土くれの塊

自分で物事を考えなくなった。

朝起きて、出社し、仕事して、退勤して、人の声を聴いて、寝る。

”読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ”

知らず知らずのうちにその人の陽の部分に頼り

自分自身をその雰囲気に委ね

考えなくなってしまったように思う。

さも自分がニッチで、少数派で、誰ものにも真似できないような人間であると

大した努力もせず

勘違いしながら。

いざ自分の考えよを述べよというと

常識、一般的、自分の中で気づき上げた得意なことを

どこかで考えたようなことを得意げに話す。

赤子の手がひねれば満足。

周りの人がああいえば

自分の中で解釈し

そうですね、と答えて

裏でうじうじと悩む。

本を読めば

その中のフレーズを引用しては

さも自分で考えたかのようにしゃべる。

聴いているほうは為になるかもしれない。

自分自身には”偽の軸”しか残らず、いずれ忘れて思考も野に放たれ

後には何も残らない。

その刹那的な思考をその場しのぎで放っては

一時出来に満足し、

不格好なチリの山として自分に残り

いざ必要な時にはそれはどこにあるかわからず

取り出せない

ただ堆積するのみ。

豊かな土壌になれば吉

芽が出れば良し、

適切な対処は知っているのかもしれない

本当はやらなければいけないこともあるのかもしれない。

ただただ博打のように芽吹きを待ち

他人から堆肥が与えられるのを待っている。

柵の中から無防備を誹り

自分はただ守りに徹し

肥えていく自尊の感情に気づかないまま

サンショウウオのように図体だけ大きくなっていく。

その先に

何があるというのか。

たまに感情を表に出せば

ネガティブと甘えをまぜこぜにしたどうしようもならない

ガムシロップのような嗚咽にまみれ

かわいそうだね。

と思ってくれる人を探す。

その先に

何があるというのか。

現実を虚と捉え

虚をあたかも現実と捉えては

真面目な顔して明後日の方向に問題提起をする。

その先に

何があるというのか。

焦りを焦りとして捉えるのも忘れてしまった。

昔感じた感情をいまだに持ち続けていると思い込み

戦っていると藁のベッドに横たわりながら口だけ動かす。

その先に

何があるというのか。

何があるというのか。

道は見えず

破滅がうっすらと顔を出す。


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