文章という可能性、死という武器、私の実話

 「さようなら、まあるいせかい」
まだ蒸すような暑さの続く世界で、彼は両手を大きく広げた。
靴は脱ぐのがセオリーらしい。最期に言葉を遺すのもセオリーなんだとか。
死に際にそんな流暢な事やってられるか。
そんなことを思いながら、彼は靴を脱いでいた。

なんとなく、ただなんとなく、死に近づいたような気がする。
こう、なんというか死の世界が迎えに来ている感覚。
外の硬く、冷たい地が、心まで冷やしあげる。
天国、いや地獄は裸足なのだろうか。やはり海外の人間はそこも土足なのだろうか。そもそも、人種によって変わる生死観、死後の世界の捉え方に正解などあるのだろか。
「もう意識なんていらない、意識があったら苦しみもあるから」
死後の世界なんて必要ない。意識なんていらない。全て無で良い。
意識なんて、心なんて、魂なんて全ていらないから。無を頂戴。

手すりに足をかけてみる。
手すりに足をかけているのだからそれは足すり?なんて呑気なことを考えてみる。
あぁ、せっかく死ぬならあいつ殺せば良かった。
大嫌いなあいつ殺してから死ねば良かったなぁ……
ここから羽ばたけば、彼は彼の救いとなる。
彼が、孤独で震えた彼のヒーローとなる。

最期に連絡を見るなんてしない。きっと死ねないから。
きっと、寂しくなってしまうから。
人の暖かさを求めてしまうから。
彼は、冷たいままで良い。冷たいまま、冷たくなれば良い。

彼は、羽ばたいた。平和の象徴のように。
彼は、羽ばたいた。全てを断ち切るように。
彼は、羽ばたいた。冷たいまま羽ばたいた。
彼は、平和の象徴のような彼は、真っ白から真っ赤になった。
彼は、ぐちゃぐちゃになった。
彼は、彼の、彼、彼、彼……彼って誰だっけ。




私は死のうとしていた。
私は、死のうと手すりに足をかけた。
手すりに足をかけたらそれは足すりなのだろうか。
私は、最期に連絡を見た。本当は死ぬなんて辛いから。
私は、靴を脱ぐのを忘れていた。
私は、後悔した。


私は、人の暖かさに触れてしまった。
私は、人の優しさに触れてしまった。


私は孤独にはなりきれなかった。


死に愛されていなかった。
生にも愛されてなんかいなかった。


それでも、私は、私をまだ愛してしまっていた。


それでも、私は死にきりたかった。
死ねないなんて許せなかった。
だから私は、文章の可能性に託した。
文章で私を殺そうとした。
厳密には、第三者視点。『彼』になるだろうか。
彼を文章で殺した。私のかわりに。
死は、私の武器であった。


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