水、淡きをもって

ある方と食事に行った。

実に一年ぶりの繋がりであった。

互いに思い違いをしていた分もあり

約一年のブランクが空いてしまった。

僕は、会わなかった時間を悔い、埋めるように話した。

──────

常に人との距離感を遠めに設定してきた。

人との距離感が10あったとして

常人が5で、依存が7なら

僕は3ぐらいのつもりで接してきた。

僕は誰よりも残酷で自分本位で

もし距離感を測り間違えて接してくる人や

今まで普通に接してきた人が酒で距離感を乱すようなことがあれば

平気でまるで線路に突き放すような感覚で人間関係を突き放す。

そうやって頼りない自分の心を守り、自分の砂の城を築いて、砂の城壁を築く。

それが僕なりの歩き方だったのだが。

良識のある人たちに触れ

僕の中で人と関わるベクトルが厚みを持って現れた。

竦むことなく、進めればと思う。

過ちがあれば、直せればと思う。

ただ僕の中の隅でうずくまっている臆病の部分は

重い腰を上げず、

ただ変わらないことを祈りながら

平気なふりをして目の前の現実を保留し続けているようで

挑まない心が育まれ

心の矜持が失われて

ぼんやりとふんわりとしたまま

多々時間が流れるのを眺めている。

いつになっても来ない”今、その時”が

来るのを漫然と待ち続けている。

この心の懺悔が

いつか

咲かない花を待つようで

もどかしく

誰かが引っ張ってくれないものかと

思う。

残酷に過ぎる時に身を任せ

他人の良心を踏みにじりたくなる。

他人の助言を聞かないままその蜘蛛の糸たる救を退け。

獣のように蹂躙したい心は強化してきた理性とともに

怯えと不安でコントロールできないことを恐れ。

ただ、何も考えないようにしながら

呆ける。

だんだん自分のものじゃなくなっていく自分を眺めながら

僕は

いつ

動くのだろうか。

情けなくも泣けない乾いた心と共に。

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