SAKIやせ

dieAter ~声なき声を出すために~

この映画を製作するにあたって、100人近い当事者の方から様々な体験談をいただきました。こちらのnoteではそれを、すべて原文ママで公開します。

目次ひとつにつき一人の体験談です。個人の感想のため、当人の感じた感覚に基づいています。長い体験談も、短い体験談もありますが、それぞれの思いを見てやってください。

こうして生きている人が、今もどこかにいることを知ってくださると幸いです。

1、笑顔の裏の地獄

8年間で動いた体重は、増減合わせて80kg以上。

それでも全国出場の競技に勤しんだり、自分のレベルを越えた大学を受験したり。それぞれに濃い体験があり、ここには書ききれないが、苦しかった。

そしてそれは今も続いている。それでも自分を追い込み続けるのはなぜか。笑顔の裏に隠れた地獄を多く見てきた21歳。

2、異常で頑張らないと本当の努力ではない

"環境の変化で拒食で162cm43キロから36キロへ(過活動あり)

彼氏を自殺未遂まで追い込む。叔母ちゃん癌で死ぬ。心友もICU入ったり出たり。バッドトリップもして、一気に自分への制裁に入る。

過食嘔吐で一気に29キロへ、そこから1年以上33キロキープ。4時〜6時【過食嘔吐】9時出社【社内で過食】12時【帰宅して嘔吐】13時〜18時【社内or外回り中or客先で過食嘔吐】20時帰宅23時まで【過食嘔吐】がデフォルト(カス)

下剤も過食嘔吐の度乱用していたため、タイミングが悪いと過食中下痢くる。だから食べ物トイレに持ち込んで下痢しながら過食する。下痢終わったら、嘔吐してすっきり空っぽ♪

レジ打つの遅い定員殺したくなる。自分で袋奪って詰める。

仕事中に、なにこれ〜やばいこんな骸骨みたことない!アフリカの子供やん。っていう客の気持ち悪がってる顔が快感だった。

椅子にもたれて肋骨骨折、ノートパソコンが重くて持てない、2階にあがるのに数十分かかる。ペン何度も落とす、つかめない。呼吸ができない。

でも仕事はやすまない。2ヶ月連勤もなんのその。異常の中で頑張らないと意味がない。

異常で頑張らないと、本当の努力ではない。もっと努力して、もっと自分に罰を与えて、もっと辛い思いをしてもっと苦しまなくてはいけない。麻薬常習者の捕まった時の「安心した」の意味を理解する。

3、体の筋肉が溶けました

15の頃から嘔吐→拒食→過食嘔吐という流れです。

一時期は38、現在は47キロ。境界性人格障害を患っているので、過食や過食嘔吐、拒食、への依存、体重増加への恐怖などありました。

痩せていなければ愛されない、私はダメだからせめて痩せていなければいけない、ガリガリこそ正義と思っていました。

今現在は過食と嘔吐を克服中です。2年前に過食後に吐けなくて、病院なら胃の中身を出してもらえると思いODをして入院中に、横紋筋融解症になり体の筋肉が溶けました。

入院中に食べなくては生きていけない、このままでは車椅子から脱せないと気づき、なんとか食べる恐怖から脱しました。現在は杖歩行でリハビリ中です。

私の主な病気は境界性人格障害なのですが、それに付随してずっと摂食障害だったので、あまり参考にはならないかと思いますが、今現在摂食障害を患ってる方が私のようにならないといいなと思います。

4、体重を増やすために食べる努力をしていた

ダイエットをきっかけに拒食症になり、体重を増やすために食べる努力をしていたところ食べ過ぎる日が出てきて、そのまま過食ほどの量ではないが無茶食いのようなことがたびたびあるようになって毎日続くこともあった。

5、今はチューイングがほぼ毎日

過食嘔吐時期は、一日に5回くらいはしてました。非嘔吐過食時期はとてもきつかったです。今はチューイングがほぼ毎日で、過食嘔吐と同じように中毒性は高いと痛感してます。

6、勉強より過食。友達より過食。寝るより過食。

小さい頃からの虐待で愛が分からない。

愛情=ものを買ってくれると思っている。だから辛いことがあると食べ物を自分に与えることで解消してた。

最初は非嘔吐。どんどん太っていった。入院を気に1ヶ月ほどの拒食期からの過食嘔吐。拒食期で落ちた体重を増やしたくなくて入院中に吐くことを覚えた。そっからは半年で22㌔落ちた。

でも食べたくないのに食べる。詰める。1日1回はやらないと気が済まない。腹パンで吐く前だけ明日から絶対食べないって思うのにあらかた吐けるともう次の食事のこと考えてる。

頭の中は常に食べ物。夢も食べてる夢で朝起きた時ちゃんと吐けたか焦った事も多い。全てが食べ物基準。

勉強より過食。友達より過食。寝るより過食。

時間の使い方が過食以外できない。特にこのごろは最初に比べて吐く時間が短くなった(60分→15分)のであまり負担にならずまたすぐ過食に走る。腹筋なので完吐きが難しく、やせ細らないから、特に体力の危険とかも感じないから余計にエンドレス。

やめたいのにやめられない。

7、毎日ゲロ

毎日ゲロ

8、45kg以上あると発狂しそうになる

きっかけは身内を亡くして食欲がなくなり、一週間で5㎏落ちたことでした。

元々、152cmの63㎏のぽっちゃりだったので、嬉しくてこれをきっかけに軽い拒食症・下剤乱用になりました。38kgまで落ち、生理も止まりました。

医者に怒られ生理が復活するまで戻しましたが、xsサイズの洋服が入るのがうれしくていまだに体形維持してます。

体力がなくなっても必要最低限(私基準)しか食べず、今は仕事もできず寝てばかりです。体重計には乗ってません、45kg以上あると発狂しそうになるので。

9、体重がminにならなきゃ満足できない

60錠飲んでも体重がminにならなきゃ満足できない。

10、1週間吐かなかったら奇跡

たまにがいつのまにか毎日に。1週間吐かなかったら奇跡。

痩せたい、綺麗になりたいがはじまりなのに逆をいってる。太って肌も汚くなっていってる。

普通の人よりも綺麗になりたい願望が強いはずなのに。本読んだりサプリ飲んだりしてもなかなか終わらない。栄養の勉強や知識もついたのに。。。

原因もわからない。理想と現実が逆。努力できない。現実逃避しているだけなのかも。。

誰にも言えない。バレないようにしてる。職場でも普通に明るく前向きにしてる。でも自分が嫌い。嫌いなとこが嫌い。早く好きになりたい。

11、一日の食費は1万

高校卒業後一人暮らしをし始め過食嘔吐を発症以後4年。指吐きからチューブ吐きへ。一日の食費は1万〜。

12、自分の欲を優先しているのだから

15歳の頃に拒食症と診断され、無月経だったにも関わらず奇跡的に子供を妊娠。摂食障害も診察範囲内の精神科に通院、入院をし17歳で出産しました。

妊娠中は勿論、現在も子供との生活や将来を考えると摂食障害は治すべきだと分かっています。

それでも心の底から治したいと思えないので、私は母親として失格なのだろうと思います。何せ自分の欲を優先しているのだから。

摂食障害だと診断され、約5年目に入ろうとしています。いつ完治出来るのか、全く見当が付きません。

13、優越感にずっと縛られている

過食嘔吐で10kg痩せた、優越感にずっと縛られている。病院には行ってないので診断はなし。ずっと仕事も続けてる。

改めて摂食障害ですか、と問われるとわからない。10代の頃から自傷行為があり、過食という形に変わっただけで、根本的には同じなのだと思う。

14、朝起きたら食べ物が散らかっている

記憶がとんで朝起きたら食べ物が散らかっている 眠れない こわい

15、19歳の頃レイプ

家庭崩壊、幼い頃父親から性的虐待、19歳の頃レイプされそのまま風俗で過食費を稼ぐようになりました。

入退院を繰り返しながらも今年大学を卒業し職につきましたが、摂食障害と薬物依存に邪魔をされ、2か月しか続かず今は入院中です。

16、何度も何度も母親とバトル

摂食障害10年以上経ちますが何度も何度も母親とバトルしたり入退院したり、病院を転々としたりしました。

17、太る恐怖からチューブを使った

病気になったきっかけは、同じくらいの身長の友達が自分より痩せていたこと。その子より痩せたくてダイエットを始め、エスカレートして拒食症になりました。

1度入院治療をし、退院してまたしばらく拒食が続いていたのですが、ある日突然拒食の反動から過食症になり、太る恐怖からチューブを使った過食嘔吐へ。

体重は急激に減り、再入院して、一時は病気が治ったんじゃないかという傾向になったのですが、やはり体重増加の恐怖から拒食→過食嘔吐へ。

それでも二度と入院はしたくないという気持ちが強く、なんとか過食嘔吐の量と、しっかり食べる量をコントロールして現在は体重が減りすぎないようにしています。

18、びくともしない姉は冬だと言うのに、ノースリーブの華やかなワンピースを身にまとっていた

私が摂食障害になったのは、17歳の頃。

当時3つ上の姉がカロリー制限をして短期間で痩せていき、自分もそれをやれば痩せられるんだという軽い気持ちが入り口だった。今考えると、姉は既に立派な摂食障害者だった。

私は1ヶ月で4キロ痩せた。痩せるごとに今まで味わったことのない、快感、自分の特別さを体感した。お腹が空くのが快感だった。拒食症だった。

とにかく痩せていたかった。姉と競い合うようにして痩せを求めた。

ここからは、正確に時系列では覚えていないが、大学に合格し、初めて一人暮らしをした。アル依で、暴力で私や姉、母を支配していた父から離れ、食べ物も自分で自由に買って食べられる。

本当の自由になれたと胸を弾ませた。しかし、今まで色々なことに抑圧されていた反動から、今度は過食症を発症する。

バターに砂糖をかけたものが好物だった。

過食は止まらず学校にも行けなくなり、増加する体重に絶望し、毎日部屋でリストカット、カッターナイフ、はさみ、色々なもので切っていた。

結局大学は中退した。今でも悔やんでいる。そのあと、嘔吐を覚え、過食嘔吐するようになった。下剤も乱用していた。

専門学校に入り直した。授業中も、人目をはばかり、過食していた。気持ちは毎日が希死念慮との闘いで、ある日その当時住んでいたアパートで精神科から処方された薬を大量に飲んだ。

心臓の鼓動が早くなり、息も早くなり、直感的にこのままじゃ死ぬと思い、救急車を呼び、病院へ。

記憶が確かならこれが私の初めてのODだった。当時通院していた精神科には入院するところがなく、専門学校の卒業を間近に控え、私は実家の近くの精神科に紹介状を書いてもらい、強制入院させられた。

入院したのは、卒業間近で、卒業式も、病院から行った。卒業式を迎える2ヶ月前に、悲劇は起こった。

当時、姉は一人暮らしをしていたが、姉と連絡が取れなくなったと母から聞いて、二人で姉のアパートへ行った。

たくさんの酒の空き瓶、精神薬の大量の袋、止まらないCDの曲、アイコのカブトムシだった。びくともしない姉は冬だと言うのに、ノースリーブの華やかなワンピースを身にまとっていた。

母は冷静に警察に電話をかけた。冷静じゃなかったのは私で、救急車にかけて、と懇願した。姉の顔は見ないようにしていた。あとから検死官とおぼしき人がみえて、自殺と断定した。

姉の苦しみや悲しみは同じ病を持ったものとして、理解できる。例え摂食障害が直接的原因じゃなくとも、それが彼女の背景にあったのは確かだ。抑鬱、自殺の企てはこの依存症の最も恐れるものだ。

その10日後にアルコールに溺れていた父が姉の後追いをした。その前に行方不明になっていて、違う街で、自殺を企て病院に保護されたらしい。

その頃は父とは疎遠だった。あれだけ、私たちに暴力をふるっていたのに、姉の後追いをするなんて、愛と暴力をはき違えていたのだと知った。

父の葬儀が終わり、姉と父を短期間で亡くし、私は相変わらず食べていた。食べることで最大限に悲しみや非現実を防御していた。

その3月に私は笑顔で卒業写真に写っていた。

そして、私の長い入院生活が始まる。何度も出たり入ったり、家にいる間は引きこもりを続けていた。

ある日、新しい友達が、シャブをやれば、太らないよと言った。私は本当に太りたくなかったし、まず、シャブという言葉を初めて聞いた。もちろん違法なものだとこれっぽっちも思ってなかった。

ある外泊した日に彼女のアパートへ遊びに行った。夜に彼女がシャブやろうと言ってきて、やり方を聞いて、これで痩せれるんだと恍惚した気持ちで試してみた。

しかし、初めての私はうまく吸引することが出来ず、彼女だけラリった状態になった。次の日の、彼女の友達も呼んでカラオケに行った。彼女が、あんた、昨日より痩せたよと言ってきた。嬉しかった。

そのあとに、何かがきっかけで、彼女も私も死んでしまうんじゃないかというくらい激しい過呼吸になり、同じ入院先の病院へ救急車で運ばれた。原因は未だに分からないが、その時に主治医がきて、私に何か話しかけてくれたけど、もう覚えていない。

そして、主治医にズボンのポッケに入ってた残りのシャブを渡した。

ある日外泊した日に買い物へ行った。既に盗癖のあった私は、とうとう洋服にまで手を出し、自分の鞄にそっと入れた。初めて捕まった。

警察の代わりに祖母を呼ぶことで話し合いになり、私は念書を書き、それが最後の万引きとなった。

完全に退院できたのは確か30歳になる前で、30代はずっと引きこもりをしていた。OD、リスカだけは止まらなかった。

だんだん自傷行為も落ち着いて、私の考え方も変化して行き、何でそうなったかと言う、決め手は自覚していないが、人間関係の中で自分を取り戻して行ったのだと思う。

19、中々頑固でなおせてない

体が支障が出てきていても中々頑固でなおせてない。けど今は少しずつですがたべるりょうふやしている。

20、今は自宅療養中です

もともとぽっちゃり体型にコンプレックスがあって、10代の頃からダイエットはしていたが、体重が落ちても、仕事のストレスからカロリー計算した食事がひどくなり、アルコールもやめられなくなり、仕事を辞め、今は自宅療養中です。

21、摂食障害だということに気づかず6年ほど過ごしていた

20代前半から摂食障害がはじまった。最初は自分か摂食障害だということに気づかず6年ほど過ごしていた。SNSがきっかけで自分が摂食障害だという事に気付きそこから向き合うことができた。

22、理解されないことへの苦しみから逃れられない

些細なダイエット(食事制限)のつもりがいつの間にか病気になっているという恐ろしさ。もう一人の自分がいる感覚。病気に支配されているよう。

でも、そんな自分を責める。

摂食に伴って、いろんなルールをたくさん作ってしまう。いくつか本を読んだけれど、疑問や憤りを感じることも多かった。真面目な人がなりやすいと書かれていることが多いが、私は自分のことをずっと怠け者だと思ってきたし、今でもそう思っている。

摂食障害というのは当事者同士でも理解や共感ができない部分がある。もちろん、経験していないよりはわかり合えるけれど。症状も環境も様々。

「摂食障害」とだけ向き合うのではなく、「その人」と「その人の摂食障害」と向き合わなければいけない。

そして、家族含め、周りに理解してもらうことが難しい、ということを当事者が受け入れないと、理解されないことへの苦しみから逃れられない。経験しないとわからないことだらけ。食べる、食べない、食べれない、食べちゃう、単純なものではない。

ただ、自分自身と、周りと、向き合うチャンスなのは確か。完全に決別することはとっくに諦めた。上手に付き合いながら、できるだけ健やかに、キレイに、長生きしたいと思う。

と言いながらも、漠然と「死にたいなー」と思うこともしばしば。その「死にたいなー」が摂食からくるものなのかはわからない。けど、痛いのも苦しいのも嫌いだから、とりあえず生き長らえてます。話せばキリがありません...

23、生命の危機

10代で妊娠結婚、出産、病気を持ちながらの子育て、虐待、愛情が何か判らない。

二人目出産(早産、低体重児)病気悪化、反社会的行為、何度か繰り返される行為、離婚、裁判、罰金、留置、生命の危機、緊急入院、入院生活、退院。。

かなりセンセーショナルな経験をしてきました。たくさんの大切なものを失いました・・・

24、とにかく餓死したかったです

今はもうないですが、拒食真っ盛りの時は食べ物を食べることが怖くて、飴だけなど、とにかく餓死したかったです。

それからは糖質恐怖症からの、添加物恐怖症。

糖質は悪では無いみたいなのが出始めてから、お菓子の過食へ。

いまもそれはありますが、痩せへの執着、希死念慮はなくなりました。

25、もう明日からは何も食べない

摂食障害のはじまりは中学2年生のとき。

学校でのいじめ、両親の離婚、母親の無関心、父親からのDV、女性という性への嫌悪感などなど要因はいくつもあったように思います。

拒食の期間はあまり長くなく、長く闘うことになったのは過食症でした。

コントロールできない食欲で意思とは関係なく食べる手を止めることができず、泣きながら食べ泣きながら「もう明日からは何も食べない」と誓ってもまた過食…どんどん醜く太っていく身体。

辛くて低体重時代にかかっていた心療内科を再び訪ねるが「君よりもっと辛い人はいる」と治療は受けられなかった。

醜くなる身体、受け入れられない体重、誰にも分かってもらえない孤独感、虚しさなどなど、闘うものが多すぎて一人では手におえなくて何度も死んでしまいたいと思いました。

摂食障害はとても辛いのだけど、周囲に心配してもらいたかったり、みんなと一緒にされたくない、特別だと思ってもらいたいなど手放したくても手放せなかったのだと思います。

非嘔吐過食だったので、その代償行動として過度のエクササイズを行っていました。「行わないと太ってしまうのではないか」という強迫観念からくるエクササイズでしたが、あるとき“義務”として“痩せるため”ではなくて“楽しむため”“自分を癒すため”に行えたヨガに出会いました。

これまでは単なる運動、エクササイズのひとつ位にしか思えなかったヨガでしたが、これまでに自分の中に作り上げてしまっていた偏見や思い込みなど自分を縛り付けるものの存在に気づかせてくれて、今思うと摂食障害の克服にヨガ(ポーズではなく、特にヨガの考え方)は大きな役割を果たしてくれたと思います。

今はそんな気づきから、同じように生きにくさを抱えている方、摂食障害で苦しんでいる方の身体も心もサポートしていけるヨガをお伝えするためにヨガインストラクターとして活動、さらに学びを深めるための活動をしています。

26、毎日泣きながら過食

高1の終わり頃、親に少しふっくらしたと言われてダイエットを始めた(51kg→42kg)。

生理もなかったためさすがにまずいなと思って47kgまで増やした。その後1年間は普通に食べることができ体重を一定にキープ。

大学入学後またダイエットスイッチが入り、食事制限(ご飯は2口くらい)と過度な運動(毎日20km以上のウォーキング)を2年間続け、痩せた(47kg→28kg)。自分でも痩せすぎてしまったことに気づき、太ろうとするが食べたら太る恐怖で、はじめは思うように食べられなかった。

少しずつ食べられるようになってくると食べるのが楽しくなってきたが、目標としてた体重になっても食欲が止まらず、食べたくないのに食べてしまう理由が分からなくて毎日泣きながら過食。

どうしようもなくなり、少しでも楽になればと思いカウンセリングを受け始めた。誰にも言えなかった思いを話せて心は軽くなったが食べる方は良くなるわけではなく…どんどん太るのが醜くて嘔吐の練習を始めた。

少しずつコツを掴み3ヶ月くらいで10kg痩せた。たくさん食べたいが、痩せた体を手放したくないし食べたら太る気しかしないため、過食嘔吐をやめられずにいる(毎日4〜5回)。

27、摂食脳だけが残っている状態

30代すぎてから発症しました。稀だと思います。正常なダイエットで健康的に痩せたのに。

その先はよくあるパターンですが私の場合処方薬を使用し食欲をなくし痩せていく。痩せは続かない。過食に移行。チューブばき。が半年でストップ。そこからは制限型となり5年にはなるかと思います。

痩せはせず維持するので必死です。摂食脳だけが残っている状態。

大人ですから若い子とはまた違うパターンかと思いますが、カウンセリングも受けていますが、やはり子供時代の親との関わりが原因にもなっているようです。

が肝心な親が他界してるので私の中の記憶でしか過去は探れません。寂しいし悲しいです。

28、生きづらさ、生きにくさはたくさんある

高校3年の時にダイエット目的で食べる量を減らしてみると、簡単に痩せていき、だんだんとそれが楽しくなりエスカレートしていく。

親には少しずつでもと言われるが、食べ物を見るだけでお腹いっぱいになり、イライラすることが増える。また食べても胃がキリキリと痛み自然に嘔吐してしまう。

しばらくこの状態が続き、見た目は骨と皮。顔の肉もなく骸骨のようになり、歩くことすらしんどくなってくる。

でも私はそれでも、動くこと、食べないこと、をやめなかった。

見かねた親は私を心療内科に連れていきお薬をもらう。出されたお薬により食欲も増え、胃の調子も良くなってきたが次は頭の中が食べ物でいっぱいになる。出かけるところはスーパーの食品売り場。買うことはなくただ見ているだけ。

ハードな大学生活を送る中唯一楽しみにしていたのがご褒美のシュークリーム。ただある時ご褒美のシュークリームを食べた後頭の中が食べ物でいっぱいになって気がつけばお菓子袋をあさり、全て食べてしまっていた。

それからは、スイッチが入ると菓子パン、アイスクリーム、ラーメン、お菓子、冷凍食品を解凍もせずそのまま口に入れていた。

家でもフードコートでもコンビニをハシゴしてお腹がはち切れそうになるまで詰め込んで、ひたすらトイレで吐いていた。それが過食嘔吐の始まり。

ほんと、過食嘔吐する度に止めれない自分と吐いてしまう自分。わけのわからない行動。

病院に行っても薬を飲んでも治らなくて、自分が気をつけても蝕んでくる食欲にどうすることもできなかった。ただそんな自分が許せなく、消えたかった。

それがいつ頃か彼氏ができ、少し落ち着いた。と言っても過食嘔吐は止まらず、今はずっと長い拒食期にいる。

なぜ自分が摂食障害になったのかは未だはっきりわからない。

生きづらさ、生きにくさはたくさんある。

でも生きている。仕事もしている。友達と笑い合える自分もいる。旦那も子供もいる。それもまた事実。

29、なんとか生きています

摂食障害12年目です。昨日は朝から晩まで過食嘔吐し続け、血を吐きました。なんとか生きてます。

30、低体重で脂質に苦手意識

現在は、低体重で脂質に苦手意識があります。でも、最近は少しづつ克服していると思います。

31、食べても食べても満足できない

高校のダイエットから摂食障害に。

初めはそんなり落ちてもっと痩せたくてエスカレート。でもリバウンドで甘いものが食べたくなり食べて、その後に吐いてから過食嘔吐へ。週に一度、一日一回程度でしたが過食嘔吐してました。

その時期が12年くらい続いて妊娠、出産で過食しても吐けなくなり。拒食になり36キロへ。

嬉しかったけど今までにない過食衝動に襲われるようになり一日中食べてる時もあり。食べても食べても満足できない。

少しずつ体重増えて見た目も病的ではなくなって。でも今でも痩せたい願望は強く。下剤は毎日大量に内服。太りたくなくて毎日死にたい。

とりあえず気休めに毎日ジムに通いたい運動することで気持ちを落ち着かせている。

32、言えなかったモヤモヤを吐き出す

高校生の時に過食から始まり、22か23歳の時に過食嘔吐。

その間に1度拒食症も経験。拒食症の時は37キロまで体重が落ちた。摂食障害10年程だが、ほとんどは過食&過食嘔吐。

食べる量はおそらく4.5人前。酷い時は1日中、食べて吐いてを繰り返していた。自分の意思ではコントロール出来なくて、食べる手が止まらない。

泣きながら食べたり吐いたり。その度に死にたくなって、消えたくなっていた。

おそらく、私にとって過食嘔吐は、ストレス発散であり、溜め込んだ・言えなかったモヤモヤを吐き出す・不安や不快感を消す為の代償行為、長年の癖、暇つぶしにあたる気がする。

33、治したい、治りたいと言う気持ちになるような、ならないような

15歳(中3)の冬に『摂食障害』と診断されました。

現在26歳ですが…克服はできてません…入院も何回かして5、6人の医師に診てもらったり病院も何ヶ所か行きました。

が。専門の医師や病院は地元にはないのが現状です。かといって自分の意志がないと変わらないんですけど‥治したい、治りたいと言う気持ちになるような、ならないような‥と言う感じで。

見捨てられるのが怖いのに見捨てられる行動をしてる自分が嫌です。長くなりますね笑10年の期間を語ると‥←

ちなみにわたしは体重が24、5㎏まで落ちましたが経管栄養はしたことがありません。鎖骨からの静脈点滴?と脅され?たことはあります(´`:)

34、後に残るのは罪悪感とか、醜い体なのに

中学で入ったダンス部でいくら頑張っても上位に入れず初めて挫折した気になる。

中学1年の時→部活やめる。→固食(朝:ヨーグルト、昼:黒豆ともずくスープ、夜:野菜)生活を続け10㌔落ちる。一番拒食時代かな?この時は、空腹を紛らわすためにガム食べたり、豆乳飲んだりしていた。

その後、拒食を克服しようと本気で決めた時が高校1年の夏。嘔吐恐怖症で満腹になるのが怖くて怖くてしんどかったけど無理矢理続けて、体重増える恐怖に耐えられず泣きじゃくったり勝手にコメの量減らしたりした。

けれど、Instagramで拒食症を克服された人の投稿やお話を聞きドンドン食べられるようになる。

何食べてもいくら食べても怒られないし、むしろ喜んでくれる家族もいたし、食べれると嬉しかった。

けれど、いつの間にか歯止めが効かなくなり毎日お菓子とか甘い物を食後食べておかずも食べて苦しいを繰り返すように。

過食が始まってからは、お腹に溜まっていくのが嫌で酸化マグネシウムや便秘薬を使うようになる。過食は、時間に余裕があって後に何も用事が無い時が殆どで、必ず罪悪感がつきもの。

悩みを言えない、虚しい、寂しい、悲しい、辛いって思いを美味しいって楽しさとか幸せな気分にしてくれるのが食べることだから過食してしまう。
  
後に残るのは罪悪感とか、醜い体なのに。

35、いろんな自傷に依存してきて

いろんな自傷に依存してきて、見ていて痛々しい行為は克服してきているつもりです。

でも、過食嘔吐をはじめとした、食行動の異常、食への依存・執着からは抜け出せていません。

元々が過食嘔吐以外の自傷行為から始まった私は、摂食障害にすごく苦しんでいる人達から見たらまだ程度の軽いものかもしれません。

どれだけ吐いても太っているからこそ、周りからは平気に見られるのが少し辛いなと思います。

36、ストレスで食に走って嘔吐する

胃切除後、ダンピング(機能性低血糖)が酷くて怖くてでもストレスで食に走って嘔吐するのが癖になりました。

食べる量は多くないし、普通の過食嘔吐より費用はかからないものの、メンタル面で辛いので本当に治したい。

37、毎日ご飯を食べるのが戦いのようなもの

炭水化物が『太る食べ物』と思い込み、主食を食べるのが怖くなった。トイレに行こうとしたら、気がつけば倒れていた。低血糖で、意識を失ったからだと思う。

毎日ご飯を食べるのが戦いのようなもの。『太る』『太らない』という葛藤が、食事の間、脳内を占めている。

38、父からの虐待

幼少期親の不仲、離婚様々なストレスに加え、父からの虐待で自己肯定感が異様に低く、その後社会人になり家を出たものの、21歳の頃に職場の人間関係のストレスにより、過食嘔吐、下剤乱用、サプリメントや漢方のODをしました。

スタイルがいいなど褒められ初めて認められた気になるが、友人の太った?の一言にさらに摂食障害が加速。当時163cmで44kgにも関わらず、太っていると激しく自己嫌悪に陥り一日で10桁のカロリーしか口にしない事も。

ある日会社の同僚に吐いているところを見られたのと、体型を言ってくる社員が居なくなった事、彼氏が出来た事が偶然重なり摂食障害は自然と無くなる。

32歳現在。再び今度は体型や見た目のことに無関心な父に太ったと言われ、摂食障害再発。

39、その日から何かが壊れたように

170cm/65kg(max)から糖質制限と運動て48kgまで減量できたものの、拒食になっていた。

あるとき、大学のテストのストレスで1度やけ食いをしたとき、3000kcalほど摂取してしまい、その日から何かが壊れたように毎日3000kcal食べた。

そこから一気にリバウンドし、58kgまであっという間に戻った。そしてネットで同じ様に苦しんでいる摂食障害という病気を知り、吐けば良いことを覚えた。

そこから過食嘔吐を2,3日に1回のペースでやっていたが、過食嘔吐で大きくなった顔を鏡で見てショック、ストレスで1日に何回もする日もあった。

友人に相談し、無理に食べなくても良いんだよとアドバイスを受け、少し楽になったので、今はなんとか克服しようと頑張っています。

40、過食欲が爆発して過食

食べる事は大好きだけど、太りたくなくて平日は出来るだけ我慢して休みの日に過食欲が爆発して過食…そして後悔して平日にまた我慢して…繰り返しです。

41、便器に向かって吐く時の惨めさ

小学低学年から肥満児でいじめられ、高学年なるときに痩せたものの、高校上がる時から太り、過食嘔吐するようになりました。

あり得ない食欲に負けて食べまくり、ブタになりたくないから吐いても痩せず、食べなきゃ痩せると決め、絶食を繰り返しました。

便器に向かって吐く時の惨めさから、過食嘔吐を減らして、ダイエットに重きを置いてから克服しました。

今はダイエットも成功して、162cm/48.4kg/体脂肪率5%/BMI18.5になり、リバウンドもなく過ごしてます。

食べて痩せる仕組みがわかってから、精神的に楽になりました。

42、今は食べては吐くを繰り返し

86kgまで太った時周りから、デブ、ブタなどの言葉を浴びせられました。そこから吐くことを覚えました。

42kgまで痩せた時は逆に気持ち悪いと言われ、自分でもどうしたらいいか分からなくなりました。でも今は食べては吐くを繰り返してます。

1日に何回も体重計に乗ります。
吐いては体重計に乗ります。
許可食は飲み物だけです。
飲み物はコーヒー、水
お酒飲みです。

中学生のころから自分の体型に悩みを持って居ました。ダイエットも頑張りましたが、逆に反動が出るばかりでした。摂食障害だと診断されたのは24歳位だったと思います。

長くなるのでここで失礼します。

43、発症から10年も経ってしまいました

かれこれ10年患ってます。

退院したいがあまり急いで体重を増やしたのがいけなかったのかなぁと思っています。

ゆっくり時間をかけて、心と体のバランスを保ちながらでないと完治には向かっていかない気がします。

痩せたり太ったり、良くなったり悪くなったりを繰り返している内に、発症から10年も経ってしまいました。

44、"食"に苦しめられる日々を過ごしています

ただひたすら引きこもり非嘔吐過食、過食嘔吐、下剤乱用を繰り返し自傷行為。

通院も意味がなくただひたすら過食と拒食の繰り返し。何千円も過食材を買い込み、ひたすら詰め込んでは吐いて100錠以上下剤を飲み、ただひたすら引きこもっては泣いて学校もバイトも行けない日々。

病院では「食べる事も治療なんだから、薬だと思って食べなさい」と言われる。"食"に苦しめられる日々を過ごしています。

45、毎日1人で泣いたりしていました

中学生の頃は、部活でのストレスを発散するために500円分のお菓子を毎日食べていました。

高校生になってからは、虚しさや寂しさを埋めるために1000円分のお菓子を食べるようになっていました。

元々ストレスに弱い性格だったり、人間関係がうまくいかなかったりしていたので、毎日1人で泣いたりしていました。

46、ふと気がつくと私はキッチンで倒れていました

私が摂食障害になったのは、小さい頃から習っていたバレエの影響です。

初めて男性と組む機会があり、それに向けて毎食カロリーを計算しハードな練習に取り組んだ結果、痩せていくことが楽しくなり拒食症になりました。

私の学校は給食ではなくお弁当だったのですが、隠れて捨てたり、朝食はもちろん夕食もほとんど摂らずに毎日倒れるように眠りについていました。

すぐカッとなったり髪の毛が以上に抜けたり授業で椅子に座る時お尻が痛くて座っていられなかったり今思えば明らかにおかしかったです。でもこの当時は痩せることが楽しくて楽しくてなんの苦痛もありませんでした。

しかし発表会が無事終わってから、私の人生は狂い始めました。

きっかけは白米です。レッスンに行く前にご飯を食べていこうと、お母さんが用意してくれたおかずをレンジで温めていました。ご飯は炊きたてで炊飯器を開けると2合分ぐらいありました。その途端、キラキラに輝くそのご飯がどうしても食べたくて仕方なくなり、気づけば無心で炊飯器のお米を平らげていました。

しかしそれだけで食欲は収まらず冷蔵庫の食べ物をひたすら食べ尽くしました。特に拒食症の時避けていたパンやお米、パスタやお餅、甘いものを中心に味わうことも無く、ひたすら口に食べ物を運び続けました。

ふと気がつくと、私はキッチンで倒れていました。

お母さんは仕事から帰るなり私を見つけ、青ざめた顔で放心状態でした。それからというもの、元々ご飯を食べるのが好きだった私の食欲は止まることが無く、過食生活は8ヶ月ほど続きました。

私は吐けない体質なのでどんどん太っていきました。日々醜くなる体と増え続ける食欲に何度も死にたいと思いました。

なぜ無理なダイエットをしたのかと自分を恨み、どうしようもできない苦しみを家族にぶつけたり、意味もなく泣きじゃくったりしていました。

最初の方は過食した後過度の運動(学校を休んで近くのサイクリングコースをひたすら走るなど)をしていましたが、それも追いつかなくなりやめました。

非嘔吐過食になってからは毎日つらくて過食する→過食した自分が嫌になる→痩せようと極度にご飯を我慢する→耐えきれなくなり過食、の悪循環になっていました。

精神科にも何度も連れていかれましたが、摂食障害の仕組みを説明されただけでなんの為にもなりませんでした。

それでも家族の支えのおかげで段々と過食は落ち着いていき、高校進学が決まると共に過食は無くなっていきました。今でも友達関係で上手くいかなかったり、勉強などストレスを感じると意味もなく夜中に冷蔵庫を探り過食しています。

でも1度お母さんと話したり、バレエのレッスンに行ったりするとましになります。その制限が効くようになったことは、私にとって大きな1歩だと思います。

私は、摂食障害は心の病気で、いつ治るか、どうしたら治るか、その方法や治るのにかかる時間は個人差が大きいものだと思います。

実際自分も完治出来ていませんし、過食と拒食を繰り返してしまう人もいます。そんな中、ちょっとでも良くなるには人の支えが絶対に必要だと思います。手厚く支えてくれた家族には本当に感謝しかないです。

47、もう吐いて痩せようとは二度としない

15歳の時にストレスで食べられなくなり、吐くようになった。

それで痩せたが、食べられるようになって友達から「丸くなったね」と言われたのをきっかけに吐くようになった。

当時は部活で陸上競技をやっていて痩せなくてはいけない強迫観念みたいなものがあった。友人関係がうまくいかなくなって、特定の子からいじめみたいなのを受けて、人が怖くなって学校に行けなくなった。

全日制の高校を辞めて通信の学校に転入したが、過食嘔吐は酷くなるばかり。15歳から21歳までは過食嘔吐が酷すぎて毎日死にたい気持ちでいっぱいで、自傷行為をしたり睡眠薬を大量に飲んだりして入院も何回かした。

毎日一日中過食嘔吐をしていた私が、ここまでよくなったきっかけは、主治医を信頼するようになったこと。薬を真面目に飲んで主治医のアドバイスを聞いて実行するようになったら、目に見えた劇的な変化はなかったけど数ヶ月単位という長い目で見るとすこしずつ良くなってここまできた。

主治医の他にこの人がいたから良くなったと思える人はもう一人いて、主治医より、この人がいなければ未だに過食嘔吐をしていたと思う。

その人と出会った時はちょうど吐くのを辞めようとしていた時期で、体重がすごく増えて吐くか吐かないかすごく悩んでいたし太くなっていく自分に、過食嘔吐の頃とは違う死にたさでいっぱいだった。

その人にこのことを打ち明けたら「ダイエット計画をしよう!」と言われて最初は「何コイツ」と思ったが、会うたびにその人が「太ったかも。痩せないねぇ」と言っていて、私が吐いて痩せたらズルいんじゃないかと思うようになって嘔吐断ちを決意することができた。

それから約3年、やっと吐かない生活が当たり前になって食事は適量で満足できるようになって「お腹空いた、美味しい、お腹いっぱい」という感覚を持てるようになった。

吐かなくなってそれでもたくさん食べていたからピーク時の体重は1番痩せていた頃より23kg以上はふえたと思う。

病院で栄養指導を受けてバランスの良い食生活にして運動をしたら減量することができて、吐かなくても痩せられる自信をもてた。

なんで痩せたいのか分からなかったが、知り合いに「〇〇さんは綺麗になりたくて痩せたいんだね」と言われて、それが心にすとんと落ちて今は綺麗になりたくてダイエットをしている。

ダイエットといってもBMIを参考にBMI19~21を維持できるように、それを目標に頑張っている。もう吐いて痩せようとは二度としない。

48、私が壊しました

昔から家族の仲は悪くて、追い打ちをかけるように私が壊しました。今は一人暮らしをしていて、過食嘔吐と自傷行為、ODの毎日です。

49、毎回今日が最後と思ってるのにやめられません

内容がおかしかったり言葉遣いが悪いことがあるかもしれません。先に謝っておきます。ごめんなさい。

私は過食症です。非嘔吐過食をして、下剤を使っています。

最初は薬よりも吐くほうがいいと思って過食嘔吐しようとしました。苦しい思いをしても少ししか出てこなくて下剤を使うことにしました。最初は規定量でした。それが今では1日に30錠なんて当たり前の生活になってます。

過食では一度に大量の食べ物を食べます。食べるというより詰め込む感じ。食べたくないのに食べたい。頭の中はずっとこればっかり。食べ始めたら食べるのをとめられません。

ご飯3合、パスタ5人前、おかず大量、おかしもある。1度で全部なくなります。それを食べてしたった罪悪感で食べ終えた時には泣いてます。毎回今日が最後と思ってるのにやめられません。

50、本当に死んでしまいたいです

適応障害で高校を辞めてから、痩せればもう少し自分を認めてあげられるかもしれないと思って食事制限をはじめ、拒食期に入りました。

中学でいじめられていたので、いじめっ子たちを痩せて見返そうと思いました。綺麗になるために痩せたいのではなく、ただただ痩せ細ってしまいたかったです。

酷い時は1日500kcal目標にしていましたが実家暮らしなのでそううまくいかず、超えたら部屋で縄跳びのようにひたすらジャンプしました。

結局15kg減ってやっと痩せ型に入れたくらいで過食に移行しました。嘔吐恐怖があるので吐けずに毎日泣いています。拒食期よりずっと長くて、体重も増え続けています。

胃が重くて苦しくて動けず、死にたいとしか思いません。毎日食べることにばかり時間を費やして、痩せたかったはずなのに太り続けて、本当に死んでしまいたいです。

拒食でも過食嘔吐でもない非嘔吐過食の苦しさが、もっと知られればいいなと思います。

51、友達は誰もいなくなってた

もともとデブだったのでただ人並みに痩せたかった。たまたま吐くことを覚えてダイエットに、火がついた。

気づいたらBMI 17。友達は誰もいなくなってた。それでも、痩せたかった。

痩せたら愛されると思ったから、でもどんなに痩せても愛されなかったし満足なんか出来なかった。今でも、痩せたら愛されると思ってる。

でもどんなに痩せても骸骨になるだけ。わかっているのに吐くことも食べることもやめられない。

52、幸せにはなれないです

拒食による入院経験二回
大学中退
今は通院せず一人暮らしなので
過食の波、拒食の波と戦うことが
本当にしんどいです。
痩せているときはハイになって
なんでもできる気になります。
でも、必ず落ちます。
わかってても繰り返してしまうし
食べ物に申し訳なくなる。
親でも、理解し得ない病です。
笑って接客してたら
誰だって私をは病気とは疑わない。
それがとてもつらい
つらさをわかってもらえないことが
自分を自分で許せないことが
とても悲しくつらいです。
痩せても太っても
幸せにはなれないです。

53、25年間、摂食障害と鬱

14歳から25年間 摂食障害と鬱でしたが、回復して9年目くらいです。

54、過食や万引きが止まらなくなりました

ひとり暮らしを始めた途端、過食や万引きが止まらなくなりました。

大学の職員の方に病院に連れて行かれ、ドクターストップにより強制的に実家に戻り、閉鎖病棟に入院。先日退院しました。(詳しいことは後々お伝え出来たらなと思っています。)

55、とにかく誰かに愛されたかった

自分が摂食障害だったんだと最近気づいたかも。

父親の浮気にて早々に片親で育てられた私。母親は優しかったけど、なんだか頼りなかったな。小学校からイジメられててとにかく自分に自信がなかった。寂しかった。

とにかく誰かに愛されたかった。

そんな私の恋愛はいつも依存的。誰でもよかった、色々な人とSEXしたけどなんだかいつも満たされなかったなぁ。

吐き始めたのは親元を離れて1人暮らしをしていた時。夏に水着を着ようと思ってダイエットがきっかけ。

毎日もやし。あるとき飲み過ぎて吐いて大量に食べ物が出てきた時にあ、吐けばいいやって。でもシラフでは吐けないのよね、お酒を大量に飲んで吐く。翌日はうろ覚え。

思えばアルコールにも依存してたな。夜勤続きで不眠症だった時はアルコールプラス眠剤でハイになって倒れるように寝たり。

吐かなくなったのは長男を妊娠した時。けど妊娠でどんどん体重が増えてくのが恐怖で、下剤と浣腸は欠かせなかったな。。

思い出せるのはこのくらい。私本当に昔嫌だった事忘れちゃってるんだ。記憶がない。

56、10年以上経っても泥沼状態

10年以上経っても泥沼状態です‥

57、毎日綱渡りみたいな生き方だった

高校のとき、色々、本当に色々頑張りすぎた。

学校では勉強、生徒会、部活、家に帰るとご飯洗濯。みんなから、頑張ってるねすごいね、ありがとうと言われると、今以上に頑張らなきゃダメな気がして、幻滅される気がして、毎日綱渡りみたいな生き方だった。

ひとつの失敗が全てを失ってしまう。

気がついたら58㌔あった体重も29㌔になっていた。食べたくてもご飯を見ると食べられなくて、作ってくれたお弁当もプチトマトとブロッコリーだけつまんであとは毎日棄てた。

周りが拒食だと気づいてから、やたらと気を使ってくるようになって、余計に腹が立った。

なんでもっと早く助けてくれなかったのかと。

しばらくすると過食になった。人前では絶対に食べられなかった。食べられる=治ったと思われるのが辛かったし恥ずかしかった。だから真夜中に過食した。足りない時は調味料も。どんどん太った。

するとみんなは安心したように「治って良かった」「今の方がいい」「食べられるようになったんだね」と口を揃えて言ってきた。

この時期が1番辛かった。何も分かっていない。私の気持ちを分かる人なんてこの世に誰もいない。ここには書ききれないほどの悲しみと絶望の日々だった。浪人してなんとか大学へ。

大学四年生のとき、初めて指吐きができるようになった。そしてチューブへと移行。

前は過食してある程度は美味しいとか感じてたけど今は終始無に等しい。美味しいって口では言うけど、脳が追いついてない。

買う時も、食べたいじゃなくて、足りるかな?これで満足できるかな?っていう義務感というか仕事感があってしんどくて、スーパーの同じ所何度もグルグルして、あれこれ考えて、こういう系食べたくなるんじゃないかとかこれだけじゃ足りなくて余計過食爆発しないかとか、色々悩んで買い物する。

確かに痩せたい。でも痩せても幸せになれなかった。そして太ってたらもっと幸せになれなかった。食事の摂り方が分からない。

摂食障害の原因は様々だけど、頑張っていなかった人がすこし頑張るととても評価されるのに、ずっと頑張ってる人が頑張っててもそれが当たり前になってしまって、ちょっと失敗すると異常なほど幻滅されるこの世間の価値観が、摂食障害の一要因を作ってる気がする。

58、孤独と時間の余裕が過食嘔吐の最大の原因

拒食症→過食症→非嘔吐下剤→拒食症→過食嘔吐
人とご飯に行けない。
いつ過食衝動が起こるか分からない。
衝動中はいくらお金を使っても気にならないし、食べたいものに無我夢中。
嘔吐後の罪悪感、孤独感がすごい。
孤独と時間の余裕が過食嘔吐の最大の原因。
ある程度のサプリメント治療は効果があると思う。

59、食べることだけが生き甲斐

ストレスがたまると、お腹が一杯ではきそうなのに、もっともっと食べたくて、食べている。3人分くらい平気で食べられる。

食べることだけが生き甲斐。


が、しかし、吐きたいけど、吐けないから、身に付いていく。ストレスのはけ口を他に見つけなくてはいけない。

インスタで、嘔吐してる過食症の人の『今日これだけ食べて吐きました!』という画像をみるのが楽しい。

60、でもいつもどこかで「食べる事」

私は高校1年生で拒食症になり、そこから病院にも通い、少しずつ回復しながらも(現にかなり直っていた時期もあった)、でもいつもどこかで「食べる事」が付きまといながら過ごしていて、4年ほど前再び軽い拒食症からの過食嘔吐になってしまった。

61、食事はほとんど取らない。水分も

18歳頃のとき、痩せたくて痩せたくて(痩せていれば痩せているほど良いと思っていた)食事はほとんど取らない。水分も。過食や嘔吐などはしていない。ただ食べないだけ。体調を崩すときはなかった。その時は。

62、食べたいなぁや美味しそう!という感覚がほぼ無い

以前にもお話した点もありますが、胃炎や胃弱から 体質改善的試み(ファスティングや玄米食 マクロビやローフード的な食事療法)に偏りすぎたのか
食事が楽しむものではなく、健康を得るために対峙する関所⁈もしくは実験のようになり疲れています。

食べ無い方が良いもの情報が自分の中に増えすぎて、食べたいなぁや美味しそう!という感覚がほぼ無いです。

入院中に何も口から食べなかった時期を経て、今は野菜などそのままの味が好きになってきました。もともとベジタリアン思考だったので、お肉やお魚は食べ物にはなかなか感じられません。

ベジタリアンでも元気な方はたくさんいらっしゃるので 、あとはこの痩せすぎと胃弱と、食品に対する不安感や絶望感を和らげていきたいです。

長年痩せていてお医者はびっくりの体重です(^^;;

ふっくらしたいが長年の願いごとですが、なかなか叶わなず悲しくなるので
最近はなるべく考えないようにしています。


焦りや虚しさに襲われると、今生きているありがたささえ 感じられなくそうなので!それでは生き延びている今がもったいないですものね。

63、下剤乱用

中1が拒食症、高1が過食症、高2が過食嘔吐、下剤乱用

64、大学3年頃から吐くようになり

中2から拒食症に大学に入り非嘔吐過食に、大学3年頃から吐くようになり、現在は外では拒食、家では過食で吐いたり吐かなかったりという感じです

65、吐き出さないと、太る恐怖

本当につらい

拒食の時は我慢しまくるのに、一度食べ物を口にすると、お腹ぱんぱんまで詰めて、吐き出さないと、太る恐怖。本当につらい

66、あるもの全て食べないと気が済まない

症状としては、一旦食べ始めると止まらなくなり、あるもの全て食べないと気が済まない。

外食に行って帰宅すると過食が始まる。妹と一緒に食事をするとその日は過食する事が多い。吐くことも下剤を使ったりすることもないので、苦しくて辛いのに何日も続く事が多い。

過食の為に食材を買い込む事はなく、作った食事や買ってある食材、普段は食べない物をとにかく片っ端から食べる感じ。

数日で体重は増え、顔はむくみ、イライラして、頭痛や関節痛に悩まされる。

67、構って欲しくて過食

ダイエットで拒食→親に嫌われ、構って欲しくて過食→太りたくなくて嘔吐

68、自分が人間とは思えませんでした

摂食障害の前に、うつ病から始まって、うつ病の症状として食欲不振があり、体重がみるみる落ちていって28キロにまでなりました(身長157cmです)。

28キロの地点で脳がこれ以上食べないのはやばいと判断し突然回復期に入って今度は引き戻されるかのように食欲がぶわっと異常なレベルで湧いてきて、食べる量も食欲も抑制できず過食をしていて自分が人間とは思えませんでした。

急に回復期の過食に入って体重が増えていくのでとても恐ろしく感じて、このまま過食が止まらなかったら、ずっと体重が増え続けたら、もうどうしようってことしか頭になくて、ただひたすらに地獄のような怖い時間が続いてました。

それでも主治医の先生が回復期は本人にとっての適正体重に戻ったら脳がもう大丈夫って認識もして過食もちゃんと止まるから大丈夫って言い切ってくれて、その頃は34キロとかだったのですが、ちゃんと止まるんだって安心できたら、それだったらうつ病で食欲不振になってた時と違ってやっと食べ物を食べられるようになったんだから回復期の時間も楽しもうって思えるようになってきて、過食してる自分も許し受け入れられて無事自分の元の体重まで戻すことができ回復期の過食も止まりました。

それでも前までのすごく細かった自分を覚えているので、今の自分がどうしても太っていると感じていますし、周りにもそう思われてるんだろうなって思ったりしています。

今では精神不安定で悲嘔吐過食が時々続いています。

69、拒食症になっているなんて微塵も思いませんでした

ダイエットから拒食気味になりました。炭水化物と脂肪を控えるようになり、運動もたくさんしました。

するとみるみる痩せていきましたが、段々それらを食べることが怖くなりました。「ダイエット中だからこれぐらいの量で当然!」という意識で、そのときは拒食症になっているなんて微塵も思いませんでした。

ほとんど食べてないのに運動もガッツリやっていました。どこからエネルギーを生み出しているのかわかりませんが、全然食べなくても体は痩せた分軽やかに動いているような気がしました。

この頃から頭の中は食べ物のことでいっぱい。何時にどこで何をどれだけの量を食べるかをいつも考えていて、どうやって痩せるかが私の興味でした。

グラノーラを食べるようになって、度々過食するようになりました。どんどん食べる量が増えて、それがグラノーラからお菓子や菓子パンになりました。週一で過食するようになったのですが、しばらくは非嘔吐でした。

太ることへの恐怖感から自己誘発性嘔吐をしたことから悪夢の始まり。

最初は苦しかった指吐きから、どんどん吐くことにもなれて腹筋吐きに移行。そのうち過食より吐くことに快感を覚えてしまって、普通食でも吐いてしまうようになりました。

吐くことで自分のモヤモヤやイライラなどの嫌な感情が吐き出されている錯覚になり、胃がスッキリしたと同時に気持ちもスッキリしたような気がして、癖になってしまいました。

全盛期は食べて吐いてを繰り返すことで、過食嘔吐中に脳震盪を起こして倒れたり、記憶がなくなってしまったりしていました。生理も止まり、そもそも心臓病を抱えているのにさらに心臓に追い討ちをかけていました。

何も吸収できなくて、生きている心地がしていませんでした。その頃(2年前)が摂食障害期間で一番辛かった時期です。

誰にも言えず、ずっと苦しんでいました。

そんな死にかけだった私ですが、今は祖父母の家で暮らしています。たまに過食嘔吐してしまいますが、少しずつ精神的にも身体的にも落ち着いてきました。太ることは怖いです。

最小値からはだいぶ太りました。でもジムで鍛えながら、少しずつ筋肉と脂肪をつけていって女性らしいスタイルを目指して頑張っています。体重計に乗って体重が増えているとまた拒食に戻りそうです。

でも今は健康的な美ボディを目指しています!摂食障害からは抜け出せません。摂食障害に苦しめられて死にたくなる日もあります。でも摂食障害がなかったら、辛い世の中で自殺してしまっていたかもしれません。

自殺しないためにも体が摂食障害で生かそうとしてくれたんだと思います。過食嘔吐があるから辛い現実でもなんとか生きていけている。ストレス発散方法であり、逃げ道なんです。いきなり止めることはできませんが、少しずつ手放せていけたらいいなと思っています。

摂食障害になって、失ったものはたくさんあるし、何でこんなに辛いの?って思ったことは何度もあります。でも摂食障害になったおかげで、家族や友達まわりの人々の優しさや温かさを今まで以上に感じるようになりました。

私を理解してくれようとする人、支えてくれる人の存在がいることって本当に幸せだと実感しました。

また自分自身を見つめる機会になりました。自分の得意なこと苦手なこと、性格、本質、好きなこと苦手なこと。自分が知らなかった自分を知れた面では、人間として成長できる機会を得ることができたのではないかと思います。

まだまだ未熟者で、もっとちゃんとした人間になりたいと思います。摂食障害とも上手く付き合っていって、「幸せだ」と思える生き方ができたらいいなと今は思っているところです。

70、今は水も飲めない状態で死を覚悟

諸々のトラウマから18歳で発症して拒食、非嘔吐過食嘔吐、過食嘔吐を、30年間繰り返しています。

下剤、利尿剤乱用、血糖値操作、瀉血、チューイングはやめましたが、嘔吐がやめられないです。

結婚妊娠出産で悪化、夫の精神的DVでさらに悪化、看護師をしてましたが離婚直後に体を壊して失職し、貧困からさらに悪化して治したいと思えば思うほど悪くなり、今は水も飲めない状態で死を覚悟しています。148センチ30キロです。

わたしのような年齢のいった患者を診てくれる入院施設はありません。

71、会食恐怖症でした

小6から4年間会食恐怖症でした!
それを乗り越えた直後、今日まで非嘔吐過食です。
拒食か過食の毎日で、過食した後は過度な運動!下剤乱用!でした!
約9年間、衣食住の「食」に悩まされ、現在休職、治療に専念してます!

72、何かを食べたいが一日中頭から離れない

何かを食べたいが一日中頭から離れない。

73、23年間も摂食障害してました

軽い気持ちで始めたダイエットがきっかけで、23年間も摂食障害してました。

不幸自慢と悲劇のヒロインやらせたらピカイチでした。成績オール5、生徒会長、部活のキャプテン、、、絵に描いたような優等生からの、不登校、大学中退、ニート、恋愛依存、離婚、育児放棄、、、

まぁ他にも色々ありましたが。今は楽しくシングルマザーしてます。正直、私が治るとは思ってなかったです。

他の誰もが治っても私だけは治らないと思ってたので。おったまげです。

74、絡んできてほしくない、伴走者

小六の頃から、ティーン雑誌に興味を持ち、ダイエットについて興味を持ったのがきっかけだったかな。

自分の人とうまく話すことができないところが嫌いだった。自分が大嫌いだった。密かに好きだった男の子は、実はスリムなあの子が好きだという噂を聞いた。

私も痩せれば、素敵になって、自信が持てて、うまく話せるようになるのかな…雑誌を見た私は、痩せれば自信が持てる、という風に間違ったら捉え方をしていた。

はじめは、炭水化物やお菓子は食べない。そんなダイエットを始めた。親に食べろ食べろと言われるようになり、ダイエットよりも、それがうっとおしくなり、反抗心からどんどん食べなくなっていた。

拒食症になっていた。

極度の冷えと、力が出ない、生理が止まり、学校に行けなくなっていった。ある時から、食べないことで、嫌いな自分、ダメな自分を戒める為、拒食と戦うようになった。でも、お腹は空く。だから、料理本を眺めるのが好きだった。

自分は何のために生きているのか分からなくなっていた。生きる目的は何なのかとずっと考えていた。

高校受験で、勉強に打ち込むことができ、勉強という達成感を味わうことで、自分な自信を持ち始め、拒食は少しおさまっていった。しかしながら、高校受験がおわり、同じ気持ちに戻っていった。

大学受験期は、高校受験と同じかそれ以上に、受験勉強に打ち込み、できるようになる自分を自分で褒めることができ、拒食は収まっていた。自分の努力、価値を認めてくれる予備校の先生に救われていた。

大学生活を送るようになると、恋人からの人格否定、死ねと言われる毎日、学業では、周りとの力の差を自覚し、おちこぼれ、自分の価値を見出せず、気持ちが落ちていった。

鬱になり、毎日泣いていた。誰も見ていない一人暮らしのアパートで、初めて吐いた。一人暮らしは、摂食障害の行動を取りやすかった。食べなくていいし、食べて吐きたければ吐けばいい。恋人から解放された時間に、1人で時々、食べて吐くことをした。

食べるものは、大根やキャベツを大量に食べるので、そんなに身体には悪くなさそうですが笑 ←珍しいタイプ?

自分の生きづらさを食べることで埋めていた。

会社員になると、自分の事を必要としてくれる仕事仲間上司と出会い、自分の必要性を感じるようになり、拒食や過食から遠のいていった。

結局、今でも自分のことが好きではないので、いつ再発するかはわからない。今も自分のことは好きではないから、いつかまた、自分を憎み始めたら、摂食障害を繰り返す可能性はある。

常に摂食障害は私と人生を伴走している風に思っている。絡んできてほしくない、伴走者。

75、拒食症でした

拒食症でした。

76、食べ物を食べて吐かなきゃという強迫症状

食べ物を食べて吐かなきゃという強迫症状が1番辛い。

77、生きるために過食、生きるために嘔吐

生きるために過食。
生きるために嘔吐。

78、1日10回以上の過食嘔吐と万引き

1日10回以上の過食嘔吐と万引きを経験し、大学に行けなくなりましたが臨床心理士さんのおかげで本当の自分に気づくことができました。

79、行動強迫

行動強迫。

80、少しずつ手を離せていけたらいいな

10年近く過食嘔吐を繰り返し、何度も入院しました。学校も会社も、嘔吐後のフラフラで早退したり、過食嘔吐のために休んだりと、周りにたくさん迷惑をかけてきました。

最近やっと病気の自分を認めて受け入れ、支えてくれる人との繋がりができ、吐かない食事を取れるようになりました。

体型が変わっても受け入れてくれて、辛い時に相談ができる他者の存在ができたことで、太ることの恐怖も無くなってきました。

ただ、過食嘔吐の習慣は抜けません。どんなに心が満たされていても、どんなに穏やかな気持ちでも、長い間習慣付いてた詰め込んで、出す時の感覚を身体が欲してしまいます。

そんな状態でも、これが自分。

今はお金のかかる趣味程度に考えています。深く悩むと、更に泥沼に沈んでいくと長い長い病気の経験から分かったからです。

気をつけているのは詰め込む作業にならないようにすることです。たとえ出すとしても、食べたいものを多少高くても買って味を感じて食べるようにしています。

ダメなのは辛い時に、ぐちゃぐちゃした気持ちをどうしようもできず、食べ物にぶつけるように泣きながら過食すること。

そうなりそうになったら、信頼できる相手に相談するように心がけています。なぜ今辛いのか、自分の気持ちと向き合って、それを発信してみるように心がけてます。

人にうまく助けを求めていくことが大切だと感じています。

治すというより、うまく手を繋いで病気と歩いて行き、少しずつ手を離せていけたらいいなと思います。

81、それがなくなったらわたしの存在がなくなる

習い事もテスト勉強もそっちのけで毎日毎日過食嘔吐。

吐くのは疲れるけど、吐かないでいるのも怖い。親が、知らないところで食べて夜中でも朝でも繰り返し。友達関係もいったんは破綻。

すべての物事にイライラしてました。ただ、いじめてくる子よりも痩せたかっただけなのに、どこで間違ったのかわからないです。

中学の時、ダイエットをきっかけになりました。拒食症の期間は中学2年から高校卒業くらいまでかなと思います。

高校くらいから大学の時は治すと決めた期間。社会人になってからは、一人暮らしをした時に、また体重が減って、強制的に実家に戻らされ、結婚して実家を離れたいま、また減少気味で増やそうとしています。

拒食症の時は、まあ食べない動くという感じです。どこに行くにも遠回り。15分の道のりを1時間かけて歩いたり、ご飯を食べる前は階段を上り下り。廊下をバタバタ何往復も走る。

ダイエットウォーキングなどなんでもしました。給食の時間は保健室に行って食べ物を見ないようにしました。勉強に没頭することで食事を忘れるということにしました。

手が震え出したら、横になって15分くらい待てばまた復活しますので、また勉強します。そんな生活を中高と過ごしました。

何か食べ物を買う時はカロリーをチェックしていました。これは今でもしてしまいます。一口食べたもののカロリーも気になっていました。

食べ物が嫌いなくせに店のメニューとかはめっちゃ覚えるまで見てました。とにかく食べ物への執着がすごかったです。

あと、自分のルールがあって、何時以降は食べない、朝は毎日同じものを食べる、これは食べない、あれは食べない。。。。時間との戦いでした。

入院は中学の時1度と高校の時に1度しました。中学の時の病院はとても緩かったので、ご飯は捨ててました。過活動もしました。全然太らなかったけど、担当医がいなくなったので退院しました。

高校の時の病院は厳しかったので、監視もされて、面会もできず、行動制限もあったので、その病院が嫌で頑張って食べました。

その病院では拒食症によって脳が萎縮した人、歯がなくなった人など、そういう人を見たので、真剣に怖い病気なんだと感じで、治す意欲みたいなものは出ました。

退院してから治そうと決めて、そこからが辛かったです。

治したい、食べなくちゃいけない、食べられない、ほんまに治したいのかわからない、食べ物が怖い。一番、私が葛藤していた、今でもしているのかもしれない部分は、健康になった私、治った私、は果たしてみんなから好かれるだろうか。受け入れられるだろうか。構ってもらえるだろうか。今までのように可愛がってもらえるだろうか。注目してもらえるだろうか。そんなことのように思います。

拒食のわたしがわたしなんだから、それがなくなったらわたしの存在がなくなる。というようなことを考えてしまいます。

幸い、わたしの家族はわたしの不安を全部聞いてくれて、全部受け止めてくれるので、そのようなことを否定してくれました。

治ったり元に戻ったりするのは、心の不安があったり環境や人の不安がある時になるような感じがしています。

今はまだ、完全に完治していないです。探り探り、たくさん食べられるように、一口多く、二口多く、を心がけています。

82、過食症気味だったことがありました

過食症気味だったことがありました。

83、摂食という松葉杖

20歳のとき、アトピーを治すために食事療法を始め、急激に痩せることに快感を覚えた。

当時、彼氏との関係や外国で大学に行っているストレスが重なっていました。その後日本留学が始まり(外国人です)、いくら食べても満たされない感覚に悩まされ、そこから二年に渡って非嘔吐過食が続いて、今度はそれを治すために食事療法を試すようになり、食べ物の制限・恐怖、断食の繰り返し、不健康食恐怖症に展開。

24歳のとき日本に就職し、孤独と積み重なった体調不良、外国人であることと(当時)未診断の発達障害による劣等感がMAXになり、吐くようになりました。

どんどん痩せていって、食べる・吐く量が増え、とうとう自分のアパートで一人でいられなくなりしばらくしたら、摂食障害・鬱・パニック障害などで休職になった。

夫(当時、彼氏)と同僚の支えがあったおかげでゆっくり自分と向き合って治していったが、3年以上時間がかかった。過食しながらも克服法を調べた。ステップあやさんのブログが一番ためになって、少しずつ許可食を増やしていって、吐かなくなっていった。

去年、アスペルガーとADHDの診断が降りて、自分がどうしてこんなに普通じゃないかについて答えが得られて、そこから本格的に回復できたと言える。

解離性障害もあるようで、それも大きく影響していたと思う。まだ自分自身を取り戻す最中だけど、摂食という松葉杖を使わなくても自分の問題と向き合えるようになった。

人に甘えられるようになること、ダメな自分をも認めることが大きな鍵となった。

これからは心理学の勉強などを考えていて、何かしら摂食障害も含めて生きづらさを抱えている人のためになる活動ができるようになっていきたい。

84、10歳代から過食→18から過食嘔吐

10歳代から過食→18から過食嘔吐。

85、チューブ吐きを必死で覚えました

糖質制限を行い56キロから48キロまで体重が落ちました。しかし生理が止まってしまいホルモン剤の服用と糖質を摂取するようになり、食欲が暴走しだしました。

結局ホルモン剤だけでは生理は戻らず、過食症になりリバウンド。体重はダイエット前まで増え生理も戻ってきましたが、現在は過食嘔吐するようになってしまいました。

職業柄歯をぼろぼろにしたくなくてチューブ吐きを必死で覚えました、過食嘔吐になり半年程です。

体重が落ちるかと思いきや、朝昼は普通に食べ夜のみ過食嘔吐で橋本病 (生理が止まり血液検査をして判明、LowT3との診断もされました) の影響もあるのか、体重は全く落ちず抜け毛もすごく増えました…

お金を無駄にし虚しくなるだけなので、克服しようと取り敢えず頻度を減らしているところです。

86、太りたくはないけど、普通になりたいです

ダイエットとして糖質制限を行い、体重を落としました。

一時期は166cmで36kgまで落としましたが、危機感はなく、それが美だと認識しておりました。

生理も止まり、このままではダメだとは頭ではわかっているものの、糖質が食べられない、受け付けない身体になってしまいました。

現在は42kgまで体重は増やしましたが、相変わらず糖質は避け続けています。変わりたいと思いつつ、変わらない自分が嫌いです。

太りたくはないけど、普通になりたいです。

87、あのときの絶望は、本当に絶望だった

過食嘔吐は、本当に苦しい、苦しかった
私にとっては自傷だったのだと思う
途中から、決して痩せたいと言う気持ちだけではなかった気がしている
結婚したら、子どもを生んだら、引っ越したら、いろいろなタイミングで止められるんじゃないか、と思って期待して裏切られた
満員電車の中でも食べるのを止められなかった
駅のトイレで便器に向かって過食してたら、気づいたら背中でドアが開いてたこともあった
過食嘔吐のあと電車の中で倒れて、お姉さんにグミをもらったことがある
数日はそれをお守りに吐くのを止めた
でもすぐ元に戻った
あのときの絶望は、本当に絶望だった

88、何時間も咀嚼し顎が痛くなることもあります

中学2年生の時、気づいたら拒食症でした。

はじめは痩せていって周りの人が心配してくれるのが嬉しかったです。だんだん食べるのが怖くなって、食べなきゃいけないのはわかっていても食べられなくて、自分で自分がコントロールできなくなりました。

筋力も体力も落ちて、学校にまともにいけなくなり、悔しかったです。学校の保健の先生に病院に行くように言われました。

私は行きたくなかったのですが母が私を連れて行きました。中学生という小児科でも成人でもない微妙な年齢で、低体重だったため、なかなか受け入れてもらえず、幾つかの病院をまわりました。

ある大学病院でやっと受け入れてまらえましたがその時にはもう緊急入院でした。そこの病院で感染症にかかり、生死をさまよいました。

身体の方がすごく悪くなり、何度か手術をしたりしました。

中学3年生の10月ごろやっと退院しました。食へのこだわり、時間のルールなどは厳しく、少しずれるとパニックになりました。

このころ私は絶対過食症にはならないと思っていました。高校に入っても3色決まった量は食べますが、間食やいつもより量が多いということは許せず、友達とご飯に行くこともできませんでした。いつもなんと断るか考えるのが辛かったです。

大学に入り、部活などで飲み会があったりしました。最初は太るんじゃないかと怖かったですが、徐々にその恐怖心が小さくなり、飲み会を楽しめるようになりました。食べる時間のこだわりもなくなり、普通に食事ができるようになっていたと思います。

しかし、気づいたら今度は過食症になっていました。みるみるうちに体重が増え、自分が醜くて仕方なく、人前に出ることが怖くて仕方なくなりました。外に出るのが怖く、学校を休みがちになったこともありました。

どうにかして吐けないかと、いろいろな方法を試しました。食べては、苦しく、後悔して泣いていました。何度も吐くことを試みるうちに気づいたら吐けるようになりました。

しかし吐くのにはすごくエネルギーがいります。吐く気力もいるし、吐いた後の疲労感は大きいし、時間はかかるのでできれば吐きたくありません。

しかし太りたくないので食べたら吐かなきゃとも思います。でも普通の人はこんなことしないんだよなと思うととても悲しくなります。

過食や嘔吐をするせいで睡眠がきちんと取れず、疲れが溜まり精神的に参る日々です。

毎日買い物に行って過食するための材料を買わないとすまない時期もありました。お腹は空いていないのに食べていないと気が済まないのです。

何時間も咀嚼し顎が痛くなることもあります。とても辛いです。拒食になった時には20kg以上体重が減りそこから過食になり、35kgくらい増えました。

89、自殺未遂も経験し今は親のお金で過食嘔吐

拒食症から一年くらいで過食嘔吐になり、中学二年の頃から計6回入退院繰り返しています。自殺未遂も経験し今は親のお金で過食嘔吐する毎日です。

90、心不全を起こしても気づかず

社会人になって知らない土地で初めて一人暮らしをして不安やストレスから10キロくらい激痩せし、心不全を起こしても気づかず無理して働き、限界までいき入院しました。

摂食障害というか辛くて食べるのも大変な時期がありました。食べてもストレスで下痢を起こし食べれない。食べたくない。

貧血も酷く氷と冷たいものばかり食べて飲んでました。当時は自分は大丈夫だと勘違いしてました。痩せても異常な痩せ方に気づかず痩せて嬉しいくらいの軽い感じでした。

91、非嘔吐過食の方が死ぬほど辛かったです

認められたい気持ちからダイエットを始めました。

始めは拒食から非嘔吐過食、その後過食嘔吐になりました。過食嘔吐も辛いですが、比べると私は、痩せたい思いと逆に太っていく非嘔吐過食の方が死ぬほど辛かったです。

ですが、それでも過食嘔吐をするべきじゃなかったと思います。

92、摂食障害になった原因

今年の6月に祖母と叔母が何も言わずに急に家から出ていって、捨てられたと思ったのが、摂食障害になった原因かもしれない。

93、映画dieAter

ここで答えて頂いた方、すべての方に、人生があり、物語があります。ここで語られていることはごく一部でしょう。

すべての方からインタビューが出来たらいいな、ここに届いていない声も拾えたらいいな、そう思います。同時にそれが難しこと(物理的にも状況的にも)は日々実感します。

すべてを救うことは無理だし、この映画やこの活動が、逆に悪影響になっている方も勿論いるでしょう。

しかし、わたしはわたしの課題をする。それだけなんです。前を向く。

映像では20人の方に出演してもらいました。これからも撮影していきます。いろんな活動をして、一人でも多くの人に、こうして生きている方が、側にいること、側にいる人が、こうして生きている可能性があること、知ってもらえたら。

映画dieAter 本編はこちらから。

こちらの記事も是非。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?