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三男と聾学校に行った話。

実は三男、音に対してあまり反応が見られない。もしかして耳があまり聞こえないのかな?と思い、ここ数ヶ月、聴力の検査を受けていました。

結果、どうやら「中等度の難聴」があるという診断が出たので、補聴器などの話を聞きに大塚聾(ろう)学校に行ってきました!

http://www.otsuka-sd.metro.tokyo.jp/cms/html/entry/2/3.html

*都立大塚ろう学校。サイトから拝借。

病院で言われるままに、補聴器を作る相談をするのかなー、とぼんやり行ったのですが、学校に着くと、3歳からの幼稚部に案内され、授業の様子を見学させてもらいました。
「補聴器の相談だと思ったのに、学級の紹介?三男は保育園に通っているし、特にここに入学しなくても良いんでない?」と私達は思っていました。

そして幼稚部の見学が終わると、「乳幼児教育相談学級」という、0〜2歳の乳幼児とその親を対象としたクラスの授業に参加させてもらいました。
この教室は、耳の聞こえない子どもと親のために、手話を教えたり、コミュニケーションの取り方、教育、心の成長について相談やサポートをしてくれるところです。

参加させてもらった0歳児クラスは、今年度最後の授業でした。この日の課題は、1年間で学んだ手話で、親子の自己紹介をする、というものでした。参加しているお母さん達(お父さんは私のダンナ以外いなかった)は、たどたどしい手話を使いながら、一所懸命発表をしていました。内容は主に、自分の子どもが生まれて、耳が聞こえないことが分かり、そこからこの学校に来るまでの経緯でした。

お母さん達の話は、初っ端からヘビーな内容でした。
待ちに待った自分の子どもが生まれてきて、耳が聞こえない・あるいは難聴があると診断されたら、誰でも少なからずショックを受けます。
皆、日々泣き暮らしたり、病院通いに忙殺されたりしているようで、話しながら泣き出してしまう人もいました。
私も、三男が生まれてからの病院通いや生活を思い出して、思わずもらい泣き(^_^;)

お母さん達の話を聞いて思ったのは、先天性の難聴の場合、その度合いは様々なものの、「他の症状なしに耳だけ聞こえない」という状況は、あまりないのかなぁということ。
たまたまこの日集まっていた子どもたちがそうだったのかもしれませんが、ほとんどが、ダウン症などを代表とする「奇形症候群」の全身の症状の一つとして、何らかの原因で聴力を持たない、または難聴を伴って生まれてくるようです。
生まれてすぐに難聴と診断される子は、心臓の穴、血管の奇形、神経系の奇形、その他手足の奇形、顎や頭の小ささ、全身の筋肉が柔らかいなどなど…三男とほとんど同じ症状を持っているようでした。

同じ症状を持つ子どもがたくさんいるということ、そして同じ心境の親御さん達もたくさんいるということを知って、私達はただただ嬉しかった。「あ、うちもそれだ。みんな同じなんだ」と思えることで、どれだけほっとしたことか。
皆、親身になってくれない病院や、自分達の仕事の都合とぶつかりながら、ヘトヘトになってなんとかここまで辿り着いたと言っていて…隣に座っているお母さん達がまるで戦友のように思えました。

お母さん達の中には、自分の子どもは耳が聞こえないということにショックを受け、「自分と家族のこれからの未来に絶望した」とか、「私は障碍児の母になるのだ、と覚悟した」という重い発言をしている人もいました。

そんな中、2人の全ろうの兄弟を育てているお母さんの話が、今の私達には一番しっくりくる感じがしたのです。

「1人目の耳が聞こえないと知った時には、確かにびっくりしたし、少し泣いたりもした。毎日、あらゆる音を子どもの前で鳴らしては、聞こえる!?聞こえない?!と確認するのを繰り返していた気がする。でもさすがに2人目の子も耳が聞こえないと知った時には、やっぱりなと思っただけで、むしろ伝えに来た先生の方が気を遣っているくらいだった。
今は、子供たちに聞こえの有無を確かめたりはしないし、兄弟仲良く補聴器をつけあって、いつの間にか覚えた手話でたくさん会話している。
私達は聞こえる世界が当たり前だから、聞こえないことを悲観しがちだけど、彼らにとっては、聞こえないことが当たり前。むしろ、自分を見て悲しんだり泣いたりするお母さんを見ることの方が悲しいと思う。時折、健聴の子どもを育ててみたかったなと思うことはあるけど、耳が聞こえないことに対して私は悲しいとは思わない。
私が泣いたのは、上の子と初めて手話で会話ができた時。毎日毎日、この子は聞こえていないんだよなと思いながら、必死に手話で話しかける毎日だった。ある日、スーパーで買い物をしていると、子どもが『今日の夕飯は何?』と手話で聞いてきた。今までは私が一方的に話しかけていたのだけれど、その日初めて、子どもからコミュニケーションをとってきた。それに思わず泣いてしまい、それを見た子どもがまた『どうして泣いてるの?』と手話で聞いてきた。泣きながらも、初めて子どもと手話で会話ができたことが嬉しくて嬉しくて、その日のことはよく覚えている」
その後、人工内耳を勧められて断った話などをして、そのお母さんは話し終えました。

彼女からは、他のお母さん達のような悲しみや疲れきった印象は全く受けなくて、元気な2人の兄弟を育てている、ごくごく普通の明るいお母さんという印象を受けました。

私達が彼女に親近感を覚えたのは、そういった彼女の明るさと、何よりも、自分の子どもの症状に対して、ちっとも悲観的にはなっていない所。耳が聞こえないということを、その子が持って生まれた性質として当たり前に扱っている所でした。

これまで私達も、三男の持って生まれた症状に対し、それほど悲観的にはなっていなかったように思います。確かに命が関わる部分や、大きな手術、通院に関してはしんどいと感じることもあったけど、「手術をしなきゃいけない=かわいそう」「音が聞こえないかもしれない=悲しい」「内反足だから装具をずっと着けないといけない=かわいそう」とは思わなかったのです。
むしろ、これまで知らなかった事がどんどん目の前に開けるし、いろんな病院に行っていろんな人から話を聞き、ネットで調べて、治療法を試す、これだけでもかなりワクワクしていたのです。楽しんでいると言っても過言じゃありません。
たまに、周囲の大人たちから、「あなた達は楽天的過ぎる」と言われたこともあったけど、そう見えるくらい、私達は彼の持って生まれた症状をネガティブには捉えていないのです。彼のこれからの人生に、不自由になることであれば、改善やサポートをしてあげればいいのだし、特に問題がないのであれば見守る。それが彼と一緒に、ありのままに生きていくということだと思うのです。人と違うものを持っているということは、とっても面白く、素敵なことだと思うのです。

とまぁ、改めて三男の魅力を再確認した私達でしたが、「難聴」というものに対しては、大変な誤解をしていたことも分かりました。
そもそも、「難聴」とはどういう状態なのか?三男の「中等度の難聴」ってどんな感じなの?
という話は次回。
とにかく、我々は三男と手話でコミュニケーションを取る必要がある、ということが分かったのです。

つづく。


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