今年は自分を支えられる人になります。
ちょっとネガティブな内容もあるので
読みたくない方はメニューに戻って大丈夫です。
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昨年の私は「誰かを支えられる人になりたい」と思っていました。
でも1年を通して新たな経験や学びがあったことで、その考え方がズレていると気づき、
「そもそも自分を支えられない人間に、支えられたい人はいない。」という事実に辿り着くことができました。苦笑
他人に手を差し伸べられる人は、
立派で
カッコよくて
文句の付けようがない
恥ずかしくない
正しい生き方をしている。
自分もそうなれたら認められて自信が生まれるんじゃないかと。
誰かを支えたいという言葉は
聞こえは良いかもしれませんが
結局は誰かに必要とされたい
自分の欲というか、願望だけだったように思います。
そもそも誰かを支えられる人になれとか
誰にも求められてなかったと思いましたね。
勝手に「これは求められている❗️自分には必要な事だ‼️」と完全に勘違いして本当に向き合うべきことが分かってませんでした😂
これ、
与えているようで、実はもらう事に必死だし、誰かを支えたい=自己犠牲的でもあることに
我ながら超絶アホなのですが
全く気づいてないんですよ😂💦
正義感が変な方向にいってしまってます。
本当の意味で誰かを支えられる人は
自然とできるからこそ良いのであって
わざわざ口にしたり、無駄に気を遣ってするもんじゃないなと思います。無理しないとできない時点で見返りを求めちゃってる気がするんですよね。
少なくとも私の役割ではないと感じました。
私が本当に向き合うべきは
他人ではなく、自分自身。
昔から周りから強く言われることが多くて
気付けば自分のことが信じられなくなり
私が好きでやっている「絵を描く」行為は家族や、関わる人みんなに負担をかける、という罪悪感に近い感覚がずっとありました。
でもどれだけ生きても、自分の中で絵より勝るものが見つからないんです。
人を支えたいなんて発言が出たのはまともに見せかけた綺麗事を言いたかっただけで、本当は他人に関心が薄い自分を認められなかっただけでした。
関心を持つことが怖くなったのは、また誰かに嫌われてしまうのが怖い。だったら最初から深く関わらない、壁を張ればいいと
どこかで学習してしまった結果だと思います。
こんなぶっちゃけたことは初めて書きましたし、打ちながら自分でも
そうだったんだなぁ…という感じです。笑
そういう葛藤や苦しみは痛いほど分かるので
自分と同じような境遇の人がいれば行動できるし手を差し伸べたくなります。似たような過去や経験があるからこそ助けたい、支えたいという気持ちが自然と湧いてくるのです。
誰これ関係なく手を差し伸べるなんて、そんな仏様のような行い、どちらかと言えば頑固で我が儘な部類に入る私にはそもそも無理だった😂
また、たくさん間違えてしまったなと思いました。
あーまた、やったんか自分って。苦笑
毎回嫌になりますが、
立ち止まってしまったら、もっと嫌になる
ヤバイ未来になることは予想できるので
転んでもキモくても引かれても
とにかく歩み続けなければいけません。
なので、この反省を踏まえて
今年の目標は他人を支えるではなく
自分を支えるにチェンジしました。
昨年は本厄ということもあったので
やや波がありましたが
今年は笑顔で笑える日々が
もっと増えたら良いな〜。
なんか色々書いたら少しスッキリしました。笑
不快にさせたら申し訳ありません。
読んでくださってありがとうございました。
FUJIHARU
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