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結婚と1回目の妊娠と稽留流産

夫と遠距離だった私は、結婚して地元の東北から広島県に行くことになりました。
結婚したら子供ができるのは当たり前!と思っていたこの頃。
排卵日などの知識も無く、妊活なんて言葉も縁遠く、妊娠に対してとても前向きでした。

そんな中、なんと結婚して約1ヶ月後に妊娠が発覚!
こんなにもスムーズに妊娠できるものかと、夫婦共々喜びました。

家族や周囲に報告したいのは山々でしたが、ネットで検索してみると、「何があるかわからないから、まだ周囲には言わない方がいい」と。
「何があるかわからない」ということが、その後自分の身に降りかかるとはこの時思ってもみなかったけど、ネットに書いてあることを律儀に守り、妊娠を夫以外の自分の家族にも伝えなかった私。
この、妊娠初期にどこまで報告するか問題。
今となっては、信頼している親や家族、あと職場の上司には言っておくべき!と思っています。
これについてはまた今度、グリーフケアを含めて書きたいと思います。

そして、タイトルのとおり、この妊娠は稽留流産となりました。
記憶が少し曖昧ですが、
妊娠5週で胎嚢確認。
7週で心拍確認できず。
8週でも心拍確認できず。
9週で稽留流産との診断。
10週頃に掻爬手術だったと思います。

稽留流産との明確な診断は9週でしたが、
8週の時点で流産の可能性が高いと先生から言われ、
看護師さんから流産とその後の処置についての説明を受けました。
人気の少ない病院の廊下の一角にあるスペースで、看護師さんと話しながら涙が止まらず…。
「泣いていいのよ。当たり前よ。」と、看護師さんが優しく寄り添ってくれたのを覚えています。

その後、9週までは僅かな希望を持ちながらも覚悟は決まっていき、
具体的な手術についての説明を受ける時は泣くこともなく落ち着いて聞いていました。

そして年末年始をはさみ、年明け早々に掻爬手術。
夫が仕事を休んで付き添ってくれました。
ネットで読んで恐れていたラミナリアはそこまで痛くは無く、個室病棟からベッドに寝たままガラガラと手術室に運ばれ、手術室ではドラマでよく見る丸い照明があって、これまたドラマの衣装のような格好をした先生と看護師さんがいて、怖さはあまりなかったけど、あーいよいよかぁ。という感じでした。

麻酔を打って、数を数えるうちに眠ってしまいました。
この麻酔体験が、けっこうトラウマでした。
カラフルな幾何学模様の中を、自分がスルスルと滑り落ちて行く夢。
途中で扉のような物が開いて、次の部屋に放り出されて、また滑っていく。
最後に白い部屋に入った時に、「終わりましたよ〜」という先生の声と、ぼんやりと手術室の照明が見えてきて、目が覚めました。

手術室を出て、夫に会った私の第一声は「私、神になったかも…」
ショックのあまり、頭がおかしくなったのかと夫は心配したそうです。
幾何学模様の世界を、この時、神の世界のように感じたんですよね。
それか、赤ちゃんが子宮の中をこんな風に滑り落ちて行くのかな。という感覚。
神の世界とはいえ気持ちの良いものではなく、なんとも言えない気持ち悪さと恐ろしさがありました。
その後ネットで調べてみたら、この夢はケタミンという麻酔ではよくあることだそうです。
神でも子宮の中でもありませんでした💦

でも、この2年後にまた掻爬手術をすることになるわけですが、この夢は見たくないな…と、トラウマになりました。

こうして、妊娠発覚から約1ヶ月で赤ちゃんとお別れとなりました。

辛かったけど、この時は、よく聞く
「初期流産はよくあること。母親のせいでは無い。またすぐに妊娠できるから大丈夫。」
そんな言葉で、割と立ち直るのは早かったかなと思います。

でも、私と夫以外に知られずに、悲しまれずにいなくなってしまった赤ちゃんの存在。
確かに周りに余計な心配はかけずにすんだけど、何も無かったことにしてしまうことに、なんかモヤモヤした気持ちが残ることになりました…。

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