、山林部をスタートした時に指導してくれた方でした。

 その方からはいろんなことを教わりましたし、今でも場面場面でアドバイスしてくれます。山づくりだけではなく、山や自然という視点から社会の様々な問題について解説してくれます。とても的確で学ぶべきことがたくさん多く、大変お世話になっています。

 その方は私の会社の隣の山でまさに観る山づくりを行っています。そんな山の先生が私の山に来てくれました。自分の山の作業を終えた後、私たちが作業をしているのを見つけて来てくれたみたいです。

 私たちの作業を確認していただいた後、お会いするのも久しぶりなので少し時間をとっていただいて世間話をしました。最近のコロナショックやそれに伴う、株価や経済状況について意見交換しました。

 「新型コロナウィルスで経済は厳しくなっている。人とモノが移動できなかったら経済が成り立たないんだから。このままだと世の中が大変なことになるよ。」と言った後、続けて「大助さん、こういう時は国破れて山河あり」だよ、とお話しされました。

国破れて山河ありとは?
・中国の唐の時代の詩人・杜甫の詩。
・杜甫は李白と並ぶ詩人で詩聖と言われる。
・戦争で荒廃した都市、自分の置かれた状況と自然の生命力を対比した詩と言われている。

 国語や社会の授業で習った詩だと記憶していますが、まさに、変わらない自然を大切にしなさいよというお言葉だったと思います。先生は、よく自然の生命力、植物の生命力は人間をはじめとする動物と比べ物にならないほどたくましく、そして、本質なんだと言っています。大切なのは現象ではなく本質なんだと私には聞こえました。

現象よりも本質を!
 人はどうしても現象に目を向けがちになってしまいます。しかし大切なのは本質です。現象に振り回されず本質はなんなのかを問い続けることが必要です。山や自然にはその本質がある。山を感じることは本質を感じることにつながると考えています。

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