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みんなで作る漫才の教科書

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「みんなで作る漫才の教科書」とは,テーマ別に分類した「漫才論」にみなさんから「質問」「意見」「反論」などをいただいて,それに答えるという形式で教科書を作っていこうというプロジェク…
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#漫才スタイルの確立

漫才の教科書| ⁴ボケとツッコミ

今回のテーマ【ボケとツッコミ】このテーマに関するご質問や,以下の「漫才論」の内容に対する「質問」「意見」「反論」などを,下記のいずれかの方法でお寄せください 回答は,この記事の有料エリアに記載します。ご質問などは何度でもお寄せいただけます。誹謗中傷以外の「反論」も大歓迎です。「漫才の教科書」作りに,ご協力よろしくお願いいたします ¹「ボケ」と「ツッコミ」の違い ²「ボケとツッコミ」はなぜ分けるのか ³「ボケとツッコミを分けない」という選択肢 漫才の教科書| 目次¹

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漫才の教科書| ⁵漫才スタイル

今回のテーマ【漫才スタイル】このテーマに関するご質問や,以下の「漫才論」の内容に対する「質問」「意見」「反論」などを,下記のいずれかの方法でお寄せください 回答は,この記事の有料エリアに記載します。ご質問などは何度でもお寄せいただけます。誹謗中傷以外の「反論」も大歓迎です。「漫才の教科書」作りに,ご協力よろしくお願いいたします ¹スタイルの分類 ²アドリブスタイル ³スタイルの変化 ⁴スタイルの選択 漫才の教科書| 目次¹話芸・うまさ ²ネタ作り ³普段の会話を

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漫才論| ¹³¹「正統派漫才が好きで漫才がうまく, 普段の二人の会話はおもしろいのに漫才のウケはいまいち」という漫才師なら, 普段の会話を漫才に"昇華"できればM-1準決勝は狙える

今回のM-1の結果を受けて一番恐れているのは,「漫才はうまいのに漫才のウケが悪い漫才師」が奇抜な方向に走ることです。漫才のウケが悪いと「漫才スタイル」を見直したくなるのは当然のことです。それほど「漫才がうまくない」コンビであれば,いろいろなスタイルを試すことによって何かを見つけられるかもしれません しかし,明らかに漫才が「うまい」とすればそれは,「二人とも漫才の才能がある」ということです。二人とも「しゃべり」も「掛け合い」もうまい漫才師はそこまで多くありません。この武器を最

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漫才論| ¹⁵⁴ダウンタウンの影響で生まれた「ボケとツッコミは分けるべき」という固定観念はついに終わりを迎えるのか❓

ダウンタウンは別に「ボケとツッコミは分けるべき」と主張したわけではありませんし,ダウンタウンの場合はたまたま「ボケ気質とツッコミ気質のコンビだった」だけですが,彼らの漫才がその後の漫才師に尋常ではないほど大きな影響を与えた結果,「ボケとツッコミを分けるのはあたりまえ」になりました ダウンタウンによってもたらされた数えきれないほどの「良い影響」もありますが,同時に「悪い影響」というものもあり,「ボケとツッコミは分けるべき」という固定観念があったからこそつぶれていったコンビもい

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漫才論| ¹²⁸ダウンタウンから始まりM-1によって確立された漫才における"多様性"の時代

この記事は,「お笑い第1世代から第7世代にかけての『漫才スタイル』の分類」の解説的な内容ですので,まずはこちらの記事をご覧ください ダウタウンがやっていたのは "誰でもできそう"な漫才お笑い第1世代と第2世代の漫才をみて,「自分にもできそう」と思う人はそこまで多くないと思います。実際それは,「プロにしかできないもの」「才能のあるかぎられた人にしかできないもの」であり,「芸」としてのクリオティは相当高いです ところが今では,漫才は「やろうと思えば誰でもできるもの」になりまし

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漫才論| ⁷⁵ハマカーンから学ぶ 「自分たちに合った"漫才スタイル"を確立する方法」

ハマカーンといえば今や,神田さんがボケで浜谷さんがツッコミ(のような状態)のコンビですが,元々は浜谷さんがボケで神田さんがツッコミ,ボケとツッコミが完全に分かれているオーソドックスなスタイルの漫才をしていました 「だんだんと漫才スタイルが変化する」というのはよくあることですが,ハマカーンの変化の仕方はとても興味深く,その変遷と最終的にどこに辿り着いたのかを知ることは,漫才スタイルで迷っているコンビにとってかなり参考になると思います

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漫才論| ⁹⁴「人志松本のすべらない話」から見えてくる未来の漫才の"形"とは❓

M-1の影響で,漫才の新しい「スタイル」や「システム」を編み出そうとするコンビが増えましたが,新しい「スタイル」や「システム」はどこまでも追求するべきものではないと思います。というより,どこまでも追求できるものではないと思います。つまり,いつか限界がくるということです 誰もやったことがない"新しい"漫才スタイルを追求し続けなければいけないとすれば,結構地獄です(新しい「スタイル」や「システム」を追求するとどうなるかについてはこちらの記事で書きました) 新しいシステムを追求

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漫才論| ⁶漫才はハイテンションではじめるべき❓

漫才師といえば,「どーもーーーー‼️」と元気よく登場し,ハイテンションで漫才をはじめるというイメージがあるかもしれません。特に若手の場合,静かに登場し,静かに漫才をはじめようものなら,「若いのに元気がない」と言われたりします。でも,「若者はこうあるべき」という若者をひとまとめにした意見が,全若者に当てはまるとは思えません。では,漫才はどんなテンションではじめるべきなのでしょうか?

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漫才論| ¹⁹相方との関係性は"対等"がいいの❓

大抵の場合, ツッコミよりもボケのほうが目立ちます。通常ボケることで笑いを起こすわけですから,ボケのほうが目立つのは当然のことかもしれません。しかし,ボケのほうが目立つ要因はほかにもあります。それは,ボケの人がネタを作り,主導権を握っている場合が多いということです ネタを書いている側が,ネタ作りにおいて主導権を握るのは必ずしも悪いことでありませんが,問題なのは,その関係性が「漫才」にも反映されてしまっている場合です。二人の関係が対等ではない漫才はみづらいです。友達のはずなの

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漫才論| ⁵笑いって「好み」なの❓

笑いは完全に「好み」だと思います 「美味しい食べ物と言えば?」と聞かれたら,多くの人が「寿司」「焼肉」「ラーメン」などと答えたりしますが,「寿司」は苦手という方もいますし,「寿司は基本好きだけど,ウニは苦手」という方もいます。「あんな美味しいものなんで好きじゃないの?」と言われても,それはもう「好み」ですから,その人がそれを「美味しい」と感じるかどうかという話です 同じように,「多くの人が『おもしろい』と感じる笑い」はありますが,「私はそれ好きじゃない」という方もいますし

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