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「町工場の夫」は准教授①

「町工場の娘」や「町工場の嫁」という感じで、町工場の経営に女性が参画し、様々な変化を起こしたというお話が話題になったことがあります。私の妻も町工場の経営者です。そうすると、私は「町工場の夫」ですね。今回は、「町工場の夫」の目線でお話をしようかと思います。

町工場の夫

町工場の娘や町工場の嫁では、突然の事業承継などで、経営に参画するようになったという経緯が多いように感じます。

じゃあ、私、町工場の夫は、結婚相手がたまたま「町工場の娘」。そして、事業を承継したのは、その娘(と義兄)になります。したがって、話題になった町工場とは違い、役員となって経営に参画しているとかではありません。

准教授の目から見て

経営には参加していませんが、家の中ではお互い経営者でもあるので、経営の話がでてきます。

そして、私は「経営と法」を専門として准教授なって生業もしています。

そうすると、「町工場、ここが変じゃない?」ということが多々でてきます。ある意味、無責任ながらも町工場の娘や嫁と同じように、「町工場、ここが変じゃない?」ということがでてきているものです。

努力・気合・根性で乗り切る?

家で妻と話していると、一番違和感があるのが「働き方」と「組織」のこと。

「努力・気合・根性」で乗り切ろう!「家族が助け合って大変な時は乗り越えていくの!」といったことが普通に出てきます(内心、むーりーとか思いますし、自分の仕事の性質上、家族が団結して!という感覚がない)。別に、おかしいとかダメ出しということではないのですが、前提を欠いている。

生産性の向上、作業効率のアップの視点がどうしても欠いている。目の前の受注した仕事を納期までに納品するということに集中している。つまり、視点が短期的な視点でしかないということです。

そして、言うわけです。「長期的な展望とかは?」というと、「考えなきゃいけないけど、忙しい。」という返事。

その切り返しで「組織体制とか作り上げて、経営陣は考える時間を確保する必要があるのでは?」とすると、「努力・気合・根性!」ではい終了。

経営者が先陣をきって、現場で働き、その姿で牽引するということが間違っているとは言えません。しかし、見渡してみると、「経営者だから24時間戦います!」「経営者に休みはない!」などと息巻いている方が多いように思えます。

本当にそれでいいの?と思ってしまいます。

「そもそも」を変える

こんなやり取りをしていると、根本的な部分は「経営者だから24時間365日会社のことを考えて働く!」という精神が、かえって会社の変化を阻害しているのでは?などと考えてしまいます。

この精神は、経営者が「24時間365日働くことが目的」となっているようにも思えます。とにかく妻は、「忙しい、忙しい・・・社員さんが大変だから私がやらなきゃ」です。こうすることの目的が、24時間365日、経営者ががんばることが目的となり、会社の経営が目的ではなくなってきているように見えてきます。

経営者=労働者という概念?

妻は、経営者と労働者の概念の「あいまい」であるということが原因。この概念については法的には?とかありますけれども、その部分には踏み込まず、言い方を変えれば「組織内での役割」がはっきりしていない。経営者という名の労働者になっているとも思えます。

中小企業の割合が99.7%。この中で、経営者=労働者となってしまっている経営者の割合はどれくらいだろう?と思ってしまいます。製造業に限定して、周りを見渡すと・・・比較的多いように思えます。

このように考えると、町工場の経営者=労働者というのが当たり前になってしまっていると、そのことに変化を持たせるというのは難しいのかもしれません。

あとは、町工場の規模ということもあるでしょう。

そこで、私は妻に聞きます。

「拡大路線?縮小路線?どっち?」

縮小路線で行くならば、町工場の経営者=労働者で良いかもしれません。しかし、拡大路線を選ぶならばどうでしょう?規模が大きくなればなるほど、経営者=労働者という状態ではありません。

経営者の働き方。働き方改革の中に、経営者自身のことも含めて考えてみたいところです。そうすると、組織体制についても考え、経営者の役割ということも見つめなおすことができるのではないでしょうか?

町工場の夫は准教授。町工場の方々からは怒られそうですが、続けてみようかなと思います。





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