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あの頃の特別な自分へ

完璧でありたい

そんな風に"思わなくなった"のはいつだったか。

そう"思うようになった"のは、早かったような覚えがある。

幼少期だかそこらに、自分は"他の人間とは違うんだ"という特別な感覚を持っていた。もしかすると正確にはそう思うことで自尊心を保っていた、のかもしれない。

この身に降りかかる出来事がうまく処理できない時に(納得いかないということ)、まあ自分は"特別だから"こういうこともあるだろう、とか、そういうことで気持ちを処理していたのだろう。

また、特別なナニカが起こると信じていた。ある日ヒーローになるとか、ある日超能力が芽生えるとかそういうこと。

いつも眠りにつく頃にはそんなことばかり妄想していた。

ここには、体の弱かった長男に付きっきりの両親が、次男である私に手をかけられなかったという事情もあるにはあるのだが(それでいて容姿が良かった兄とは良く比べられていたし)。

それを差し置いても、この異常なまでの"特別感"はもっと深いところから来ているような気がしないでもない。

"自分は選ばれた人間だ"

ある日そう思うようになった。選ばれた人、という単語に敏感になった。

そう思うことで、自尊心を高めると同時に、他人のことを蔑んでいた。こいつらは誰もわたしの高尚さを理解していない、と思っていた。ちなみにこの感覚は5歳児とかそこらだったはず(正確には覚えてない)。

今思えば他人を蔑むことで、自尊心を高めていたのだろうとは思う。

しかし、それは小学生の頃に一度砕かれる。

いじめがきっかけだった。多分人に話せばそんなの大したことないやん、と言われる内容のもの(実際客観的に見てもっと酷いいじめはあるし)。

が、重要なのは"それまで築き上げた自尊心"が崩れることだ。それは強い自己否定に繋がった。

しかし自己否定をしたまま生活するのはとんでもなくキツい。

また、この頃に芽生えた感情としては"特別な自分がいじめに合うなんて認めたくない"というものだ。

もっとガキンチョ風にいえば、このスペシャルな人間がなぜいじめなんぞに合わねばならぬのだ!!という感じw

この拗れを修正するのに、さらに"特別な自分感"を高めていった。そうは言っても、人より少し得意なことがあったりはしたもんで(勉強とか口達者とかだ)、それを武器にとにかく他人を蔑んだ。

蔑むことで優位に立てると思っていた。し、それがさらに"特別な自分感"を高めていった。論破、論破、論破。論破することで快感を得ていた。小学生くらいだと、言葉が詰まって処理できないことはあるので、正論を述べなくても論破は可能だ。

時には正論も言っていたと思うが、そもそも正論を述べても問題解決しないことが多い(というか今は正論ってなんやねんって感じだ)。

問題解決から目を背けるために、もっともらしいことを述べていただけ、ということだと思う。が、周りもこれに従うことが多かったのは事実であって、歪んだ自尊心は肥大化していく。

特別じゃないという怒り

しかし上には上がいるもので、そういう人を前にすると、目を背けたり、適当な言い訳をしていた。ここまでの性質を要約するとこうだ。

■自分より弱い(と決めつけているもの)を論破して自尊心を高め
■自分より強い(と感じたもの)からは目を背ける

まあこんな調子だから、世界の中心でいられるし、特別感に酔っていられた。しかし、それがある弊害を生む。

とにかく特別じゃないと、完璧じゃないと、許せないのだ。

それはやがて自分の容姿への受け取り方に現れ始めた。

自分の物差しでしかないのだが、例えば"吹き出物"が気に入らない"前髪がくせ毛なのが気に入らない"とか"一重の目"が気に入らないとか、そういうこと。劣性遺伝とか過敏に反応した(※ちなみにいまこの言葉は変わっている)。

なぜ性格や実績や態度や人格など、目に見えないものに対してその感情がわかなかったかは謎である。見てわかりやすく完璧でいたかったのかもしれない。ここを是正しても見てわからないから無駄、くらいに思っていたのだろう。

当時太っていたことで得ていた劣等感を消し去りたかったのかもしれない。※ちなみにそれは後程違っていたことも気づく。太っていたから劣等感があったんじゃない。劣等感は別のところから来ていた。

とにかく特別であるということは、常に称賛を浴び続けなければならない、と思い込んでいた。

完璧でいたいがゆえ、そうじゃない自分が許せなかった。また、それを指摘する人間をすべて敵とみなし、指摘する人を攻撃もした。出来ない相手には、マウンティングのような行為をしていた気がする。

どんどん小さく孤独な人間になっていた気はするが、その方が狭い世界で特別にいられるのだから、ある方の言葉を借りればこれが"生存戦略"だった。今思えばかなり歪んでるなあ笑。

この歪みを抱えたままだと、必ず痛い目に合うと思う。というか、合った。それはまたいずれ語ろうとは思う笑

特別じゃなくなったある日

そんな特別な自分を、捨て去ったのはいつだったろう。そもそもこのnoteを書き出したのはそれを記すためだったんだけど…笑

容姿がすべてではないとか、自分は特別じゃない、と思うようになっていたのは経緯がある。それはゆっくりと起こった。し、今も更生の最中なのだと思う。渦中にいるうちは何もわからない。

人は自分の心の状況が見えるように出来ていない。多くの人がそうであるように、自分もまたそうだ。

少し先に進んだときに、振り返ってそうだとわかる。

そのヒントを与えてくれるのはいつも自分以外の誰かだ。自分で出来ることがあるとすれば、それは行動することくらい。

そして前に進める行動を取るときに必ずと言ってよいほど伴うのが、葛藤である。強い葛藤。

もう一度書く、人は自分の心の状況が見えるように出来ていない。

だからこそ、心の状況を打ち破る行動は、強烈な違和感を生じるし、葛藤を伴う。このような行動は"完璧な自分ではない"とか"自分では選ばない行為だ"といった葛藤が。

葛藤を感じている時点で、完璧でも特別でもなく弱い一人の人間であるという自分のことが見えていないし、そもそも完璧でも特別でもなくていい、ということにも気が付いていないのだけれど。

そんな心の葛藤が垣間見える映画はこちら

無理矢理に宣伝しましたがww 自尊心のことを考えるうえで、本パートは非常に考えさせられます。DieAterのリメイク版ことRE:DieAterの""です。

CHAPTER1の"闘争と逃走"
CHAPTER2の"悲しみよ こんにちは"

では自尊心を失う過程の中で生まれた葛藤について語られていると思います。良かったら合わせてごらんください。

映画"DieAter"公式HP

https://glutenfreeter.wixsite.com/fujimoto-a/dieater




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