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お父さんが

No.8 山本紘輝(徳島市立高校)


はじめまして

今回noteを担当する

富士大学 サッカー部 山本紘輝です。

まず初めに
日頃より富士大学サッカー部への
ご支援・ご声援、誠にありがとうございます。

自分のサッカー人生について書いてみました。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。



僕は気づいた頃にはボールを蹴っていた。

父がサッカーをしていたからだろう。

そして、小学校2年生で林崎里浦に入った。
父もGKコーチとして林崎里浦に入った。

5年生の時から試合に出られるようになり、
県大会優勝を経験。

しかし、保護者や6年生から言われるのは

「お父さんがコーチやけん試合に出よる」

とても辛かった。

6年生になり、徳島ヴォルティスジュニアユースのセレクションを受けた。

一次セレクション不合格。

しかし、二次セレクションでゴールーキーパーで受けてみないかと案内がきた。

ゴールキーパーは、ほとんど経験がないが一応受けてみた。

「合格」

なんでやねん。

やっていけるのか、不安しかなかった。




ヴォルティスに入って、周りから言われるのは

「お父さんが林崎里浦のキーパーコーチやけんやろ」

しかし、返す言葉がなかった。

ほとんど試合に出ることもなく、2年の夏に
ヴォルティスを辞め、中学校のサッカー部に入り、DFに戻った。

その頃から父が少年国体のキーパーコーチになり、県サッカー協会の関係者になりだした。



中学校3年になり

新人戦3位
県1部リーグ優勝
高円宮杯3位

ぼちぼちの結果。

そして、徳島市立高校から推薦が届いた。

もう、次に何を書くか皆さんもお分かりでしょう。

そう。

「お父さんが国体のキーパーコーチやけん」

こんなことを先輩や周りから言われていた。




サッカーを辞めたいと思ったことも、父のせいでと思った事も何回もある。

しかし、父もサッカーも嫌いになったことはない。

父は俺の憧れだから


そして、今は就活を頑張っている。


どのエージェントにも最初の面談で伝えた事がある。

それは

「父を超えたい」

父を超えるにも、体重とか体重とか体重とか色々簡単に超えられるものはある。

しかし、僕は父より稼ぐ

これは簡単なことじゃないのは分かっている。

お金が全てじゃないし、お金で買えないものもある。
しかし、お金がないと何もできない。

だから、しっかり稼いで心配や迷惑をたくさんかけてきた、親や祖父母を安心させたい。
この気持ち1つで今日もどこかで就活をしているのだろう。



最後に



徳島から応援してくれている家族や祖父母へ


あと1年


どんな形でサッカー人生を終えるか分からんけど、後悔だけはないように最後まで頑張るけん応援しとってください。




ここまで読んでいただきありがとうございました。



次回は、スイカゲームに出てくるあの方です。

お楽しみに!

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