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漫才論| ³⁰カバー漫才が"コピー"や"モノマネ"になりがちなのはなぜ❓

2010年に,「M-1グランプリ プレゼンツ MANZAIカバーズ」という番組がありました。「名作漫才ネタの"カバー"はお笑いの新たなスタイルになる?」などと期待されていましたが,2021年の今も,漫才のカバーは「お笑いの新たなスタイル」にはなっていません

カバーとコピーとモノマネ
の違いを理解していない

この番組で披露された漫才はほとんどカバーではなく,「コピー」や「モノマネ」でした。元ネタの漫才師とそっくりの衣装を着て,言い方を真似したりしていました

あの番組でネタを披露した漫才師は,番組サイドに「コピー漫才」をやらされただけなのか,それとも,自分たちも「カバー漫才」というものが分からずモノマネになってしまったのかは不明ですが,今でも「コピー漫才」と「カバー漫才」の違いが分からない方は多いように思います。現に最近でも,「カバー漫才」と言いながら,コピーやモノマネのような漫才をする漫才師が多くいます

「カバー漫才」はおもしろくない?

M-1関連の番組で,しかも,カバー漫才を全面に押し出した「MANZAIカバーズ」という名前を付けて放送しておきながら,まともなカバー漫才をしなかった(もしくはさせなかった)罪は大きいと思います。この番組によって,カバー漫才は「お笑いの新たなスタイルになる」どころか,「漫才のカバーはあまりおもしろくない」というイメージがついてしまった可能性すらあります

しかし,あの番組が証明したのは,「漫才のコピーはおもしろくない」ということであって,「漫才のカバーはおもしろくない」ということではありません。あの番組ではほとんどカバー漫才は披露されていないからです。漫才の「コピー」がお笑いの新たなスタイルにならないことなど誰にでも分かることですし,なぜあれを「カバー」と呼んであんな番組を作ったのかが謎です(昔の番組でもはや誰も覚えていないかもしれませんが,当時の関係者には「責任をとってほしい」とすら思います)

本物の「カバー漫才」とは?

歌であれば,カバーとコピーとモノマネの違いは明白です。「カバー曲」というのは,元の曲を,別のアーティストが自分のものにして,そのアーティストにしかできない"形"で表現したものであり,だからこそ,わざわざお金を出してでも聴きたいと思います

もちろん,モノマネには「モノマネ」としての価値や楽しみ方がありますが,「カバー」の楽しみ方とはまったくの別物です。例えば徳永英明さんが,一青窈さんの「ハナミズキ」をカバーするときに,一青窈さんのような髪型や衣装を着て,一青窈さんの歌い方を真似していたらどうでしょうか?モノマネ番組ならそれでいいですが,カバー番組だったら苦情が殺到するはずです。カバー曲を買ったのに中身がそんな曲ばかりだったら,失望するはずです

同じように,コピーでもモノマネでもなく,元のネタを自分たちのものにし,まるで自分たちのネタでもあるかのように演じるのが「カバー漫才」です。この違いが分かっていない人が多いので,カバー漫才は,「コピー」や「モノマネ」になりがちなのだと思います

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作: 藤澤俊輔  出演: おせつときょうた

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