絶望的な状況のヒトスジの光と言う希望はヒトスジしか希望にありつけれない絶望的な現実。

最近パンドラの箱の事を考えてしまう。ギリシャ神話は得意では無いけど。こんなに疫病に煩悩される毎日だと何だか疲れてきて…あの時あの箱開けて無ければ…とか…かなり非現実に嘆いたりしたくなりますよね。私だけか?

箱?って良く物語に出てくるよね。

浦島太郎も…花咲ジイサンも(あれはツヅラか。)あと…私の大好きなホラー映画のヘルレイザー♡も。(血が出るのが好きな方は是非とも観てね。)

まぁ箱ってイロイロな比喩何だけど…とにかくパンドラさんがあの箱さえ開けていなければ…疫病もこの世に存在しなかったのかな。と、非科学的に項垂れちゃうんですよね。

しかしながらパンドラの箱には希望が残っているって事…

多分この遥か昔のお話にもある通り人間は希望にすがる訳だけど…。これ基本的にポジティブマジョリティな思考ってやつ。

普通に皆希望を持って生きるのは辺り前だけど…無理に奇跡はおこせない。これを少し冷静に考えると少し楽に生きれる気がする。

例えばバイオハザードみたいな人工的なウィルスが蔓延した場合どうなるかな?って想像すると…けっこうな人が自分は生き残ってふにどうやって生存していくとか…戦えるか…とか…アリスみたいに救世主になれるか!とか考えるんだよね。でも…冷静に考えると殆どの人が感染してゾンビな訳だから。ゾンビが普通なんで…悩む事も無くて。悩む思考も無くてただお腹が空いてガウガウ言って死なないだけなんですよね。そう。ゾンビだから皆さん。

IamLEGENDのウィル・スミスになるのは多分相当厳しい訳だし…しんどいと思いますが、やっぱり皆自分はウィル・スミスもしくは生き残っている登場人物に自分を投影しちゃう。

絶望的な状況のヒトスジの光と言う希望はヒトスジしか希望にありつけれない絶望的な現実。…これは悲観的な意味では無いつもり。

現実をみなきゃ。現実を受け入れれば腹も座るってハナシ。それをしないで皆がヒトスジの光に希望を抱いていると…お釈迦様が垂らした蜘蛛の糸(芥川先生)みたいにプッツン切れちゃいますよね。ちなみに今年のオリンピック開催は残念ながら蜘蛛の糸かと私は思う所です。

私は医療従事者じゃ無いので生に医療現場はみていないのですが…コロナ対応してる友達のナースや実際コロナ感染した身内の話を聞いただけでもけっこう現実凄い事になっている。これは映画でも小説でもない現実。いつ誰がなって命を落とすかは少ない確率だけどあるし…もしも助かる病気事故も今は残念ながら無理ですよ…なのだ。「コロナは風邪でしよ?風邪はウィルスだよね」って私の隣にいる同僚は何故か威張っている。因みに去年虫垂炎になって薬でチラシた私は内心今又ぶり返したらどうしようかびびってます。(その時かかった病院はその後クラスターをおこしてたりするし。)

夢を希望にしよう。そして希望を現実に。良く聞くセリフですよね?

今の現実をみて希望を現実にしたいですよね。ちなみに私は現実をみてもみないふりしたからコロナ太りして…なんと3キロ増しました。もう若くないから勿論そんじゃそこらで落ちない…。見てみぬふりして世界中が疫病に希望を掻き消され無いようにしなきゃです。デブの私も醜いですが、見るも無残な世界の風景はこれ以上みたくない。

平和に世界の車窓からみたいですね。

次このネタを書くときはもっと希望が現実に近くなる事を望んでいます。ジミに頑張りましょ。






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