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他人さまは自分さま~自分を愛することが苦手なあなたへ~


お友達の敬子さんについているパトリック(という謎のエネルギー?宇宙人?魂?)が突然話し出したときのこと。(敬子さんは、その間何を言ったか覚えていないらしい)スペイン歌謡に身を揺らしながらとても楽しそうに、敬子さんは語った。

ひとしきり、お話が進んだところで、まゆみんが、言った。

「敬子さん、それ、Youtubeに上げればいいと思う!」

これは、当世風の密をなるべく避けての、密やかでにぎやかなある女子会の記録です。

みんなできゃっきゃと料理を写真に収めながら、そう、確かタコのフリットをつまんでいた時だった。敬子さん(&パトリック)が語った10分間の記録。そんなわけで、本格的な編集は入れていないけれど、書き言葉にするにあたっての編集は加えていますことだけ、あらかじめお伝えしておきますね。

では、どうぞ…!

【他人さまは自分さま】

嫌いな人を好きになることはまず難しい。
でも大好きな人って、
みんなに「あの人やめときな」って言われたって
行っちゃうじゃん?

例えばさ、さやかちゃんちのらるちゃん(筆者の飼い猫:写真参照)世界一可愛いとか言ってるけど、言っとくけど、世の中の猫のランキングで言ったら
らるちゃん別にそうでもないから。世の中の猫好きからしたら「ふっ、らるちゃんの何が?」ってなるわけ。
けど、それでいいってこと。

(うん、全然よくない。うちのらるは世界で一番かわいいし、そこは大前提で話を進めていただきたい。)

自分の中で「絶対この人が好き」という人をまず探す。
そしてその人にべた惚れする。
その人って絶対だなと思う。

(ええ。らるちゃんの胸とかお腹の毛のモフモフ具合とか、背中押し付けて昼寝してくるとことか、マジ最高です)

でも、そのうち、その人も
人間的にちょっと、ちょっとマイナスだなというところが出てくるわけ。
だけど、私はその人が大好きだからそれは目をつぶる。
つぶるっていうか、嫌じゃない。他人が(そのマイナスなところが)嫌でも、私は嫌じゃないし、
そんなのも許せちゃう自分がいて。

(ええ、らるちゃんの毛が私の服につきまくって超絶めんどくさいとか、ちょっと掃除機かけるのさぼると家の中がひどいことになるとか、トイレの掃除とか、ジーンズもも絨毯も爪とぎにされてバリバリになるとか、まじ全部愛しい。)

で、そこ(そのマイナス面)を自分の中に転写すると、
実は自分の中にその部分があります、っていう話なんだけど。

(……いや、ないでしょ……いや……ないはず……この辺りで猫に例えるのはやめ、敬子さんの話に集中しよう。)

そこ(自分のマイナス面を他人の中に探す)を目的にしたらそれは授業になってしまうので、
それを目的に好きな人を探すっていうのは違うんだけど

まずは、ピュアに大好きな人を探す。

大好きでしょうがない人をどんどん探して行って、
うざがられても「好き!」みたいな人をいっぱいつくっていくと
たいてい、共通して「だめなとこもあるんだよね…。」
と思ったとき、静かに気づく。

その部分が自分の中にもあることを。

なんで他人がこの世の中にいるかっていうと、
自分だけだったらできないことが
他人がいるからできるからなんですよ。

だから、他人がいる限りは他人で学べばいい。

自分がお腹痛いときに、自分でお腹かっぴらいて自分で何かできますかっていったら、できないじゃないですか。
他人がオペする方が楽じゃないですか。

それを、
「他人にお腹開いてもらうなんて申し訳ない、
麻酔なんて申し訳ない、痛いのは私がどうにかします。」
とか意味ないから。

誰も「あなた我慢強くないんですね」とか言わないから。

「痛くないほうがいいよ。」
「寝てて起きたら治ってるよ。」
「もうちょっとよく寝たほうがいいよ」
ってみんなそう言ってくれるよ。

「ありえない、そんな腫瘍つくるなんて!」
なんて、(他人は)言わないよ。

寝て起きたら痛みも取れてるし
傷もなくなってて。

ほんと、そういうこと。

自分が自分に一番厳しいんだよ。

「自分を許す」というのはまた別の話だけど。

自分に厳しいのは、自分に期待してるから。

頑張ろうとか、期待しようとか、失敗しまいとか、思っちゃうけど
他人はあなたのこと、そこまで思ってない。

他人にとっては、どうでもいいから。

でもその「どうでもいい」って視点は、ある意味自由を産んでいる。

例えば…
誰も見てないってなったら、タロットカードでもう一回カードきっちゃうの。
「あれ?死神??間違えかも~!」とか言ってね。もう一回ひいちゃうの。次に恋人ラバーが出たりしたら、こっちこっち!とか言っちゃったりして。

本当は、一回死神が出たからって、別にこの世の終わりじゃないし、ラバーが次出たってことは、自分がそこに行きたいっていう気持ちが強かったていうことで、いいの。一回死神はみるかもしれないけど。

それを馬鹿正直に、私は死神を引いた女です。。。
死神私も引いたことあります~とか死神話で盛り上がるとか。
そこはやめてもらいたい。
ほんとに、どうでもいいこと。

大切なことは、世の中にこれだけ赤の他人がいるっていうこと。

だいたい「好きな人の好きなところは、自分の中にもある」っていうことを前提に考えれば、他人をどんどん好きになればいい。
どんどん好きな人を増やしていけばいい。

もう一回考えてほしい。
世の中になぜ赤の他人がいるか。

気が付けば、かっこいいとか、イケメンとか、まあどれもいっしょだけど
そもそもイケメンって、どの部分がイケメン?って考えてみて。

顔だけじゃなくて、内面のまめさとか、さりげなくできるところとか、
いろいろな要素があるとして、

好きになる人って、
そもそも「自分が持っているのと同じ要素を持っている人」か
うわーなりたいわ、なれないわ!みたいな、「憧れているけど全く持っていないものを持っている人」かどちらかしかないの。

中途半端な人には興味を持たない。
それだけ他人様、っていうのは自分様なわけ。

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つまり……?

この時はわかったような気持になったけど、改めて文字で読むと
わかるようなわからないような…ということで、私なりに要約してみるね。

この話は、自分を愛そうとか、自分を許そうとか、自己肯定感がすべてとか、世の中そういう流れになっているし、それはもちろん大切だけど
意外と難しいと思っている人へのメッセージだ。

他人には、自分の要素が投影されているから、
自分に厳しすぎてしまう人は、好きな人をたくさん作ればいい。
そして、他人の好きなところや嫌いなところを見ながら、自分を知っていく。

自分を自分で見つめるのは難しい。
でも、他人がこれだけ、世の中にいるんだから
だったら他人をいい意味て使えばいい、ってこと。

うちの猫は、寝てるだけでかわいいって愛されて、みんなを癒す。
ご飯頂戴って、にゃーっていうだけで愛されて、みんなを癒す。
そんな要素がきっと私にはある!(願望か?妄想か?)かもしれない。

あるいは、あかん、私にはないなあ、でもそういう風に愛されたいとか
人を癒したいと思っているんだな、と自分を知ることができる。

それでいい。

他人は、私にそこまで興味がないので、(どうでもいいと思っているので)
人様の視点とか無駄に気にしてないで、
好きな人(猫)に集中して、好きな人(猫)を通して、自分を知ろう。

みんなで幸せになろう。
好きで人生をたくさん包み込もう。
読んでくれてありがとう。
大好き!!

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