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九十九里石仏調査その2(22/06/18)

音楽祭翌日の土曜日を活用して、再び「民俗文化研究班」の調査で九十九里平野に出向いた。
訪問先はかなり迷ったが、今回は平野の南部にある長生村をターゲットに選んだ。やや狭い村ではあるが、海岸線と並行に回ることで効率を確保し、村内全ての寺社を回り切るという目標を立てた。
ちなみに、歴史的な経緯もあって、長生村を含む九十九里南部の寺院は、ほぼ例外なく日蓮宗系の諸派で占められている。

早朝に自宅を発って、8時35分着の外房線で八積(やつみ)駅に降り立つ。駅の近くに図書館を兼ねた文化会館があり、郷土資料を軽く漁ったが、石像物に関する記述は見当たらなかった(この理由は後で痛いほど思い知ることになる)。

八積の駅前には見事なラウンドアバウトがある

さて、寺社を順に回りながら石像物を探していくが一向に見当たらない。前回山武を回った時は少ないながらも一定数の石仏があったが、今回は全く皆無なのである。
1時間以上走って、本覚寺の境内でようやく馬頭観音2基(うち1期は折損)を発見。小堂に収められてはいたが、境内の隅に背を向けて置いてあり、どこか後ろめたいことでもあるような置き方だった。

本覚寺境内の馬頭観音。これが本日最初で最後の石仏だった

その後も石仏は見つからず、人に聞きながら探し回っていたところ、ある古老から「(子安講について)子安様の石仏は立てないが、腰当(茂原市)の子安神社から掛軸を借りて祈願している」との情報を得た。
この時点で、掛軸からの連想(この辺りにいた不受不施派信者が密かに曼荼羅を拝んでいた話など)により、「日蓮宗の門徒が無関係の仏を祀ることはできないのではないか(=石仏の存在しない範囲が日蓮宗寺院の分布範囲に一致する?)」という仮説が導かれた。
いずれにせよ情報収集が先と思い、半分以上残っていた行程を急遽切り上げて、子安神社のある茂原市を目指した

茂原の商店街

九十九里の他地域と比べると、茂原は大都会である。商店街を彷徨って定食屋を見つけ、入店してタンメンを注文。時刻は13時半、遅めの昼食である。
子安講の件について専門家に話を聞きたいと思い、茂原市の運営する郷土資料館に向かうも、学芸員が忙しいため少し待ってくれと言われる(併設された美術館で展示品を片付けていてらしい)。30分以上待ったものの、今日は無理そうなので別の日に出直せと言われ、失意のままに資料館を後にした。

茂原市腰当の子安神社

憤りに任せて自転車を飛ばし、腰当地区の子安神社に向かう。迷うことなく社務所の呼び鈴を押すと、役員の男性が出てきたので色々と話を伺った。
話題は掛軸の件から、地域における子安講の現状、現代の安産祈願の話にまで及び、大変貴重な情報を得ることができた

その場でノートに内容をまとめた後は、長生に戻る気力も起きず、神社の背後にある里山を彷徨った。
寺院を回ったり、古老と雑談したり、房総特有の狭い隧道を潜ったりと、行き当たりばったりで巡っているうちに雨が降ってきた。ポンチョを羽織って小さい峠を越えると、程なくして外房線の本納駅に到着である。
5時起きに値する成果は得られなかった。こんな日もあるというものか。


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