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摂食障害とは何か?原因編

なぜ摂食障害になるのか?

これについては先に書いておきますが、明確な原因はわかっていません。

摂食障害に限らず、多くの疾患は原因が分からないところから始まります。そのような症状がある、というのは我々も見ることができます。例をあげれば、ものすごくセキが出る、といのは見ればわかりますね。でもそれがどういう原因かは見てもわかりませんよね。

"なぜなるの?"というものは、簡単にわからないため、研究を重ねていく以外、特定することはできません。

時には原因が分からないままに、治療法が先行するケースもあります。胃炎や 胃・十二指腸潰瘍といった一般的な疾患でさえ、その原因が細菌による感染症だとわかるまでは"胃痛を抑える"が唯一の治療法(つまり原因療法ではなく対症療法にあたります)、といった歴史があります。

摂食障害も現在はそういう状況であるし、多くの精神疾患は原因の特定が難しいので「これで治るぞ~!!」という治療法がありません。が、多くの患者と医療者の共闘によって、今では有効な治療方法なども見つかってきてはいます。そして研究も日々ゆっくりと進んでいます。

※共闘と記したのはまさに闘いのような歴史だからです。こと摂食障害は、治療を受けるにも、施すにも、なかなか難しい疾患です。

そうした中でなんとか積み上げてきたデータや方法が、今できる最善の治療方法ということです。歴史の積み重ねが、人を癒し救う礎になるんですよね。

極端な話をすると、心の病ではありますが、もしかしたら「未知なるナニカに感染している!」という疾患かもしれません…。

それも研究を進めていかないと断言はできません。そのためには、疾患にかかった人、それを治療する人、さらに研究する人、そうした人々の関係性が適切になること。

など、大きな課題を要する問題なのですね。原因不明というのはそのくらい大きな意味を持ちます。

歴史が見せてくれる原因の考え方

さて、そんなわけで現在までで分かっている摂食障害の原因について書いてみます。

摂食障害は複合要因である

大規模な研究は何度か行われていますが、全員に共通する要因は見られませんでした。※原因特定ならば全員共通の要因が必要になってきます。

最近の研究でも、同様で「どうやらこういう所は同じらしい」なども見えてきていますが、特定には至りません。また症状が変われば、全く逆の特徴を示すこともあります。

まず前提として考えられているのは以下の要因が絡みます。

1、文化的要因
分かりやすいのは痩せ文化のような社会がもたらすものです。例えば中世などでは宗教や女性の社会的立場などがその背景にあったようです。
2、本能的な要因
食欲などの生理的欲求は動物には不可欠です。こうした欲求は当然関わってきます。
3、自律神経系の要因
感情と身体をつなぐ制御システムです。心と体が一致しない、という表現は目にしたことがあるのではないでしょうか。
4、意識と無意識の要因
人の心は"情動"と"感情"に分けられます。また中でも認識が出来ない無意識な心の働きもあります。

以上の要因が大きく関わってきますが、これらは摂食障害に限らず、人が生きていくうえで前提にあるものなので、特定の要因とは言えません。が、これらの要素が関わっていることは重要な考え方です。

文化的要因などが関わってくる以上、原因を探るにしても、治療を取り組むにしても、社会そのものを見る目が備わっていないと、見落としてしまうこともある訳です。

たとえば若年層における摂食障害の場合、SNSなどの文化もまた要因として見ていく必要がありますから。

耐えず姿を変え続けている病理なのです。

僕はどちらかというと、当事者の方を見るときは、本人と、その文化的背景を見る癖、があります。いまの世の中を表現している症状、という風に考えるからです。

重なる色が生み出す病

では摂食障害の要因として深く関わってくるものはどういうものでしょう?というのが本記事のテーマですが、まず大事なのは「重なるいくつもの要因」というものです。

それを可視化してみたので、以下の図を見てください。

このようにいくつかの要因の層があります。重なっているところの色が濃くなっているのが分かりますかね。

それぞれの要因がどれくらい「負荷」になっているかで、真ん中のひし形の部分の濃さが変わるわけです。

少し同じような別の図を出します。

例えばこれは「周辺要因」だけが非常に濃く「負荷」になっており、後は薄い感じ。でも重なっているので、真ん中は「濃く」なっているわけです。

どの要因が濃くなっているかは、人それぞれですね。全部がバランスよく濃くなる人もいれば、どれか一つだけ飛びぬける人や、このうちの四つが濃い人など、実に様々でしょうから。

で、真ん中のひし形の部分。これが"ある地点"を超えたら、発症するというイメージです。

どれか一つでも強烈に濃くしてやると、いきなり発症することもあるでしょう(強烈ないじめや極端な事件をきっかけに発症する方がいるように)。

またゆっくりと全部が濃くなって発症することもあるでしょう(まるでダムが決壊するかのように些細なことで発症してしまう方がいるように)。

そしてこれらの要因もまた、誰にでもあることだったりします。

ここでポイントになるのは2つです。

①"ある地点"がどの程度かはやはり個人差がある。

ですね。同じような環境の人が、発症したりしなかったりするのは、このそれぞれの要因の違いもあるし、ある地点の違いもあるのでしょう。

したがって「なんでもっと過酷な環境にいる人がいるのにわたしはダメなんだろう…」という考え方は不要です。そういうもの、です。

重なり合っている色の濃さは目には見えませんから、あなたがつらいなら、それはつらいことです。他人と比べるものではありません。が、これまた比べてしまうのも症状の特徴というか、難しいとこなんだけどねえ…

治療にあたるうえでも、どんな要因が濃く絡んでいるかは、なかなか治療者の目には見えません。見えるのは、とりあえず外見だけで、それ以外のものを見ていくには長い時間と、信頼関係が必要ですから。

なんせ、どの要因もほとんどが"対話"によって探っていくものですから。

②"ある地点"を超えたからと言って必ず摂食障害になるわけではない。

これに関しては非常に難しいな、と思います。というのも、おそらくこの"ある地点"を超えた人は、なんらかの「疾患」を発症するのでしょうが、それすなわち摂食障害なのか、というのはわかりません。

ここが分かれば、いわばそれが「原因」とも言えるかもしれませんが…(例えば特定の遺伝子や染色体の異常など共通して起こっているものが見つかるなどです)

もちろん、要因として強いものはあると思います。身体要因として、病前から胃腸の弱点を抱えていることや、嚥下機能や唾液の分泌などに弱点がある方や、代謝のホルモンや甲状腺に弱点があることなど、そういうものがある方が、食事を拒む要因には関係がありそうですし(とはいえ憶測の域を出ません)。

しかし、まだ「イコール」で結び付けられるほど確固たるものが存在するわけではないですね…

非常に難しい病である

さて、それぞれの要因もある程度は「こういうものではないか?」という詳細があります。多くなるので、いったん省略しました。

例えば身体要因でも、【運動能力】【元の体型】【食事量】【胃腸機能】など細分化されていきます。

そうなると、相当な量になるので…いったん考え方のベースである、摂食障害は複合要因であるについてを記しました。

またこれらも社会が変わっていけば、さらに増えたり、ないしは減ったりするものです。周辺の環境から受ける影響などは、メディアの存在でかなり変わりますしね。

いままで存在しなかった「負荷」も新たに生まれたりします。

代表的な症状も年々姿を変えていたりします。過食嘔吐など排出行為を繰り返す症状などは、数十年前はあまり見られなかったようです。これらはコンビニエンスストアが広まったことも影響にあったりします。

下剤や利尿剤が製造されて世に出るまでは、もちろんそれらの乱用という症状も、当然ながらなかったわけです。

こうして日々の変化に非常に敏感な症状であることも、一つの特徴といえるかもしれません。

「原因はよく分かっていない」

さて、まとめになりますが結局のところ「原因はよく分かっていない」という結論にはなります。なんだそんな曖昧な話するなよ!!と思うかもしれませんが、曖昧どころかこれが最もはっきりした答えなんです。

だってわかってれば解決できる問題だよ?

それが現状出来ないことも、この裏付けです。時々、専門家ではない人が「摂食障害の原因はこれだ!!」なんて言ったりしてますが、そういえば人が飛びつくと思って言っているか、自分の体験から踏まえた物語を書いているか、です。

これによって気持ちが楽になることを否定するつもりはありませんが、わからないを明確化すること、の重要性を無視するわけにもこちとら行きません笑。し、中には悪質なものもありますし。

わからない、はすごく大切な断定でもあるので。

わからないからあきらめる。のではなく、わからないからこそさらに解き明かしていく、というのが意欲の根源ですから。

わかってないことに、わかる!ということは、意欲の停止に繋がるんです。

だからこそより研究が必要だし、支援も必要な分野ではないかと僕は考えているわけですが…

まあそうはいっても、僕も専門家ではないし、医療者でもないし、当事者でもないので、それぞれが頑張っていけるように、応援者としてふるまえればいいなと思うばかりです。

映画もそんな位置づけで創りました。芸術的、文化的とらえ方があってもいいじゃないか。という思いです。よかったら見てやってください。


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