あし3

映画を創る=虫眼鏡を持つ

さて、年表自己紹介も行っていますが、これは「物語」の形成であって、肩書ではないんですよね。

現在の肩書で自己紹介するとわたしはこんな人です。

・コーヒー屋(※店を持たない個人事業主として)
・映画監督(※コンテンツホルダーとして)

分かりやすい。まあ2年ほど前に脱サラして個人事業主やってますって感じ。

さて、ではなぜ映画を作ろう!!ってなったのか、という話。

わたしが作ったのは「摂食障害」という病についてのドキュメンタリー映画です。これについてはインタビューで一度語っていますのでどうぞ。こちら

今回は映画について話す

さて、今回はなぜ『摂食障害』だったのか?という話を置いておき、そもそも映画を作ったのはなぜか?ということに軸を置きます。

まず映画とは何か?という点から話します。映画の定義と言うのは、微妙なものです。

wiki先輩によるとこうです。

映画(えいが)とは、長いフィルムに高速度で連続撮影した静止画像(写真)を映写機で映写幕(スクリーン)に連続投影することで、形や動きを再現するもの[1]。活動写真、キネマ、シネマとも。

さて今ではフィルムで撮影されることは殆どありません。デジタルが主体です。そうすると殆ど映画じゃねえやん、ということになりかねません(笑)

『日本国語大辞典第二版』ですとこうなるそうです。

カメラなどで映し撮ること。また、その画像。

シンプルですが、こうなると「ん?ホームビデオも映画やんけ…」ってなるし、「YOUTUBEとかにあがってる動画は?」となりますね。

境目があいまいです。映像作品と映画と動画ってどう違うの?となります。映画館でかかってれば映画?映倫を通しているか否か?

などキリがないですね。少し違うけれど、音楽で例えることも可能ですね。音楽は、楽器を使って曲を演奏すること?鳥のさえずりや、木の葉の揺れる森の音は?とか言い出すとキリがないように。

映画「dieAter」公式HPをしらっとここで貼る…(笑)
https://glutenfreeter.wixsite.com/fujimoto-a/dieater

では映画とはなにをもって映画になるのか?

ここについては、どう考えるかは自分で決めたらいいよ~!みたいな曖昧性が出てきますが、これは重要。

物事の定義とは、皆が考える定義のすり合わせで完成していきます。※概念を持ち寄って意味づけして定義づけしてみんなで共有するのよ。

結果、本来の意味からずれてしまうこともあるので、すでに決まっている定義の中でコミュニケーションを取ろうとしたり、あるいは社会に出そうとすると、『わたしの定義』がそぐわないことはありますね。

どこまで皆とすり合わせしながら『わたしの定義』を持ち込むのかは大切なことです。

というのを前提で、ふじもとあつしの考える映画の定義は以下の3つです。

1、カメラなどで映し撮ること。また、その画像。
2、付加価値が生み出せること。例えばお金になるなど。
3、社会に対するメッセージがあること

この3つが最低条件だと思います。

1について、まずこれをなさなければ、小説や絵画や演劇や音楽などの、他の芸術作品との違いをつくれません。そのために必要。

また3の補完にもなります。1枚の絵画で社会的メッセージを込める素晴らしい作品もありますが、より多くの人に共感してもらうために、映像という表現が適している場合もあります。

2についてはこれは難しいところですが、映画を『芸術』とするか『産業』とするか、となると後者であるべきです。

正確には『芸術』の持続性を担保するために『産業』になってもらわないと困る、という感じかな…(笑)

いずれの『芸術』もコスト0では作れません。したがって、産業として成り立たせる必要があります。昨今の映画は、映画それ自体ではもうからないので、ソフト化や、グッズ販売や、権利販売など二次利用することで、なんとかやってるケースが多いです(権利商売としての大手ともいえるディ〇ニーが最強の映画会社になるのは分かります)。

特に映画は再生環境によっては、例えばシネコンなどはものすごいコストがかかります。ポップコーンを売らなければ経営は成り立ちませんから。

ちなみにポップコーンは90パーセントが利益になるのに対し、映画は50パーセント程度で、制作者に回るのはそのうちごく一部となります。

dieAterもあまりもうからないので(無料だし)良かったらサポートしてください。note以外でも受け付けています…。

映画もここで観れますよ。
https://glutenfreeter.wixsite.com/fujimoto-a/theater

社会に対するメッセージ?

さて3について。

元々、映画にはこの要素が大きかったのですね。メディアとして機能していたので。これは端的に説明すると『たくさんの人が一堂に会して同じテーマのものを見る』という機会の捻出が映画の役割でした。

演説、にも近いですね。演説のように直接的ではなくても、伝わりやすかったり、また各々がある程度自分で考えるというスキがあるので、むしろそれは伝わりやすいのです。

伝言ゲームは答え合わせにしてる方が伝わりやすいんですよ(笑)

人は正解をもらうより、正解を考えてすり合わせる方が得意だから。これはSNS見てれば分かりますね。Aだ!と本人は言ってるのに、それについて議論がなされ、結果違う答えが生れます。この時に答えになるのは『みんながすり合わせた結果多く出た意見』です。

映画はこの機会の捻出です。

日本はテレビがありましたから、映画とは別の方法でこれをやっちゃったのですが、アメリカや(その他の国)では映画の方が先です。

皆が映画館に集まって、映画を見て、ああだこうだと議論をするわけです。そこには監督や、またはスポンサーの恣意的な表現もあって、ある程度伝えたいことを投げたうえで、形にするという方式をとっています。

中には思いっきり『俺はこう思う!どうだみんなは!!』という内容のものもありますが(笑)

そのうえで虫眼鏡を持つとは?

さあ、長くなりまたが要するに映画は『こんなんあるけどみんなで考えようよ~!』です。めっちゃ雑に言うと。

ある程度のエンタメ性を持ったビデオ教材
、という言い方をすると結構元も子もありませんww

まあこれはわたしの考える定義ですし、例えば国によって文化的背景がまるで違うので、同様の定義に当てはめるのは難しいことなのですが。

日本の今の映画産業にはそのような社会に対するメッセージを持った映画はあまり多くありません。無くはないです、あるんです。が、そんなにみんなで考えなくてもよくない?みたいな当たり前というか普遍的な問題にスポットが当たりやすかったり、全然関係ない恋愛だのなんだのがテーマになっています。

いや恋愛も考えるの大事やけどね…(笑)

もっと考えないといけないことあるんじゃない?目を向けた方がいいことあるよね?どう思う?これどうなのよ?!

そういった問題を議題に引っ張り上げるためには、映画が必要です。問題はたくさんあって、どれも考えなくてはいけないことだったりします。

でも全部を見るのは難しい。だから虫眼鏡を当ててあげることで、見やすくするのです。万引き家族とか、分かりやすいんじゃない?イイ感じに当たってるでしょ?

虫眼鏡とうのは、一部を切り出したものではなく、大部分の中の一部を拡大したものです。この感覚は非常に重要で。

社会にあるたくさんの問題を一度に考えるには我々には難しいです。でも、細かく見るのは可能です。それも虫眼鏡(映画)というサポート(演出)があれば。

そこから読み解ける社会全体の問題を、考えることが出来たらいいのではないでしょうか?

要は世の中問題だらけだと思うよ

さて、結論を申します。まとめ。

わたしは今の世の中問題めっちゃ多いやんヤバくない?

と思っています。良いところもあるけど、問題も多数ある。でも、自分の問題意識と、皆の問題意識には少しズレがあるようだ。

どうしよう?

議論しよう!!

という結論に至りました。で、映画が好きで、ノウハウもあったので映画を作ってみたわけです。※言い忘れてたけど某巨大シネコンで5年働いてました。

dieAterにはわたしが考える日本の問題が多く包括されています。虫眼鏡は摂食障害にあたりましたが、ここから読み解けるものは実は非常に多いのではないかと思います。

そういう視点で、改めて見直してほしいなと、思います。かしこ。

映画もここで観れます。
https://glutenfreeter.wixsite.com/fujimoto-a/theater


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