一年の終わりに

仕事を納めた。

”納めた”というより”詰め込んだ”というほうが感覚的には当てはまるような忙しさで。

年始に持ち越した部分も多くあり、穏やかな気持ちで終えたとは言い難い。

それでも大掃除だなんていって軽く掃き掃除なんてすると一気に年の瀬という雰囲気を帯び始めて

「よいお年を」なんて挨拶を繰り返すだけでもう一気に気持ちは軽くなる。

仕事終わりに空を見上げると、そういう日に限って星がよく見えたりしたら。

すっきりした気持ちになってしまうぐらいの心の持ちようなので

単純な性格だなと思いつつも、なんとか年末年始を迎えられそうな気がしている。


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ここ数年はどっぷりとネットに浸かっているせいもあり

身の回りに心無い言葉や煽り、誹謗中傷、愚痴、陰口がまとわりつく生活を続けている。

スマホを眺めれば悪態や心の叫びがみてとれて

耳を傾ければ陰口や煽りが聞こえる

そのあれやこれも道徳的には良しとされないことでも、

受け手としては刺激的ではあるため

いつしか自分の中に取り入れてしまった部分も多い。

一を全と捉える時もあり

何気ないことでその人のことを全部分かったかのように判断して

勝手に距離感をとっては一喜一憂していたように思える。


学生時代にバイトしてた書店の同僚との忘年会があった。

かれこれもう10年以上の付き合いになる。

毎年この時期になるとメンバーの一人が調節してくれて、飲み会が開かれる。

20代半ばの頃はそのままオールしてから仕事ということもしたりして

自分以外は結婚していて、家も子どももいるという状況

今では肩身の狭い会になってしまったが、学生時代と変わらない心地いい場

久しぶりの挨拶もそこそこに、くだらない話から家族の話題、一年の近況などが続くと、今の立場など霧が晴れるかのように忘れて楽しくなってくる

一年を通して消化しきれなかったわだかまりや葛藤など

洗い流されてしまったように思えると、集まってよかった。また来年もやろうなんて気持ちになる。

ネットが普及して身近でない人とのコミュニケーションをとり続けている

そこに刺激性を求めて、一期一会を楽しんでいたが

長く付き合うと昔のことも熟成されて丸みを帯びてくるものなのだなと

感じることがあり。

人との距離感ははかるものではなく感じるものなんだなと

自分の中で渦巻く説明できない得体のしれない感情が

こういう時に説明できるようになって一つ一つ自分の中に納められたから

今年もなんだかいい一年だったんじゃないかと

勘違いと後付けを繰り返して

年末を迎える


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振り返ってみると、なんとも単純な

単純ではなくシンプルなのだと、自分に言い聞かせて。

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