革命粒子を振り返って…
完全なる雑談編
はい、さてまず監督(自分)お疲れさまでした。
中身の部分は動画にもしてるし、ロペさんのnoteやSNSにまとまってるのでそっち見てください…w
ロペさんのnote
そんなこんなで雑談。
アート展について考えてみた
その昔バンドマン時代に経験したことなんだけど、わたしドラマーだったのよね、だがしかし全然じょうずじゃなくて笑。へたくそw
で、悔しいから教室通ったり、練習いっぱいしたりしたけど、どうにもうまくならないというか、癖が抜けない。
そこで「それでもあきらめない!!」という気持ちになることも出来たんだけど、いかんせ"ワクワクしない"という理由と、"つうかプロ目指してるわけじゃないから技術はいらないやろ?"という二つの理由で、うまくなる選択肢は捨てました笑。
その代わりに"なんか面白いドラマー"とか"見てて楽しくなるドラマー"を極めよう、となってそっちの方向性にガツンと振り切りました(練習も普通にはやるよw)。
だから突然、上半身裸にネクタイでステージに上がるようになったり、とにかく笑顔を絶やさぬようにしたり、奇抜なドラムセットで叩くようにしたり、変則リズムを多用したりしました。
そしたらめっちゃ人気なったw
しかしこれはドラマーとしては失敗です。世間には奇抜なドラムでかっこいいドラマーもいます。それは基本を抑えるから出来るものです。が、エンターテイナーとしては成功でしたね。
だがプライドが邪魔をした
どんどん人気になっていく一方で、納得いかないことが出てくるのです。それは"やっぱりうまいって言われたい"という気持ち。
面白いね!楽しいね!独特だね!
そんな声はアホほど聞こえてきますが、うまいね!とか楽曲のクオリティ高い!とかは言われません。扱われ方もイロモノ的で、技術の高いバンドとしては扱ってもらえませんでした。
それがめっちゃ嫌だったwww
プロになるつもりはなかったけれど、ミュージシャンとして扱われたかったし、アーティストになりたかった。エンターテイナーなら楽器なんかいらないじゃん、とか思っちゃうし。
それがきっかけで、どんどん気持ちがぶれていき、面白いことをすることに抵抗が出来て、笑ってドラムをたたくことも嫌な感じ。
自分で蒔いた種から咲いた花をみんながほめてくれるのにそれに自分で納得が出来ないめっちゃぐちゃぐちゃな状況wwwww!!
若かったよ…あの日の俺は…
アート展について考えてみた②
まあそんなこんなで、今回のアート展にしても、作家さん3名はプロではないし、スタンスも違う。思い入れや、かけている時間、そういうものも結構違うでしょう(実際あんまそういう話はしないけどちらっと聞いた限りそんな感じ)。
わたしにはこれしかない!と思って創ったものと、まあなんか気晴らしでやってきたことだから…と思って創ったものは、確かに違うかもしれないね。同じだよ~とは思わない。が、別に違って悪いとは思わない。
それらと肩を並べてアートということは、とても恥ずかしい!
という作家もいました(3人しかいないんだから、なんとなく誰が言ってたかは察せ!)。
この気持ちは、よく分かります。あの日の俺が恥ずかしがっているwww
さて監督としては、こう思います。「別にいんじゃね?」と。
確かに来てくれた人の中には、作品を見てそのように感じた方もいるかもしれません。ああ、この人はこんなにすごいのに、この人のはいまいちだな、とか。が、それはその人の意見です。
僕の意見としては「ようわからんけど全部すこすこのすこ!」です。
まあかといって、何でも並べるわけにはいかないですよ。なんでも好きだからなんでもありやー!!なんでもアートや!!というやり方にしたら、お遊戯になっちゃうし(とどのつまりお遊戯でもいいんだけどそれならやり方を変えるかな)。
じゃあどういう基準で並べてるんだって言えば、そりゃもう動画見てくださいって感じですが、言葉で説明するなら、今回の作家さんたちの作品からは"人生を感じられる"のです。
作品を創るといううえで、みんなが同じように時間をとって、同じ技術で、同じ材料で、同じものを創るわけではありません。まずベースに自分自身の人生があって、思考や思想があって、そしてセンスや身体性があります。
それらを掻い潜って、言葉にならないこころをカタチ(見える状態)にすることが、アートだと思います。
ゆえに、かけた時間の量や、かける思いの質は、ぶっちゃけどうでもいいんです。そこにたどり着くまでの過程が必ずあるし、それを続けている熱量も必ずあります。
それは直接作品に関わる事柄ではなく、例えばあの日かけられた言い返せなかった言葉や、あの日言えなかったかけたかった言葉、とか、そういう小さな経験から、うちの作家でいえば、摂食障害との歩みも、作品に宿りますし、宿っています(あなたがそれを見てなくてもわたしはそれを見ている)。
そういうものを含めて"人生を感じられる"のです。
そう例えば今回でいえば、琥珀の作品でこんなことがありました。彼女の作品は見てもらったわかるのですが、非常に細かく鉛筆で書きこまれたどこか狂気じみた雰囲気があります。少女の絵ですが、すこし"ふつうではない少女"がそこに描かれて、感情のない虚しい目でこちらを見てきます。
僕は"おお…すげえ…"ってただ息をのんだのですが、あるお客さんがこう言いました。
「なんだかとても温かい気持ちになれました。優しい作品ですね」
ああ、なるほどな、と。きっとお客さんは、この子はどんな人生を歩んできたのだろう、どんな気持ちでこの絵を描いたのだろう、どういう時間を過ごしながら生きてきたのだろう、と、まさに琥珀の絵から彼女の人生を感じ取ったのでしょう。
絵を通じて、琥珀の生きている魂に触れて、胸が温かくなったのでしょう。熱くなるではなく、暖かくなる。
これめっちゃうれしかったですよ、その瞬間に僕の胸にも温かさが訪れました、個展期間中の最大ハイライトでした笑笑。しょっちゅう熱くなってるけど、暖かくなるってこういうことよね。綾波レイに言わせればポカポカする、だな。
実際、琥珀はめっちゃ温かい子なので、それも相まってフル感動でした。おつかれ監督。
アート展について考えてみた③
もう少し、それっぽい話をすると、僕がやったのは"場を創る"ことです。これもいわばアートです。作品を創ることも大切だけど、その作品を見れる場所や、見てくれる人がいないと、場は存在しないわけですから。
芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ。Byパブロ・ピカソ
はい、ピカソの一番好きな言葉。まあDieAter展は敵と戦うためにあるわけではないけど…困難を乗り越えるためや、挑戦する勇気を持つたためや、生きていく希望を持つために、あるべきだと思ってますし、改めて思いました。
ほんと、ぎりぎりの境界線で生きている人とかが、足を運んでくれたんだよな。
人前なんて苦手、電車に乗るのもきつい、会話だってしんどい、それでもそこに、作品があるなら足を運ぶ。運んでみたい。
そんな気持ちになってくれた人がいて、そして無事にたどり着けた人もいて(無理だった人もいる…またやるね…)。
間違いなく"場の力"を創作できたと思います。
皆様のおかげです。この場を提供してくれたWECOOKという懐の広い会場とその中の人々、設営を手伝ってくれた2人、SNSで拡散してくれた人、来てくれた人、来れなかった人、応援してくれた人、終わってから映画の支援金出してくれたそこのあなたw
そしてなにより作家の3人。
ありがとう、マジで。主催の監督が、胸を張って大成功と思っているので、全員共有でお願いします。異論はなし。
という訳で映画の話
まあここまで書いて、最後に宣伝ね。とにもかくにもこれにたどり着くには映画があってのことですから、あのよかったら見てやってください笑。
また会場でDVDも販売していて、結構買ってくれたのですが、オンラインでも買えるのでよかったら!とりあえず支援金あげるから次もがんばれ!って方も是非お願いします(さあて次作の編集始めようっと…)
ホームページからDVD買ったり支援出来たりするのでどうぞ~
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